不器用な人がいる。

まじめに、一途に、ただただまっすぐにしか歩けない。

器用な人がいる。

物事の山谷をしっかり見極めながら、最短距離を要領よく歩んでいく。



あなたはどちらにあてはまりますか?



愚直は愚直なりに、器用は器用なりに、悩みがあり、成長がある。

そう、愚直な人はなんだか損をしている気がするかもしれない

器用な人は、ずるをしている気になるかもしれない。



一方で、愚直な人は着実に進んでいく。そしてたどり着いたゴールの

喜びは一入なのかもしれない。

器用な人は、その要領の良さ故にいろいろなことが早く

わかっていくのかもしれない。



何が言いたいか。



どちらもOKなのだ。



愚直に、「器用な人が良い」とか「愚直な方が良い」とか

判断する方が、よっぽど不自然なのだ。



できたら、お互いに相補する関係となって、

『器用』が水先案内人となって、『愚直』が確実な歩を進める。

お互いがその長所を引き出せれば良いのだ。



さらに、その器用と愚直は、自分という一人の人間の中でも

入れ替わったりする。



その両方の存在をしっかりに受け止めることができたら

愚直であることも器用であることも、そんなに大差はない。



そう、自分が自分のままであることが一番その人の力が発揮できる。

そう、愚直なまでにありのままの自分で生きること

それは究極の器用さなのだ。



周りがどうあろうとも、どう影響を与えてこようとも

自分らしく有り続ける。その愚直なまでの自分の軸。



器用に周りの影響を受け止めたり、受け流したり。



器用は不器用で、不器用は器用なのだ。

だから、愚直であることを素直に受け止めよう。

格好をつけることなく、ありのままの自分を素直に受け止めよう。



不器用な位に器用に自分であり続けるために。