慣性の法則。中学位のときに初めてであった言葉かも知れない

動いているものは動き続け、止まっているものは止まり続ける。



そんな運動に関する法則だった気がする。



物事の当事者になったとき、心の状態は変化に対して

強く抵抗する。もしくは抵抗していることに気づく。


この抵抗は自分が当事者となっていること、責任を感じながら

対応しようとしていることの証かもしれない。



物事は当事者以外に解決できない。

そう、まさに「問題は現場で起こっているし、当事者だけが直面している。」



だから抵抗を感じるのはそんなに悪いことじゃない。

その抵抗は抵抗として感じつつ、自分の深いところで



抵抗を感じる意味を3分で良いから考えてみよう。

その3分が重要なのかもしれない。案外、必要なチェックが隠されている。



3分の内省時間が、抵抗を消化する消化酵素の役目となって

抵抗は、きっと必要なものとして昇華する。




だから、慣性の法則は、止まっているものが止まり続ける、ことだけに言及するのではなくて、

動いているものが動き続けることにも言及しているのだ。




案外、心もその他の物理的な法則に沿って動くものなのかもしれない。



その意味で、私たちと環境、地球、さらには宇宙、そして自然の法則の記憶を

細胞の一つひとつが保管している。

私たちが全宇宙の一部であると同時に、私たちの中にも宇宙があるのかもしれない。



そんなことを考えていると、ひとりひとりの存在が尊く、不可欠なものであることに

確信する。


そう、存在するだけで意味がある。


だから、瞬間瞬間を、さらに一期一会の思いを持ってただ、

今ここを大事にしていこうと思える。