Gene Keys の結果を見た時、

最初はあまりにも今まで出てきた

前世の人々のものに見えて

自分ごとにできなかったんだけど


これを読んだら納得した照れ


私の母は田舎に住む教員だった。

どこに行っても〇〇先生と呼ばれる存在。

母は無意識だったかもしれないけど

他人から批判されないように

常に他人の目を気にして気を張っていたように思う。



ちなみに私は

〇〇先生の娘さんというポジション。

物心ついた時から肩書きがあった。笑



このブログにも出てくるように

親がジャッジに満ちていれば、その低い周波数に

子供をとどめてしまう

を何年も経験してきた。



ここ数年、本格的に自分と向き合って

自分の中に他人目線、劣等感と優越感

被害者意識があるのは知っていたけど

Leela さんのGene Keysの解説にも

上記の言葉が出てきて

一気にGene Keysの内容が自分ごとになった気づき



極め付けは、

自分の正しさを証明したいという自らの正しさへの執着

と言うところ!



まさに爆笑

ここ数年は本当に私が正しい!と思う瞬間が多かった笑



母との関係も興味深くて

このブログを書いたLeelaさんも

自由にさせて欲しい

と思っていたようだけど、

私も思ってた笑



母が、世間が、〇〇が私に制限をかけている…

と無意識に思っていたのは

まさに被害者意識驚き笑い



もっと勉強ができれば、幸せなのに。

結婚してれば、幸せなのに。

もっと可愛ければ、幸せなのに。

〇〇さえあれば、幸せなのに。



常に『ないもの』に目が向いていて

自分で自分を負のループに追い込んでいた気がする不安



そして、心の奥底で

自分でも気づかないうちに母に対して

お前は間違っている=私が正しい!

と言い続けていたのかもしれない驚きやば。



スター



私のGene Keys の結果には

あなたの人生は高潔を中心に展開、支持すべき大義が必要、世界の片隅を改善していると言う自覚、何か崇高な目的のために役に立つ、英雄小説のような人生、逆境を超越した境地、自分を超えた目的のために生きる、誰よりもエネルギーと才能を全て注ぎ込める人生の使命が必要、高潔無比の象徴となること、などなど


だ、誰のこと???驚き


ってゆー言葉がたくさん入ってるんだけど笑



Leelaさんのブログにあるように

高潔であると言うことは自分が自分であること

だと、分かりやすい。

ありのままの自分でいるってことよね?



そして今私は、エモーションコード、

ボディーコード、ビリーフコードや

呼吸法、体感に意識を向けること

自然に触れる時間を増やすことで

思い込みや囚われた感情、蓋をしてきた怒り

悲しみ、不安、寂しさなどの感情や体感に気づいて

手放すワークに取り組んでる照れ



まさに、いろんな形で傷ついた自分を

身体的、感情的にいやしてるところ飛び出すハート



そして、興味深かったのが


自分がこの道を歩むことで

世界の『大人のふりをした傷ついた子供』を癒す手助けをするのが、この鍵の旅なのかもしれないなぁ。


『18番の天の光は、知的苦しみをどのように癒し、大人として、この宇宙で本当の居場所を見つける方法 を教えてくれます。それは、完壁さのビジョンを目指す不断の慈悲深い奉仕を通して行われます。』


この鍵の天の光『完璧』は菩薩の遺伝子と言われています。


『人々が高次の意識に到達できるよう手助けをするために、

 最高の意識状態に至ることをあきらめて世界に留まり続け』


『全体が完璧さを会得するまで、全体に貢献し続ける』


からです。


この天の光を体現している人はほとんどいないようだけれど

この鍵を体現する人はこの旅を歩んでいくんだなぁ。


と書いてあるところ。



ある時に、ヒーラーを目指して

挫折したことがあるんだけど

その時は周りにいる全ての人と比較したり

こうあらねば!の、理想の自分を作って比較して

ダメだ、できない、まだまだ!と

ないところばかりに目を向けて、

「ない」を増幅させて、「ない」の道を進むように

自らを追い込んでいた気がする。



振り返ると、〇〇さんと比較して

自分はできない、〇〇がないと

いつも自分の才能を疑うことをしてきたけど

このブログにも書いてあるように


ジャッジを手放すこと、そして「ない」に目を向けて

それがないのは、〇〇のせいだ!私悪くない!

と被害者意識になったり、私が正しい!を

手放すことがカギ🔑なのかもしれない。



「思考の癒しの力」


天の光:完璧 「菩薩」

天の才:高潔  「世界に挑む」

心の闇:ジャッジ 「被害者思考」



「ジャッジ」から「高潔」を経て「完璧」

へと至る変容の旅です。



普通〇〇代の女性はこうだよね?とか

私が勝手に使った理想の自分(仕事での役割とか)と

ありのままの本当の自分を比較して

理想に近づけるように頑張ったり

できないときは自分を責めたり

自分のことを恥ずかしいとジャッジしたりするのをやめ

(他人に対しても同じ。役割などで人を見るのではなく

今の〇〇さんをそのまま認めて受け入れていく。ただ受け入れる、認める。ジャッジしない)



ありのままの自分を認め、受け入れ続け

愛の意識から自分を表現し続けること。

(他人に対しても同じで、

常に目の前にいる人を見て、ジャッジせず、ありのままを認めて、受け入れ続ける)



囚われた感情が反応して嫌な思いをした時も

常に体感を感じて受け入れ続け、癒していく。

こう言った一連のプロセスをやり続けることが

大人のふりをした傷ついた子供を癒すことなのかな。



ビリーフコードの資格をとって

他人のためにセッションをやる、とかではなく

私がこうあり続けることだけでいいのかも。

愛の意識でいるだけで、愛で接するだけでいいのかもしれない。



私が愛であることで、私が何も言わなくても

他人に気づきや癒しが起こったら

完璧なのかもしれないラブ



昔、カウアイ島のヒンドゥー寺院に行った時に

その場所が良すぎて、ここで瞑想し続けていたいラブラブ

と思った瞬間に

そんな世間から離れたことはできないと思考が騒いだことがあった。



まさに世間の目を気にしてジャッジして

本当の望みを消すようなことをしていた。

こうやって、自分の本当の望みや

自分自身を何かと比べてダメだ、劣っている

と決めつけてどれだけ否定してきたことか。。。驚き



もう、そんなことしなくていいんだと思うと

気持ちが軽くなった気がする飛び出すハート