心の先天部分
コトタマ学において「心の先天構造」という言葉があります。
心の先天とは何か
まだ現象として現れない部分の事です。
例えば「お茶が飲みたい」とか「コーヒーを飲もう」と思って「お茶飲まない?」「おーい、お茶」などと言うとします。
(おーい、お茶で淹れてもらえるかどうかはここでは別問題で
)
その言葉が出る前には喉が渇いたなとか休憩してゆっくりしたいなという衝動があります。
さらにその前には喉の渇きや頭脳か身体の疲れを感じて何かが動きだすというまだ見えない過程があります。
もちろん
おっ何か動き出したぞ、
何か感じてるぞ
自分は喉渇いたとわかったぞ
疲れたとわかった
故に何か飲もう、お茶を持って来てくれるように誰かに頼もう など
いちいちその過程を確認している人はいないでしょう。
いちいち確認はしないけれども
何か言葉にしたり、行動する前に
必ず前駆する衝動、何らかの動き出しがあります。
これをコトタマ学において
「心の先天構造」と言います。
さらに他の説明も試みてみましょう。
天津磐境(あまついはさか)
近代の物理学は物質的な外宇宙を細分化し、
分子 原子 原子核 電子 中性子 陽子 素粒子を発見しました。
対して古の我々の祖先である聖(霊知り)達は心を静める事により長い期間をかけて、内側の宇宙、心の奥の奥を探求し、コトタマを発見しました。
もうこれ以上分解する事のできない50個のコトタマ
です。
現代人は物質を分析し、細分化したわけですが、
分子・原子〜素粒子は人の目では確認できません。
それらは感覚で確認できる物質的構造の先験的構造という事ができます。
先験的な要素(原子、電子、素粒子など)は、人の感覚では直接に捉えられませんが、
それらのものによって何か現象が起こされた時、初めてその存在が確認されます。
例えば、細かい水の分子がまばらに空中にあってもわかりませんが、霧や雲や雨粒になるとはっきり水、水分と認識します。
霧や雲、雨粒は、先験的な原子や電子、水の分子などに対して、後天的な存在であるということができます。
これを人の場合にあてはめてみます。
頭の中で何か考えているけれど、
形や内容が定まってこない間、これが先験的部分となります。
この心の先天構造は17のコトタマで構成されています。
言霊の数は17個で5段階の構造を持っています
この先天構造を我々の御先祖様、つまり聖達は、天津磐坂(あまついはさか)と名付けました。
アマツ 現象界に現れない先天性のもの
イ 5つ
ハ 言葉
サカ 段階
という意味です。
次回からさらに詳しく見ていきます。
*参考文献
コトタマ学入門 島田正路


