今回はマニアックな内容ですので、お気を付けてくださいませ。

まずは「可能性の道」のライブテイク。

2004年春 コンサートツアー「私と私とあなた」より
2004年秋 コンサートツアー「松◇クリスタル◇~代々木スペシャル~」より


ファンになったばかりの頃は、亜弥さんが歌ってるとこを一刻も早く出来るだけ多くを観たいと思い、急いで市販のライブDVDを買い集めました。

その中の一本、2004年コンサートツアー「私と私とあなた」の「可能性の道」。

この「可能性の道」を初めて観た時、亜弥さんのパフォーマンスに驚きました。
何だこれっ、このライブの他の楽曲と歌唱の質が全然違うやないか。
て言うか、「ファーストデート」から歌ってるのを聴いてきたけど、この曲で歌唱が明らかに突然変化してるやん。
これまでと全然ちゃうぞ。

結論を先に言いますと、
わたしは、この楽曲「可能性の道」を松浦亜弥が歌った時が、敢えて大げさに言わせて頂くと、松浦亜弥が歌手として歩んで行く最初の一歩、と言いますか、歌手松浦亜弥誕生の瞬間だったのではないか、と勝手に推察しています。
それほどの驚きでしたし、それ以上に感心をしました。

「ファーストデート」から観てみて確かに歌をしっかりと歌っています。当時からファンの間で定評があった通り上手いと思います。でも当たり前ですが、まだまだ幼さがあって歌をたどりながら歌ってる感じですよね。

しかしこの「私と私とあなた」の「可能性の道」は、それまでと違って曲に表情を付けて歌ってます。
多分この「可能性の道」のゆったりした曲調から来るものもありますが、亜弥さんは「可能性の道」を歌うことで、表現を付けて歌うテクニックを初めて手に入れたのではないかと感じました。

もしかしたら、つんくさんは亜弥さんの歌唱の可能性を引き出すためにこの歌を作ったのかも知れません。そしてそれに応えた亜弥さんは真の本物の歌うセンスを持ち合わせていたと言うことですね。
才能を見出した制作者つんくさんとそれに応えた表現者松浦亜弥、てとこですか。

この「私と私とあなた」の「可能性の道」。
ここには、裏声唸り声を交えたりとか微妙なビブラートを使ったりとか少しずらしたり遅らせたり伸ばしたりいうテクニックが、バランスよく聴く側にとても気持ちよく施されています。
このテクニックが過剰になると演歌っぽくなってもっさりねっとりするのですが、亜弥さんの場合上手くバランスされて歌っていると思います。
ちょっと間違うとまるで違った出来上がりになるギリギリのところをやってるようです。

あとで見直したのですが、ひょっとしたら亜弥さんはこの時の歌唱を「遊びの感覚」でやったみたのではないかとさえ思わせます。
もしそうだとしたら、天才ですよね。大したもんです。

もし過去に戻れるならこのコンサートツアーの他のステージの「可能性の道」も聴いてみたいです。このテイクのステージだけのことなのか、どうなのか、確認してみたいですね。

このことは、数か月後の「松クリスタル」の「可能性の道」と比較すれば分かり易いのではないでしょうか。
「松クリスタル」の時は、抑え気味に素直に優しく歌ってますね。どちらかというとこちらの方が聴きやすいのかも知れませんが、「私と私とあなた」のテイクを聴いてしまうとわたしにはちょっと物足りないかなと思ったりします。

あまりテクニックテクニックと言い過ぎると味気ないように思われるかも知れないですが、亜弥さんの場合はこれに心情風景を表す歌う心も備わって来ますので大丈夫。
技術プラス心。
このふたつが噛み合う松浦亜弥さんは最強で最高のアーティストのひとりであると言うのは間違いところです。

その後、この世紀の大発見をある先輩の亜弥ヲタさんにお話ししたところ、あややの歌の上手さはもっと前から評価されていたということでした。ライブをやり始めて自覚がどんどん出てほんとうに上手くなっていった、とおっしゃってました。
だからこの時も流れの一貫で特異性は感じられないですよ、と。
そうなんでしょうね。現場での実感はこの亜弥ヲタさんのおっしゃる通りだと思います。

でも当時を生でライブを追っかけていないでDVDで遡って観ているわたしには、この「可能性の道」は突然変異的に出てきた印象があります。
この「可能性の道」に出会ったことで、才能が目覚めたと言うかコツを掴んだと言うか、もっと言うと歌の女神が舞い降りたんだと思う訳です。

やはりわたしは、この「可能性の道」を歌いこなしたこの時が、本質的な意味において歌手松浦亜弥の誕生の瞬間だったのではないかと、密かにそして一層強く確信しておるのでございます。