「女神性」。それは、肉体上の男女の性別のことではなく、すべての人に備わっている生命を生み出し、慈しみ、育む、愛そのもの。

私たちに流れる、万物を創造し、命を生かしているエネルギー。神とはそのエネルギーであり、いつも私たちの内から輝いている本質。けれども、あれこれ思考をめぐらすあわただしい日常生活の中では、それを意識することも、実感することも忘れ、私たちは、自分の本来の在りようから離れてしまいがちです。

 

日本神話の源流の地「阿波」
日常を離れ、大いなる母である阿波の女神のふところに包まれながら心をしずめる時、私たち一人一人にすでにある、内なる神、その平安と普遍的な愛に触れることができるでしょう。鳴門の音魂、“なると”は、十に成る、つまり神の次元に入るということを意味しています。今回の旅では、内なる神を感じながら、鳴門でその感覚をより深めてまいりたいと思います。

この旅をとおして、神話の源流を知り、自然や女神を感じ、縁ある方々とふれあい、ともに祈り、笑い、神々への感謝を深めてまいりたいと思います。

定員15名(残席3名のみの参加受付となります)

 

参加申し込みはこちら

 

【参加費】 ¥45,000円(徳島空港までの交通費は別)
参加費に含まれる費用(宿泊費・バス代・高速料金・セミナー費)
参加費は、お申込みの5日以内にお振込みをお願いします。尚、お振込みの確認を持って正式なお申込みとさせて頂きます。
お振込み口座  みずほ銀行 高輪台支店
カ)アイウィルビ- 普通 1054215

行程表

3/23(土)
08:45 徳島阿波踊り空港集合
08:55 出発
09:20 大麻比売神社参拝
10:00 出発
11:15 神山道の駅休憩
11:30 上一宮大粟神社参拝
12:30 昼食
13:15 立岩神社参拝
14:15 神山道の駅休憩
14:30 出発
15:30 貞光道の駅休憩
15:45 出発
16:30 宿舎到着 休憩入浴
17:30 夕食
19:00 女神セミナー
21:00 懇親会
22:30 終了 就寝

3/24(日)
06:00 清流瞑想
07:00 朝食
08:00 出発
09:00 天磐戸神社到着
10:30 出発
11:00 昼食(うどんの名店 田舎で暮らそうよ)
12:00 出発
13:00 貞光道の駅 休憩
13:20 出発
14:00 山川忌部神社奥社黒岩
15:00 出発
15:30 川島神社 忌部の里 絶景ポイント
16:00 出発
17:00 鳴門海峡国生みポイント
18:00 出発
18:20 松茂高速バスターミナル
18:50 徳島阿波おどり空港解散

 

今年も忌部ツアーが3月開催になり、3月30日は都内にて林先生、けんちゃん先生による阿波忌部の講演も予定されています。

阿波忌部を教えていただいてから、母親の実家にあたる徳島でも地元で知る人はほぼ皆無で、歴史上抹殺されているという事で地元の人も全然知らないんだと思います。多分訪問する神社が殆ど質素な作りである事が歴史から消されてしまっているのだろうと。そして、いろいろ辿るといろんなことが見え始めてきて

 

現在も天皇陛下が御即位後に初めて行う大嘗祭に「麁服(あらたえ)」を献上しており、また、神山町やつるぎ町には天岩戸伝説にまつわる神社があるなど、その由縁は数多くあります。麁服(あらたえ)天皇陛下が即位される大嘗祭ではお召しになられる麻の織物は、今も忌部直系氏族の三木家のみが調整、調進することになっている。

 

忌部氏は、古代から大和王権の祭祀を中臣氏と担当していた。本来、伊勢神宮をはじめとする王権祭祀を司っていたのは、忌部氏だった。
特に、忌部は祭祀のための祭具を調達。

阿波勢力(阿波忌部族)は海部とともに大和王権の成立直前となる2世紀後半から4世紀頃に、日本各地へ進出。
彼らは、麻・穀を植え、農業・養蚕・織物・製紙・音楽(弦楽器)・建築・漁業・農業土木技術を伝えた祭祀族、海洋民、産業技術集団であった。
また、近畿に大和王権の象徴となる前方後円墳の諸要素と古墳築造技術を伝えた。そして、大和王権成立の立役者となった。

 

ちなみに、実家の住所は麻植郡で「麻」がついているのを何も感じなかったのが、忌部を知ってから実は深い意味があるのではないかと。
さらに、個人的に面白いのは吉野川という川の周辺でいろんな著名人が生まれていて、何かがあるのでは??とさらに興味を持つ訳であります。

大嘗祭

天皇が即位後最初に皇祖および天神地祇 (てんしんちぎ) に新穀を供え,これを食べる儀式
その年に収穫された米などを神々に供え、自身も食し、五穀豊穣(ほうじょう)や国家安寧を祈る
古くはこの祭りによってあらたな天皇の資格が完成するものとされていた。

 

 

言葉の由来

「あは(泡/阿波)」→「あぶく(泡)」→「あびる・あみる(浴み)」→「あま(海人/天)」
「あは」→「あわ」「は」→「わ(倭人)」

中国人は、日本語の「わ」に、漢字の「倭」を当てた。
日本人は、日本語の「あま」に、漢字の「天」を当てた。

「わ」「あま」は、どちらも、「あは」から派生した海人を意味する言葉であり、同時に、大王を意味する言葉でもあった。

 

「新唐書」-「東夷伝」日本伝には、
「其王姓阿毎氏自言初主號天御中主至彦瀲凡三十二世皆以尊為號居筑紫城」という記述がある。
「阿毎(アメ)」を名乗る王の、初めての名は「天(アメ)御中主」だったという。
日本情勢を、そのように中国は認識していたのである。
ここには、外国から王家が日本に来たという記述は見られない。

「あは(阿波)」→「あま(海人)」→「あめ(天皇・大王)」

 

 

農業の視点からは林先生の講演から

※剣山系の農業を守ることは、日本屈指の植生や生態系を守ることにもなる。

歴史が続くには農業と共に信仰があったという事で

剣山系の伝統農業を支える信仰と習俗について第1段階から第8段階までの流れに沿って解説頂きました。

 

 

 

3000年に亘る信仰の重層構造として

第1段階:縄文後期から原始信仰:アニミズム 影信仰(遺跡)、石窪信仰(遺跡)、石棒のマツリ、立石列石(ストーン、アライメント)

第2段階:縄文晩期~弥生:原始信仰の発展、特定の事物にカミ、精霊が宿る観念(カミ信仰) 森内部に簡素な石囲い(石殿)、立石列石、立石(メンヒル)

第3段階:弥生~古墳時代(本格的な農耕の開始):本格的なカミ信仰と斎場の形成 集会所としての斎場の形成「盤座」(巨石)信仰、「盤境」の形成、四至石などの結界的遺構、神山信仰(神奈備山)、銅鐸、銅剣のマツリ、祖霊信仰(氏神)、古墳祭祀

第4段階:古代(飛鳥、白鳳、奈良時代) 「社」(神社、ヤシロ)の成立 仏教の流入、修験道の成立

第5段階:奈良時代~平安時代:神仏習合思想の成立 山岳仏教(真言宗)、修験道の発展、仏像、御堂、芸能の成立

第6段階:鎌倉時代 鎌倉新仏教の流入、浄土宗、浄土真宗、念仏踊り

第7段階:室町時代 芸能の発達、板碑(供養碑)の流行

第8段階:近世(江戸時代以降) 御堂文化の隆盛、お大師講などの共同体を維持する講制度、庚申信仰(庚申塔)、地神さん(地神塔)、秋葉信仰(秋葉神社)、不動信仰(不動明王)、大師信仰(大師像)、地蔵信仰(地蔵さん、六地蔵)、お接待文化、遍路文化など

従来の
・古い、貧しい、非効率、前近代的な遅れた山間部の農業から
限界集落化を防ぎ、豊かな日本国家創生の原点となる【ソラ世界】の最興を目指したい。ソラ世界においては、徳島剣山系の多種多様な傾斜地農業において
標高、傾斜度、日照量、気候、地勢、地質に応じ作物を栽培し、適地適作農業を営んでいるのが剣山系における傾斜地農業の最大の特徴である。

忌部は宗教改革もおこなった。
(倭国創生、つまり大和王権を成立させるに至り、現在にまで続く宗教改革を行った。)

 

傾斜地農業は、結構な角度で、それが平地と比べると空気が滞留せずに循環し続けるのがいいみたいです。日本列島の中で火山活動の影響を受けていない特殊な地域で、農作物の栽培に不適な火山灰土壌(酸性土壌)が非常に少なく、農耕に適した土壌でもあります。

 

 

日本の農業のルーツは阿波忌部族がもつ古代農法にあるのではないかとの事で、衣食住全てを伝えていたのが阿波忌部族。それを現代に紐解くと「地方創生事業」の大本として展開したのが阿波忌部族であり、阿波忌部族が行っていた古代農法を知り、それが数千年もの間、伝統が絶えずに続き、継承されていた農法を知り、行う事が次の時代への新たな気づき、そして文化を継承し守り続ける大切さを知る事は阿波忌部を学ぶ事につながるであろうと。

 

 

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