安倍サンとその仲間達(2024 03 08)

 

朝鮮人労働者追悼碑撤去の愚挙

 

 愚挙だな、と思う。山本一太群馬県知事が、「群馬の森公園」に建立されている朝鮮人労働者追悼碑を撤去した。2004年に建てられた石碑は、将来の日朝友好を願った人々の努力と希望の碑であったはずだ。県議会も同意していた。ところが、追悼碑の前の集会で「強制連行」という言葉を使ったことに異議を唱えた県知事が、「強制連行」を政治的発言とした最高裁判決を受けて、撤去と結論づけた。

 

  山本氏の知事としての判断には、安倍晋三時代の残滓を見る。

 

「旧統一教会問題」、「キャッシュバック問題」

 

 「旧統一教会問題」、「キャッシュバック問題」、安倍政権の負の遺産が噴出している。それによって、現・岸田政権は風前の灯火である。

安倍政権時代、安倍派議員達は議論をしない集団だった。安倍サンに従ってさえいれば全てがうまくいっているかに思えたのだろう。思考力を失った国会議員の巨大集団であった。

 

重苦しい時代

 

 自由と民主主義を願う人々にとっては、安倍首相の時代(2012.12~2020.9)は重苦しい時代だった。彼は、岸信介の膝の上で育った。戦前の日本を肯定的に捉え、アジアで日本が仕掛けた戦争を侵略でなくアジアの解放と考えていた。アメリカ議会での演説内容はオバマ大統領に促され修正され譲歩したものだったのだろう。日本のアジア侵略を、帝国主義の帰趨するところとのみ捉え、自国の責任を放棄し、歴史の仕業だと責任転嫁した。(2015 04)

 

 日本の近現代史は、加害と被害の両面がある。安倍政権は日本の加害を反省しようとしない政権であった。その残滓が「群馬の森」の朝鮮人慰霊碑撤去に繋がっている。

 

 ◆◆◆

 

「奢れる人も久しからず」

 

 昨年、『サンデーモーニング』(MBSTV)で、藪中三十二氏が「奢れる人も久しからず」(平家物語 冒頭)のフレイズで、安倍派の現在の状況を譬えていた。元外交官が、このような文学的表現を使ったことに驚いた。

「奢れる人」とは清盛のことだが、安倍サンを思い浮かべる。清盛は好き放題をして、気にくわない人物を排除する。排除とは遠島だったり斬首だったり、恐怖政治が続く。諫めるのは長男、平重盛のみだった。しかし、その重盛は早世する。以後清盛の横暴を止めることができる人間はいなくなった。平家一門は皆高い位につき権勢をほしいままにして栄えるが、数年後には、壇ノ浦に海の藻屑と消えた。

 

 清盛の権威のおこぼれをもらい、諫言する者はいなかった。

 

 安倍派、あれほどの人数の国会議員がいるが、誰もそれを止めなかった。いや進んでおこぼれにあずかったのだろう。「キックバック」である。彼らは、国民の代表ではなかった。個人の出世と利益のみを考えた。「キックバック」「中抜き」。考えれば税金逃れの悪事であるとすぐ分かるはずだが、権力側につくうまみで正常な思考を喪ってしまった。安倍サンの陰にいれば、怖い者がなかったのだろう。

 

 2022年分の各派閥のパーティ収入。安倍派だけが報告された金額が極端に少ない。逆に安倍派の議員人数は最大だ。この不思議に疑問を持つ人は安倍派にはいなかったのか。

 安倍派 99人 9480万円  麻生派 56人 2億3331万円  茂木派 53人 1億8142万円

 岸田派 47人 1億8328万円  二階派 41人 1億8845万円

 森山派  8人  4016万円(派閥パーティ収入 (2022年分)サンデーモーニング12月10日放送)

 

◆◆◆

国葬を考える

 

 国葬になった安倍サンは何をした人なのか。私は、このブログで2013年から安倍サンに付き合ってきた。思い出してみる。

 

 国民の権利を抑圧してきた。国民の知る権利を奪う「国家機密法」(スパイ法)。国民に事実を知らさない、政治家の都合で罰則が規定されるような漠然とした内容の法律だ。

また、「共謀罪法」。この法律も計画段階で加担したと思われれば罰せられる。政権の恣意的判断や都合により犯罪者にしたてられる確率も高い。これらは、軍国主義の時代の「治安維持法」に通じるところがあると批判された。

法律が曖昧であれば、曖昧な部分が権力に利用される恐れがある。中国やロシアの国内外での抑圧を見ると、国家の「法」が、権力維持のために利用され国民を苦しめている。

 

 また、海外で起こったことでも自国に脅威があると判断したとき、日本は外国で戦えるようにした。「安保関連法」(2015 9)である。戦後の日本が認めてこなかった集団的自衛権の行使を認めたこの法律は憲法に違反する。

法律の枷(かせ)を失った為政者が、『正義』のための戦いを拒否できるだろうか。どの国の『正義』か、誰のための何のための『正義』か。その正義が真実か偽りか判断しきれるのか。ウクライナからガザヘの道程は、その「難しさ」を表している。

 

 国民の視線をかわして、国民の批判を封じるための法律を作り、日本を戦争しやすい国にしたのは安倍サンの様々な法改正と閣議決定である。それまでの政権は、外国の戦争への参戦を、『憲法』が許さないのでできないと断固拒否できたのである。しかし、安倍サンは「積極的平和主義」を標榜し積極的に戦おうとした。戦いに行くのは現在や将来の若者である。

 

 国葬にしたくなかった岸田首相は、安倍派に押されて国葬とした。正しかったのか。

 

◆◆◆

 

安倍サンとトランプやプーチィン

 

 そんな安倍政権が、トランプやプーチィンのご機嫌を取り、彼らに自信を与え、現在の混乱した世界情勢を作り出す要因の一部を担ったのも否めない。

プーチィンの日本訪問。遅刻して下関を訪問したとき、彼は化学兵器を使ったシリア軍の作戦の支援をした後だった(ロシアは否定)。西欧の非難を受け、窮地のプーチィンを救ったのは、親しげな安倍サンであった。彼はファーストネームで名を呼び、自らの悪行の後、日本に来たプーチィンの強い支えとなった。あの時はプーチィンも、少しの良心が残っていたのかも知れない。彼は戸惑いの表情を見せていたではないか。

 27回に及ぶ安倍―プーチィン会談で得たものは、個人的な友好関係だけで、日本の国益には通じないものだった。日本は西欧と立場は違うが、本質的な善悪は変わらない。彼に対して、「人として生きる」立場から批判したことはあったのだろうか。

 

 ナワリヌイ氏が殺された。反政府運動というより、民衆の自由と公正さを求めた人物だ。シベリアの刑務所に送られた後も元気であった。まだ40代の若さだ。政権により毒殺されそうになったり、でっち上げの罪で刑務所に入れられ、極寒の地に送られもした。それでも信念を貫いた。それゆえ殺された。

 

 プーチィンの「残虐さ」や「小心さ」がよく見える。そのプーチィンへの「ごますり」を続けてきてある意味で彼を増長させたとも考えられる。

 

 トランプが大統領になったとき、真っ先に米国を訪問したのも安倍サンだった。倫理観のない政治家は身軽である。トランプとプーチィンの存在が、民主主義の破壊、帝国主義時代への逆戻りの過程に大きな影響を与えた。(安倍サンが首相を辞めたとき、「安倍首相、ありがとう」と言ったのは、プーチィンとトランプであった。)

 

 トランプは今、共和党候補者としての演説の中で、大統領としての行為は原爆を使っても免責されるべきだと言った。(そのトランプをノーベル平和賞に推薦したのは誰だったのか。)プーチィンも大統領経験者は一生罪を問われないという法律を作った。

 

今思えば、安倍サンは実に都合よく使われた「お友達」であった。

 

◆◆◆

 

人事で人を黙らせる

 

 検察や行政、報道(NHKなど)に圧力をかけた安倍サンの権力的な手法は、国民や報道を萎縮させ、黙らせ、民主主義を停滞させた。報道機関を呼びつけ報道をも萎縮させた。この時代は暗かった。うっかり政権批判すると、そのしっぺ返しが怖かった。円安と大企業の買い叩きに苦しめられた輸入に依存する中小企業も、アベノミクスに批判的であった。小声で苦しそうに批判したものだ。

 

 今は、国民は平気で岸田首相の批判をするが、当時、安倍サンの批判には多くの人が口を噤んだ。

 

 横畠氏を、内閣の「法の番人」である内閣法制局長官に据えたのも、集団的自衛権を認めされるためであった。

 「黒川氏」(2020年5月)を検察トップに据えるために、内閣は彼の定年を半年延長した。彼を検察権力の頂点に導こうとしたものだった。黒川氏自身、賭け麻雀で頓挫したからよかったが、彼が検察トップとなっていたら今回のキックバック問題は摘発されなかっただろう。

 

 安倍政権時代には、「胡散臭い」人間が登場した。前掲の横畠氏、黒川氏、そして財務官僚の佐川氏。彼は公文書を政権の都合を慮(おもんばか)り書き換えさせた。書き換えに抵抗した一人の公務員の命はそのために奪われた。赤木俊夫氏の死の抗議はまだ報われていない。

 横畠氏、黒川氏、佐川氏、それに加え思い浮かぶのは、籾井NHK会長だ。彼は、報道を歪める役目を背負った人で、安倍政治に忠実なNHKトップであった。

 

 官僚人事も内閣人事局が握った。官僚は政権に忖度する人間だけが要職に就く。彼らは黙り、従順になった。そして、内閣にもの申す官僚はいなくなった。内閣が間違いを侵しても官僚は黙った。

 

 反論が封じられ議論が行われない暗い時代を作りだした。

 

 

安倍派は何だったのか。

 

 その安倍氏に従順にくっついていたのが安倍派の人々ではなかったか?陣笠である。彼ら自身、人間として、あるいは議員としてのアイデンティティがない。にもかかわらず、数々の法案や圧力に加担したことになる。自分の考えを持たない都合のよい「議員」の集まりが安倍派であった。

 

 このような集団が議員として存在することは、日本にとって大きな損失であった。

議論しない大きな塊、内部は「ブラックボックス」であった。議論しない集団の内部は見えない。

 

 8億1900万円の不正な値引きの森友問題、獣医学部を巡る身びいきの加計問題。安倍派に集まった議員達は、どのような「志」を持って安倍派を名乗ったのか。

 

自民党の自壊

 

 今、自民党が自壊しようとしている。

 

 安倍派により自民党が壊れようとしている。旧統一教会問題も、キックバック問題も、日本の政治を7年半支配した安倍派を陰で支えるための材料ではなかったか。その安倍派議員達が、黙りこんで「荒波」が通り過ぎるのをじっと待っているうちに、自民党そのものが壊れる。

 

 日本の保守には筋金入りの政治家もいたはずだ。彼らは言葉に命をかけた。

 

 一方、プーチィン・トランプ・安倍サンは言葉を壊す人々であった。それに抗うには皮肉だが言葉しかない。(しかし、残虐なロシアのウクライナ侵略を思うたびに、言葉だけでは通用し無いとも思う。)

 プーチィンやトランプは欲望そのものである。彼らと親しんだ安倍サンは、どのような戦略があったのか。彼らの戦略に利用されただけなのか。

 

 今、安倍派は黙ることで、免罪されたいと願っているが、国民は欺かれない。確定申告の時期が来る度に、これから先も毎年、安倍派は「キックバック」の代名詞として思い出されるであろう。(2024 03 08)