10年ぶりの剣道 (2022 10 9)

 

 先日(10月5日)10年ぶりに剣道をした。基本練習に少し参加しただけだが、防具を着けてメンを打ってみた。構えてメンを打つまでの感覚は、それほど違和感はなかった。日頃、素振りをするからである。特に最近は面を付けた自分の姿を想定して、竹刀の素振りを増やしていた。

 

 ところが、である。面に跳びメンを打ち終わった後の下半身の頼りなさは、遙かに事前の想像を超えていた。自分の下半身でない感じ、打った瞬間に下半身が後ろへ、下へと引っ張られる感じで、前に行かない。宮本武蔵は『五輪書』のなかで、敵に打ち込むときは相手と背比べをするのがよいと書いていたが、背比べどころか、自分が縮こまってしまうかと思われた。

 

 原文を読むと「水の巻」に、打突時の姿勢について、次のように書いている。

 

 「たけくらべという云ふ事、」のなかで「我が身の縮まざるやうにして」「身のたけをくらぶるに、くらべかつと思ふほど、たけ高くなって」云々。とある。その逆になるのが自分自身の今なのだ。

 

   ここ8年ほどは走っていない。散歩だけだ。それも影響しているのだろう。この縮み沈む感覚は大きな驚きであった、しかし、ある意味新鮮であった。

 

 今まで、感じたことがなかった感慨である。修行を怠るとこうなるのだと云う事を、身をもって教えられた。

 

 武蔵の云う事は、打突だけではなく他のことに普遍化できるだろう。

 

  今日の庭です。百日草は仏前のお供えに欠かせない。

(2022 10 9)