書きかけのブログがいくつかある。
しかし、綴れない。
この数日、インターネット上で
#Aleppo_Is_Burning
#save_aleppo
というハッシュタグが拡散されている。
私たちがゴールデンウイークに浮かれている現在、
戦争が起きている。
街が燃え尽されようとしている。
日本国内の震災を忘れてでもという意味はない。
自然災害は恐ろしい。
人間の行いも恐ろしい。
天災を止めることはできないが、人災は止められるのではないであろうか。
いや、止めなければならないのではないだろうか。
それにはまず、知らなければならないのではないだろうか。
このブログを書いたのは、昨年の11月ごろで、
色々と思うことがあって、アップできずに今まで来た。
そのため、今現在の私自身の状況とは、多少違いがある。
真っ黒い視野に、何かが白く点滅し始める。
段々と近づいてきて、それがいつか見た写真であることに気づく。
やがてそれは動画になった。
痛ましい写真や動画から目を反らさずにいたら、毎朝私の脳が揺さぶられるようになった。
さすがに日常生活に大きな影響がでるようになり、新たに情報収集用のアカウントを作り、
通常ログインしているアカウントから、出来る限りそちらに移行した。
そうすることで、確かに一時は楽になった。
しかし、目を反らした自分に耐え難くなり、元に戻すことにし、
再度、記憶を反芻した。
原因となった写真と動画は、今も私の脳の分かりやすいところに記憶されている。
以前、私は路上に晒された頭部が、穏やかに見えたことを記した。
しかし、時が経つにつれ、穏やかになど見えない写真が増え、
かつ大きな変化があった。
まだ少年と言える面立ちの頭部が晒されるようになった。
年齢や性別によって生命の価値が変わるわけではないが、
明らかに自分より弱いものにまで、狂気を振り下ろす人間により恐怖を感じた。
そして、映像も、音声も不明瞭でありながら、現実世界とは思えないある動画を直視した。
彼の地に開いた狂気の穴は、私の想像を超えて深い。
それは、彼の地の脅威たちが放つエゴに、私の自分を守ろうとするエゴが
敗北したことを意味するのかもしれない。
私が目を反らしたのとほぼ同時に脅威たちのエゴを放つアカウントが凍結されていった。
話は逸れるが、私には多くのイスラム教徒の友人がいる。
アラブ人と東南アジア人が殆どである。
友人と共に過ごすとき、とても印象に残っているアラビア語がある。
「アルハムドリッラー」
「アッラーフアクバル」
勿論、他にもたくさんあるが、国籍を問わずイスラム教徒がよく口にする言葉で、
「アルハムドリッラー」は「アッラーのお陰で」
「アッラーフアクバル」は「アッラーは偉大なり」
と訳されることが、殆どである。
記した日本語は、共に直訳である。
私には、とても不思議だった。
イメージで言うと、
「久しぶりだね。元気だった?」と尋ねると、
「アッラーのお陰でね。」
と返される。
違和感・・・
しかし時が経つにつれ、私の心に染みてきたイスラム教徒たちの在り様は、
とても「謙虚」だということだ。
慣れない外国での生活の中で、風邪をひかないように健康管理をしているのだから、
日本人の感覚からいえば、
「食べ物とか色々気を付けているから大丈夫」
などという回答が自然ではないだろうか。
健康管理は自己責任である。
異国の地で病気になりたくなければ、自己管理するしかない。
しかし、健康である自分は
「アッラーのお陰で」あり、
「自己管理をしっかりしている自分のお陰で」はないのだ。
懸命に努力し、試験に合格したら
それは
「アッラーのお陰で」あり、
未熟な自分を導いてくださる
「アッラーは偉大」なのだ。
多分私は「良いイスラム教徒」に出会ってきたのだと思う。
だから、尊敬する友に関係する彼の地に思いを馳せてしまうのだと思う。
「アルハムドリッラー」
「アッラーフアクバル」
様々な場面でこの言葉を耳にし、
この言葉が必ずしも直訳としてのみ使用されるわけではないことも知ることができた。
私たちが普段使用している日本語は「高文脈言語(文化)」と呼ばれる。
(英語は「低文脈言語(文化)」)
高文脈は東アジアに多く、西アジア(中東)にまで及ぶらしい。
知らなければならないのは、言葉には「直訳」以外のものがあるということ。
「アルハムドリッラー」
「アッラーフアクバル」
を直訳以外で表現することで、
メディアはイスラム教徒の心を私たちに伝えることが出来るだろうと思う。
文化や心に寄り添い、媚ではなくその言葉を使う人への敬愛を感じる訳。
正直に言えば、かなり難しいと思う。
私の人生において、イスラム教徒である愛する友への敬意は、必携品である。
だから私は敬意を込めて、こう言う。
私;「アルハムドリッラー(頑張ったんだね)」
友:「イエス、アルハムドリッラー(うん、頑張ったんだ)」
言葉は、私の中に浸潤する。
これは、出会いがもたらしたものであって、イスラム教徒と関わったことのない方には、
全く理解の出来ないことかもしれない。
もっと、身近に考えるなら、英語の
「OH MY GOD!」
がどのように訳されているかを気を付けてみればいいと思う。
「嗚呼、わが神よ!」などという訳が付くことは殆どない。
私の価値観を押し付けるつもりはないが、
上記に記した拙文に照らし合してある動画を観ていただきたい。
シリアでインタビューに答える飢えた少年の姿を捉えたものである。
これには、英語字幕が付いているが、簡単な訳を追記しておく。
インタビュアー 少年
「お腹すいてる?」 | 「うん」
「何日食べてないの?」 | 「2日」
「何を食べたい?」 | 「パン」
「どれ位パンを食べていないの?」 | 「長い間」
「何を食べているの?」 | 「草」
そして、インタービューア-は最後に言う。
「アッラーフアクバル」と
英語字幕は
「Allah is the greatest」と直訳が付いている。
この小さな飢えた少年のために、インタービューア-は
「アッラーは偉大なり」と思っているだろうか?
また、お腹を空かせた子どもが、その状況を
「アッラーは偉大なり」と思うだろうか?
あなたが、このインタビュアーであったとして、
同じことを思うだろうか?
あなたの心のままに、少年の痛みへの思いを訳して欲しい。
その言葉は、少年の人生に寄り添うであろう。
実は、もう1本、言葉の意味を比較できるよう
「アッラーフアクバル」を聞き取れる動画をアップするつもりだった。
その動画は有志連合軍かアサド政権による空爆を捉えた動画であり、
マネキン人形のように体の一部を失った体や、血塗れの体がそのまま再生される
まさに「戦争」の被害者と犠牲者を捉えたものである。
被害者と犠牲者の尊厳を守る意味で、ここにアップすることの意味を自問自答し続けている。
そして、2月になり私の脳のある部分は活動を停止したような状況となり、
情報は更新されないまま1か月半以上が過ぎている。
私たちは、「戦争」を忘れてしまった。
経験していないから、知らないのだとも言えるが、
未来のために、受け継いで行かなければならない経験だと思う。
動画の少年のような子どもたちは70年前、今私たちが生きている場所に
多く存在したのではないだろうか。
機能停止した私の脳は今、私が生まれ育った国が、
大きな変化をしようとしていると感じている。
それは、簡単に説明できることではない。
その私たちが、生きることを奪われた生命に、払うべき敬意が私には分からない。
自分以外の人は、敬意を払う必要もないと、
ただの好奇心で、他人事としてハリウッド映画のように楽しんでしまうのかもしれない。
しかし、「戦争」の現実を知ることで、「平和」の価値を知ることができる筈だ。
熱さ、恐怖の伝わらない、対岸の火事を、自国の歴史と結びつけて、
考えることが、今私たちに求められていることではないだろうか。
この4年、否イラク戦争から考えると10年を超える。
私はジャーナリストでも、エイドワーカーでもないが、
ただただ、そこに生きる人の無事を願って生きてきた。
友の生きる世界の痛みとして。
いつか、友を失ってしまうのかもしれないという恐怖とともに。
空腹に苦しむ少年の動画自体は、新しいものではない。
だからこそ思うのは、この少年は、成長できただろうか?
生きているだろうか?
思うことは沢山ある。
この動画を伝えたたいと思ったきっかけは、
あるメディアが、ガザの現状を伝える際にインタービューをした
少女の発する言葉につけられた字幕が理解できなかったからだ。
以前、紹介したガザの少女Mayssamよりもまだ小さい、
恐らくは5~6歳程度の虚空を見つめる少女の発言に、
「家族は殉教した」との訳がつけられていた。
少女はアラビア語で確かにそう言ったのかもしれない。
しかし、その少女は、「殉教」の意味を理解しているだろうか?
単語をを知っていることと、理解していることは、全く違う。
空腹に苦しむ少年の動画以降の拙文は、この数日書き直したものだ。
思考停止状態の脳でありながら、なぜ書かなければと思ったかというと、
もう丸4年もシリアの混迷は継続しているのだと気が付いたからだ。
動かない脳で、少しずつ書き進めているうちに、
蜂起した民衆の抗議デモをアサド独裁政権が武力鎮圧をしてから、
丸4年になった。
そう思っていたのだけれど、数日の内に、
「丸4年」は
「5年目を迎える」と表現されるようになった。
そしてその間も、世界中で悲しい出来事が起き、
世界に日本のカルト宗教の存在を知らしめた出来事が起きた日から20年の歳月が流れ、
特集番組が放送された。
その状況に私は焦りを感じ、動かない脳で必死にここまでを書いた。
拙文が、より下等になっているかと思うが、ご容赦願いたい。
大切なのは、私の拙文ではなく、今現在苦しんでいる人々の存在を知り、
私たちと同じ人間である人々の痛みへの共感である。
これは、映画の予告編でもなく、現実を凝縮した動画である。
色々と思うことがあって、アップできずに今まで来た。
そのため、今現在の私自身の状況とは、多少違いがある。
真っ黒い視野に、何かが白く点滅し始める。
段々と近づいてきて、それがいつか見た写真であることに気づく。
やがてそれは動画になった。
痛ましい写真や動画から目を反らさずにいたら、毎朝私の脳が揺さぶられるようになった。
さすがに日常生活に大きな影響がでるようになり、新たに情報収集用のアカウントを作り、
通常ログインしているアカウントから、出来る限りそちらに移行した。
そうすることで、確かに一時は楽になった。
しかし、目を反らした自分に耐え難くなり、元に戻すことにし、
再度、記憶を反芻した。
原因となった写真と動画は、今も私の脳の分かりやすいところに記憶されている。
以前、私は路上に晒された頭部が、穏やかに見えたことを記した。
しかし、時が経つにつれ、穏やかになど見えない写真が増え、
かつ大きな変化があった。
まだ少年と言える面立ちの頭部が晒されるようになった。
年齢や性別によって生命の価値が変わるわけではないが、
明らかに自分より弱いものにまで、狂気を振り下ろす人間により恐怖を感じた。
そして、映像も、音声も不明瞭でありながら、現実世界とは思えないある動画を直視した。
彼の地に開いた狂気の穴は、私の想像を超えて深い。
それは、彼の地の脅威たちが放つエゴに、私の自分を守ろうとするエゴが
敗北したことを意味するのかもしれない。
私が目を反らしたのとほぼ同時に脅威たちのエゴを放つアカウントが凍結されていった。
話は逸れるが、私には多くのイスラム教徒の友人がいる。
アラブ人と東南アジア人が殆どである。
友人と共に過ごすとき、とても印象に残っているアラビア語がある。
「アルハムドリッラー」
「アッラーフアクバル」
勿論、他にもたくさんあるが、国籍を問わずイスラム教徒がよく口にする言葉で、
「アルハムドリッラー」は「アッラーのお陰で」
「アッラーフアクバル」は「アッラーは偉大なり」
と訳されることが、殆どである。
記した日本語は、共に直訳である。
私には、とても不思議だった。
イメージで言うと、
「久しぶりだね。元気だった?」と尋ねると、
「アッラーのお陰でね。」
と返される。
違和感・・・
しかし時が経つにつれ、私の心に染みてきたイスラム教徒たちの在り様は、
とても「謙虚」だということだ。
慣れない外国での生活の中で、風邪をひかないように健康管理をしているのだから、
日本人の感覚からいえば、
「食べ物とか色々気を付けているから大丈夫」
などという回答が自然ではないだろうか。
健康管理は自己責任である。
異国の地で病気になりたくなければ、自己管理するしかない。
しかし、健康である自分は
「アッラーのお陰で」あり、
「自己管理をしっかりしている自分のお陰で」はないのだ。
懸命に努力し、試験に合格したら
それは
「アッラーのお陰で」あり、
未熟な自分を導いてくださる
「アッラーは偉大」なのだ。
多分私は「良いイスラム教徒」に出会ってきたのだと思う。
だから、尊敬する友に関係する彼の地に思いを馳せてしまうのだと思う。
「アルハムドリッラー」
「アッラーフアクバル」
様々な場面でこの言葉を耳にし、
この言葉が必ずしも直訳としてのみ使用されるわけではないことも知ることができた。
私たちが普段使用している日本語は「高文脈言語(文化)」と呼ばれる。
(英語は「低文脈言語(文化)」)
高文脈は東アジアに多く、西アジア(中東)にまで及ぶらしい。
知らなければならないのは、言葉には「直訳」以外のものがあるということ。
「アルハムドリッラー」
「アッラーフアクバル」
を直訳以外で表現することで、
メディアはイスラム教徒の心を私たちに伝えることが出来るだろうと思う。
文化や心に寄り添い、媚ではなくその言葉を使う人への敬愛を感じる訳。
正直に言えば、かなり難しいと思う。
私の人生において、イスラム教徒である愛する友への敬意は、必携品である。
だから私は敬意を込めて、こう言う。
私;「アルハムドリッラー(頑張ったんだね)」
友:「イエス、アルハムドリッラー(うん、頑張ったんだ)」
言葉は、私の中に浸潤する。
これは、出会いがもたらしたものであって、イスラム教徒と関わったことのない方には、
全く理解の出来ないことかもしれない。
もっと、身近に考えるなら、英語の
「OH MY GOD!」
がどのように訳されているかを気を付けてみればいいと思う。
「嗚呼、わが神よ!」などという訳が付くことは殆どない。
私の価値観を押し付けるつもりはないが、
上記に記した拙文に照らし合してある動画を観ていただきたい。
シリアでインタビューに答える飢えた少年の姿を捉えたものである。
これには、英語字幕が付いているが、簡単な訳を追記しておく。
インタビュアー 少年
「お腹すいてる?」 | 「うん」
「何日食べてないの?」 | 「2日」
「何を食べたい?」 | 「パン」
「どれ位パンを食べていないの?」 | 「長い間」
「何を食べているの?」 | 「草」
そして、インタービューア-は最後に言う。
「アッラーフアクバル」と
英語字幕は
「Allah is the greatest」と直訳が付いている。
この小さな飢えた少年のために、インタービューア-は
「アッラーは偉大なり」と思っているだろうか?
また、お腹を空かせた子どもが、その状況を
「アッラーは偉大なり」と思うだろうか?
あなたが、このインタビュアーであったとして、
同じことを思うだろうか?
あなたの心のままに、少年の痛みへの思いを訳して欲しい。
その言葉は、少年の人生に寄り添うであろう。
実は、もう1本、言葉の意味を比較できるよう
「アッラーフアクバル」を聞き取れる動画をアップするつもりだった。
その動画は有志連合軍かアサド政権による空爆を捉えた動画であり、
マネキン人形のように体の一部を失った体や、血塗れの体がそのまま再生される
まさに「戦争」の被害者と犠牲者を捉えたものである。
被害者と犠牲者の尊厳を守る意味で、ここにアップすることの意味を自問自答し続けている。
そして、2月になり私の脳のある部分は活動を停止したような状況となり、
情報は更新されないまま1か月半以上が過ぎている。
私たちは、「戦争」を忘れてしまった。
経験していないから、知らないのだとも言えるが、
未来のために、受け継いで行かなければならない経験だと思う。
動画の少年のような子どもたちは70年前、今私たちが生きている場所に
多く存在したのではないだろうか。
機能停止した私の脳は今、私が生まれ育った国が、
大きな変化をしようとしていると感じている。
それは、簡単に説明できることではない。
その私たちが、生きることを奪われた生命に、払うべき敬意が私には分からない。
自分以外の人は、敬意を払う必要もないと、
ただの好奇心で、他人事としてハリウッド映画のように楽しんでしまうのかもしれない。
しかし、「戦争」の現実を知ることで、「平和」の価値を知ることができる筈だ。
熱さ、恐怖の伝わらない、対岸の火事を、自国の歴史と結びつけて、
考えることが、今私たちに求められていることではないだろうか。
この4年、否イラク戦争から考えると10年を超える。
私はジャーナリストでも、エイドワーカーでもないが、
ただただ、そこに生きる人の無事を願って生きてきた。
友の生きる世界の痛みとして。
いつか、友を失ってしまうのかもしれないという恐怖とともに。
空腹に苦しむ少年の動画自体は、新しいものではない。
だからこそ思うのは、この少年は、成長できただろうか?
生きているだろうか?
思うことは沢山ある。
この動画を伝えたたいと思ったきっかけは、
あるメディアが、ガザの現状を伝える際にインタービューをした
少女の発する言葉につけられた字幕が理解できなかったからだ。
以前、紹介したガザの少女Mayssamよりもまだ小さい、
恐らくは5~6歳程度の虚空を見つめる少女の発言に、
「家族は殉教した」との訳がつけられていた。
少女はアラビア語で確かにそう言ったのかもしれない。
しかし、その少女は、「殉教」の意味を理解しているだろうか?
単語をを知っていることと、理解していることは、全く違う。
空腹に苦しむ少年の動画以降の拙文は、この数日書き直したものだ。
思考停止状態の脳でありながら、なぜ書かなければと思ったかというと、
もう丸4年もシリアの混迷は継続しているのだと気が付いたからだ。
動かない脳で、少しずつ書き進めているうちに、
蜂起した民衆の抗議デモをアサド独裁政権が武力鎮圧をしてから、
丸4年になった。
そう思っていたのだけれど、数日の内に、
「丸4年」は
「5年目を迎える」と表現されるようになった。
そしてその間も、世界中で悲しい出来事が起き、
世界に日本のカルト宗教の存在を知らしめた出来事が起きた日から20年の歳月が流れ、
特集番組が放送された。
その状況に私は焦りを感じ、動かない脳で必死にここまでを書いた。
拙文が、より下等になっているかと思うが、ご容赦願いたい。
大切なのは、私の拙文ではなく、今現在苦しんでいる人々の存在を知り、
私たちと同じ人間である人々の痛みへの共感である。
これは、映画の予告編でもなく、現実を凝縮した動画である。
このブログを読むお時間のある方は、価値のある時間の過ごし方として
フリージャーナリスト 土井敏邦氏のブログを読むことをお勧めします。
http://doi-toshikuni.net/j/column/20150130.html
無音
鳥のさえずりさえ聞こえない。
時折、風向きによって聞こえる電車の音も聞こえない。
小枝が擦れ合う音も、風の音も、雨音も聞こえない。
こんな静けさは、夢に違いない。
そう、まだ夢を見ている。
夢の始まりをを手繰り寄せよう。
静止画
静止画に流れる英語
写真
苦痛がにじむ声
オレンジ色
夢、悪夢。
夢に私の心臓は過剰反応をする。
嗚呼、忘れていた。
私の部屋にはいつも時間を刻む秒針の音が聞こえるんだった。
そう思った瞬間、秒針の音は見つかった。
悪夢が壊れた瞬間が、72時間の期限が過ぎた休日の朝だった。
1月20日以降、自宅にいる時間の殆どは、パソコンの前で情報収集をしていた。
昨年拘束された邦人1名が殺害されたと世界にアピールする動画が投稿されたときも、
私は必死に情報収集をしていた。
自分に何が出来るわけではないが、何もせずにはいられなかった。
あの夜、聞こえるはずのない音が聞こえた気がした。
ネット上が騒めいたのだ。
その動画はすぐに見つかった。
自分の目と耳で確認しながら、手にある写真は不鮮明で、嘘っぽい。
なんだか、英語の発音も違う気がする。
拘束された2人目の邦人の声とは、思えなかった。
そんな希望的推測をしたのは私だけではなく、その時私と同じ行為をしていた多くの人が、
「多分、ちがう」
と心を落ち着かせようとした。
その時、あるフリージャーナリスト氏が呟いた。
「新たに投稿された音声は、拘束された2人目の邦人の声にとても似ている。
とにかく日本政府には命を最優先に考えて欲しい。」
私を含めた多くの人が2本目の動画を探した。
引き下がることこそが恐怖だった。
2本目の動画の音声は、確かに私にも聞き覚えのある声ではあったが、信じたくはなかった。
そして誰かが呟いた。
「音声合成ソフトで声を継ぎ接ぎしたような不自然さがある」
私の心はその呟きにすがり、「悪質な悪戯だ」と震える心と体でベッドへ向かった。
無音から始まった私の翌朝は、昨夜必死に拒否した結論を突きつけられるばかりであった。
数年前から、拘束された2人目の邦人であるジャーナリスト氏の存在は知っていた。
多くの情報が人の心に刻まれるジャーナリストはどれだけいるのだろうか。
殆どの人は、今回の件で知ったのではないだろうか。
何度か書いてきたように、私が心を向けている場所が、氏の「職場」となることがあった。
正直を言えば、私は氏が好きではなかった。
私にとっては既知の情報でしかなく、
恐らくは、自己顕示欲の強さゆえに映像に写りこむ氏の姿と共に捉えられた映像は
私の知る現実よりも軽く観えたのだ。
理由をひとつあげてみるならば、氏の口角の上がったハンサムな顔や明るい声は、
紛争に苦しむ人々の現実と結びつかなかったのだ。
それはただの、私の個人的な嗜好に過ぎない。
生命に対して払われるべき敬意が変化することなどあり得ない。
私は氏の姿と、声と、名前と、映像とを記憶した。
1月20日に動画が公開される前から、氏が消息不明となっていることは知っていた。
しかし、私は悲観的ではなかった。
人生に苦悩し、絶望し、支えられ、暗闇を迷い、逃れようとした1人目の被害者は、
凡庸な私に似ている。
私たちは同じ深淵を覗いた瞬間がある気がする。
だから私の命は、ずっと1人目の被害者と共振していた。
私という取るに足らない存在にさえ刻まれていたジャーナリスト氏とは対照的である。
世の中では1人目の犠牲者はすぐに忘れられ、
ジャーナリスト氏を救うための活動が首相官邸付近で行なわれていたらしい。
"I am Kenji" というプラカードと共に。
ネット上で見る限り、"I am Haruna"と声を上げた人も少しはいたようだ。
誰かが祀り上げた氏の命は特に価値があるかのようだった。
1人目の邦人拘束が発覚した時に、この行動が起きていたならば、
2人目が拘束されることはなかったのではないかと思う人はいただろうか・・・???
私が共振する人ではない方の人・・・
しかし、私の夢に現れるのは、ジャーナリスト氏ばかりである。
いつも緊急速報として私の夢の中の視界が遮られる。
私の夢の中で、何度、氏の命は奪われたであろうか。
不安は色褪せず、名を変えて私の中に陣取っている。
記憶は生々しく、夢を経てまだ受け入れられない事件を私に突きつける。
いつの間にか、私の記憶のどこかは塗り替えられ、
殺意は私に向けられ、奪われたのは私の命だということになっている。
時計のない部屋であっても、自分の心音から逃れることは出来ない。
「JOGO」という聞きなれない音と、恐らくはその深い信仰心が、人々の関心を買った。
これは氏の婚姻関係に基づいた正式な姓であったのだが、一部の人に国籍を疑われ、
バッシングが繰り返された。
我が子の無事を乞い、「世界平和」を願ったご母堂も、酷くバッシングされた。
※事件後、"平和"が左翼用語として認識されているというブログを読んだ。
”「政権批判を自粛する空気が社会やマスメディアに広がるのを危惧する」
作家や映画監督、ジャーナリストら言論人が「声明」を発表”
http://blogos.com/article/105276/
また、ありふれた氏の姓名をもとに、過去が大々的に誤報された。
もしかしたらそれは、人々の「楽観」だったのかもしれない。
日本社会が氏を聖人化することには、「贖罪」だったのかもしれない。
しかしそれは結果的には誰かにとって「不都合な真実」から目を背けさせることになった。
私は疲弊している。
出来うる限り、追い続けた結果、体調を崩し、目が落ち窪んだが、
何事もないかのように振る舞っている。
このブログも、もしかしたら支離滅裂で理解不能な文章を書いてしまっているかもしれない。
人々は、何事もなかったかのように次のイベントであるバレンタインデーに狂喜乱舞していた。
今も、時々ジャーナリスト氏の志に感銘を受けたという誰かの呟きを、氏の友人が繰り返す。
勿論、それは終わったこととして繰り返されている。
バレンタインというイベントが終わり、
新たに被害者、加害者ともが少年という凄惨極まる殺人事件が起きた。
氏の英雄化も、そう長くは続かず、
日本人の好きな、流行のひとつで終わってしまうであろう。
氏は、英雄ではなく、ジャーナリストである。
ジャーナリストの商材となる情報の多くは、鮮度が重要であることが多い。
氏の遺志を継いで、などと軽々しく言われる方は、過去に出された著作物だけではなく、
氏がこれから先、向かっていたかもしれない場所にも意識を向けるべきではないか?
もう、私は有志連合軍の空爆による犠牲者をアサド政権下の犠牲者と考えることはできない。
ヨルダン人パイロットが焼殺された場所は、有志連合軍の空爆により55名の非戦闘員が
殺害された場所だそうだ。
非戦闘員とは、女性と子どもを意味する。
残念ながら、最新鋭の武器には人の善悪を感知するセンサーはついていないらしい。
有志連合軍の空爆による被害者は世界の被害者である。
ネットには、多くの情報がある。勿論、信用度に問題はあるが。
マスメディアが「配慮」して敢えて報道しなかった現実が転がっている。
昨今の日本のマスメディアの偏向報道は見るに堪えない。
私は生活サイクルの関係で、プライムタイムのニュースを視聴することは殆どない。
しかし、少しでも情報を得たく、テレビニュースも視聴した。
改めて、メディアとジャーナリズムの違いを感じた。
日本のマスメディアは、日本人の思考停止を企てているとしか私には思えない。
ナントカ第3(5)夫人は、
母を棄て、弟を棄て、国籍を棄て、他国に嫁いだ。
そして、クーデターが起きたとき、何故か日本大使館に助けを求めた。
しかし、日本人被害者のご家族に地にひれ伏して許しを乞えと言い、
日本人被害者に「自決」を望んだ。
インドネシア人が書いたそのブログに賛同する日本人が多数いることが
海外メディアで報じられた。
私は自己責任論は嫌いではない。
自戒、自省といった言葉と共に、自らに突きつける言葉である。
決して、他者に突き刺す凶器ではない。
いつも思うことだが、自己責任論を振りかざす人間ほど、ご家族、ご遺族のもとに押し掛ける。
そして、謝罪を求める。
そこにあるのは、連帯責任である。
この矛盾を誰もが無視する。
家族を失った痛みを口にすることは許されない。
「自己」とは何かを理解・説明する義務があるのではないか?
何故、子を亡くした人に、悲しみ以外の言葉を求めるのだ?
私の知る限り、イスラム法に基づいた裁判が行われた等、
2人の殺害を正当化できる根拠はどこにもない。
殺人事件の被害者や、ご遺族を糾弾する国民性は奇異なものとして注目された。
テレビや新聞では決して伝えない「不都合な真実」はネット上には無数にある。
陰謀論、謀略論と言われるものもある。
読む価値もないものが多いが、様々な視点を知ることで、
リアルタイムで情報収集していた自分がその時感じた疑問や、違和感が
自分の中に着地することがある。
あの映像を取った理由はなんだろう?
あの日程はなぜだろう?
あの発言内容はなぜだろう?
情報を追い続ける過程で生まれた疑問や違和感は、他者の分析という
自分にはない視点を助けにすることにによって、
折り合いがつくことがある。
他者の意見を丸ごと受け入れて自分の意見にすり替えるようなことはしない。
陰謀も、謀略も私には必要はない。
こじつけではなく、自分の疑問を解くための新たな視点を取り入れるに過ぎない。
無論、彼の地の脅威から目を背けないよう、今後も出来うる限りの情報収集をしていくつもりだ。
中東の情報をリアルタイムで捕まえるには、大体目安を午前4時としている。
現地時間で午後10時ごろである。
2月1日午前4時頃、私はベッドに向かった。
そしてその6時間後に最後の映像が公開されていたことを知った。
私の記憶違いでなければ、動画が投稿されたのは恐らく午前3時30分から50分の間で、
日本政府が確認したのは午前4時30分頃だったそうだ。
私の予測は当たっていたのだが、辿り着けなかった。
私は、愛用していたオレンジ色の厚手のシャツを視界に入らないところに隠した。
国会は「テロには屈しない」という趣旨の決議を全会一致で採択したそうだ。
こんなばかばかしい決議は聞いたことがない。
「テロに屈する」者などいない。
心身への暴力によって、何かを強制され、それを受け入れてしまったとしても、
それは「テロに屈した」のではない。
「テロに屈する」者がいるとするならば、
他者の尊厳や生命の価値を忘れ、暴力を行使してしまった者である。
人は、それを「テロリスト」と呼ぶ。
以前少し書いたように、「有識者」と呼ばれる人たちが、彼の地の脅威を
「テロリストと呼ぶべきではない」と言っていた。
しかし、今は誰しもが「テロリスト」と呼ぶ。
今、「テロリスト」と呼ぶべきではないとの趣旨を唱えている専門家は
ひとりしか知らない。
私も今、彼の地の脅威を「テロリスト」と呼ぶべきではないと考えている。
脅威は、社会病理であり、地球をひとつの生命体に例えるならば、
「病巣」だと考えている。
誰もが連呼する「テロリスト」という言葉は、軽薄だ。
だが、「病巣」から目を反らし、忘れていく人々は
「屈した」人とみなして、私はこの事件について、もうしばらく考えようと思う。
4週間前の、ちょうど今頃、2人目の犠牲者の動画が公開されたと思われる。
あなたは、この4週間どう過ごしていましたか?
※リンクが間違っていたことに気が付きましたので、リンク先を修正しました。
フリージャーナリスト 土井敏邦氏のブログを読むことをお勧めします。
http://doi-toshikuni.net/j/column/20150130.html
無音
鳥のさえずりさえ聞こえない。
時折、風向きによって聞こえる電車の音も聞こえない。
小枝が擦れ合う音も、風の音も、雨音も聞こえない。
こんな静けさは、夢に違いない。
そう、まだ夢を見ている。
夢の始まりをを手繰り寄せよう。
静止画
静止画に流れる英語
写真
苦痛がにじむ声
オレンジ色
夢、悪夢。
夢に私の心臓は過剰反応をする。
嗚呼、忘れていた。
私の部屋にはいつも時間を刻む秒針の音が聞こえるんだった。
そう思った瞬間、秒針の音は見つかった。
悪夢が壊れた瞬間が、72時間の期限が過ぎた休日の朝だった。
1月20日以降、自宅にいる時間の殆どは、パソコンの前で情報収集をしていた。
昨年拘束された邦人1名が殺害されたと世界にアピールする動画が投稿されたときも、
私は必死に情報収集をしていた。
自分に何が出来るわけではないが、何もせずにはいられなかった。
あの夜、聞こえるはずのない音が聞こえた気がした。
ネット上が騒めいたのだ。
その動画はすぐに見つかった。
自分の目と耳で確認しながら、手にある写真は不鮮明で、嘘っぽい。
なんだか、英語の発音も違う気がする。
拘束された2人目の邦人の声とは、思えなかった。
そんな希望的推測をしたのは私だけではなく、その時私と同じ行為をしていた多くの人が、
「多分、ちがう」
と心を落ち着かせようとした。
その時、あるフリージャーナリスト氏が呟いた。
「新たに投稿された音声は、拘束された2人目の邦人の声にとても似ている。
とにかく日本政府には命を最優先に考えて欲しい。」
私を含めた多くの人が2本目の動画を探した。
引き下がることこそが恐怖だった。
2本目の動画の音声は、確かに私にも聞き覚えのある声ではあったが、信じたくはなかった。
そして誰かが呟いた。
「音声合成ソフトで声を継ぎ接ぎしたような不自然さがある」
私の心はその呟きにすがり、「悪質な悪戯だ」と震える心と体でベッドへ向かった。
無音から始まった私の翌朝は、昨夜必死に拒否した結論を突きつけられるばかりであった。
数年前から、拘束された2人目の邦人であるジャーナリスト氏の存在は知っていた。
多くの情報が人の心に刻まれるジャーナリストはどれだけいるのだろうか。
殆どの人は、今回の件で知ったのではないだろうか。
何度か書いてきたように、私が心を向けている場所が、氏の「職場」となることがあった。
正直を言えば、私は氏が好きではなかった。
私にとっては既知の情報でしかなく、
恐らくは、自己顕示欲の強さゆえに映像に写りこむ氏の姿と共に捉えられた映像は
私の知る現実よりも軽く観えたのだ。
理由をひとつあげてみるならば、氏の口角の上がったハンサムな顔や明るい声は、
紛争に苦しむ人々の現実と結びつかなかったのだ。
それはただの、私の個人的な嗜好に過ぎない。
生命に対して払われるべき敬意が変化することなどあり得ない。
私は氏の姿と、声と、名前と、映像とを記憶した。
1月20日に動画が公開される前から、氏が消息不明となっていることは知っていた。
しかし、私は悲観的ではなかった。
人生に苦悩し、絶望し、支えられ、暗闇を迷い、逃れようとした1人目の被害者は、
凡庸な私に似ている。
私たちは同じ深淵を覗いた瞬間がある気がする。
だから私の命は、ずっと1人目の被害者と共振していた。
私という取るに足らない存在にさえ刻まれていたジャーナリスト氏とは対照的である。
世の中では1人目の犠牲者はすぐに忘れられ、
ジャーナリスト氏を救うための活動が首相官邸付近で行なわれていたらしい。
"I am Kenji" というプラカードと共に。
ネット上で見る限り、"I am Haruna"と声を上げた人も少しはいたようだ。
誰かが祀り上げた氏の命は特に価値があるかのようだった。
1人目の邦人拘束が発覚した時に、この行動が起きていたならば、
2人目が拘束されることはなかったのではないかと思う人はいただろうか・・・???
私が共振する人ではない方の人・・・
しかし、私の夢に現れるのは、ジャーナリスト氏ばかりである。
いつも緊急速報として私の夢の中の視界が遮られる。
私の夢の中で、何度、氏の命は奪われたであろうか。
不安は色褪せず、名を変えて私の中に陣取っている。
記憶は生々しく、夢を経てまだ受け入れられない事件を私に突きつける。
いつの間にか、私の記憶のどこかは塗り替えられ、
殺意は私に向けられ、奪われたのは私の命だということになっている。
時計のない部屋であっても、自分の心音から逃れることは出来ない。
「JOGO」という聞きなれない音と、恐らくはその深い信仰心が、人々の関心を買った。
これは氏の婚姻関係に基づいた正式な姓であったのだが、一部の人に国籍を疑われ、
バッシングが繰り返された。
我が子の無事を乞い、「世界平和」を願ったご母堂も、酷くバッシングされた。
※事件後、"平和"が左翼用語として認識されているというブログを読んだ。
”「政権批判を自粛する空気が社会やマスメディアに広がるのを危惧する」
作家や映画監督、ジャーナリストら言論人が「声明」を発表”
http://blogos.com/article/105276/
また、ありふれた氏の姓名をもとに、過去が大々的に誤報された。
もしかしたらそれは、人々の「楽観」だったのかもしれない。
日本社会が氏を聖人化することには、「贖罪」だったのかもしれない。
しかしそれは結果的には誰かにとって「不都合な真実」から目を背けさせることになった。
私は疲弊している。
出来うる限り、追い続けた結果、体調を崩し、目が落ち窪んだが、
何事もないかのように振る舞っている。
このブログも、もしかしたら支離滅裂で理解不能な文章を書いてしまっているかもしれない。
人々は、何事もなかったかのように次のイベントであるバレンタインデーに狂喜乱舞していた。
今も、時々ジャーナリスト氏の志に感銘を受けたという誰かの呟きを、氏の友人が繰り返す。
勿論、それは終わったこととして繰り返されている。
バレンタインというイベントが終わり、
新たに被害者、加害者ともが少年という凄惨極まる殺人事件が起きた。
氏の英雄化も、そう長くは続かず、
日本人の好きな、流行のひとつで終わってしまうであろう。
氏は、英雄ではなく、ジャーナリストである。
ジャーナリストの商材となる情報の多くは、鮮度が重要であることが多い。
氏の遺志を継いで、などと軽々しく言われる方は、過去に出された著作物だけではなく、
氏がこれから先、向かっていたかもしれない場所にも意識を向けるべきではないか?
もう、私は有志連合軍の空爆による犠牲者をアサド政権下の犠牲者と考えることはできない。
ヨルダン人パイロットが焼殺された場所は、有志連合軍の空爆により55名の非戦闘員が
殺害された場所だそうだ。
非戦闘員とは、女性と子どもを意味する。
残念ながら、最新鋭の武器には人の善悪を感知するセンサーはついていないらしい。
有志連合軍の空爆による被害者は世界の被害者である。
ネットには、多くの情報がある。勿論、信用度に問題はあるが。
マスメディアが「配慮」して敢えて報道しなかった現実が転がっている。
昨今の日本のマスメディアの偏向報道は見るに堪えない。
私は生活サイクルの関係で、プライムタイムのニュースを視聴することは殆どない。
しかし、少しでも情報を得たく、テレビニュースも視聴した。
改めて、メディアとジャーナリズムの違いを感じた。
日本のマスメディアは、日本人の思考停止を企てているとしか私には思えない。
ナントカ第3(5)夫人は、
母を棄て、弟を棄て、国籍を棄て、他国に嫁いだ。
そして、クーデターが起きたとき、何故か日本大使館に助けを求めた。
しかし、日本人被害者のご家族に地にひれ伏して許しを乞えと言い、
日本人被害者に「自決」を望んだ。
インドネシア人が書いたそのブログに賛同する日本人が多数いることが
海外メディアで報じられた。
私は自己責任論は嫌いではない。
自戒、自省といった言葉と共に、自らに突きつける言葉である。
決して、他者に突き刺す凶器ではない。
いつも思うことだが、自己責任論を振りかざす人間ほど、ご家族、ご遺族のもとに押し掛ける。
そして、謝罪を求める。
そこにあるのは、連帯責任である。
この矛盾を誰もが無視する。
家族を失った痛みを口にすることは許されない。
「自己」とは何かを理解・説明する義務があるのではないか?
何故、子を亡くした人に、悲しみ以外の言葉を求めるのだ?
私の知る限り、イスラム法に基づいた裁判が行われた等、
2人の殺害を正当化できる根拠はどこにもない。
殺人事件の被害者や、ご遺族を糾弾する国民性は奇異なものとして注目された。
テレビや新聞では決して伝えない「不都合な真実」はネット上には無数にある。
陰謀論、謀略論と言われるものもある。
読む価値もないものが多いが、様々な視点を知ることで、
リアルタイムで情報収集していた自分がその時感じた疑問や、違和感が
自分の中に着地することがある。
あの映像を取った理由はなんだろう?
あの日程はなぜだろう?
あの発言内容はなぜだろう?
情報を追い続ける過程で生まれた疑問や違和感は、他者の分析という
自分にはない視点を助けにすることにによって、
折り合いがつくことがある。
他者の意見を丸ごと受け入れて自分の意見にすり替えるようなことはしない。
陰謀も、謀略も私には必要はない。
こじつけではなく、自分の疑問を解くための新たな視点を取り入れるに過ぎない。
無論、彼の地の脅威から目を背けないよう、今後も出来うる限りの情報収集をしていくつもりだ。
中東の情報をリアルタイムで捕まえるには、大体目安を午前4時としている。
現地時間で午後10時ごろである。
2月1日午前4時頃、私はベッドに向かった。
そしてその6時間後に最後の映像が公開されていたことを知った。
私の記憶違いでなければ、動画が投稿されたのは恐らく午前3時30分から50分の間で、
日本政府が確認したのは午前4時30分頃だったそうだ。
私の予測は当たっていたのだが、辿り着けなかった。
私は、愛用していたオレンジ色の厚手のシャツを視界に入らないところに隠した。
国会は「テロには屈しない」という趣旨の決議を全会一致で採択したそうだ。
こんなばかばかしい決議は聞いたことがない。
「テロに屈する」者などいない。
心身への暴力によって、何かを強制され、それを受け入れてしまったとしても、
それは「テロに屈した」のではない。
「テロに屈する」者がいるとするならば、
他者の尊厳や生命の価値を忘れ、暴力を行使してしまった者である。
人は、それを「テロリスト」と呼ぶ。
以前少し書いたように、「有識者」と呼ばれる人たちが、彼の地の脅威を
「テロリストと呼ぶべきではない」と言っていた。
しかし、今は誰しもが「テロリスト」と呼ぶ。
今、「テロリスト」と呼ぶべきではないとの趣旨を唱えている専門家は
ひとりしか知らない。
私も今、彼の地の脅威を「テロリスト」と呼ぶべきではないと考えている。
脅威は、社会病理であり、地球をひとつの生命体に例えるならば、
「病巣」だと考えている。
誰もが連呼する「テロリスト」という言葉は、軽薄だ。
だが、「病巣」から目を反らし、忘れていく人々は
「屈した」人とみなして、私はこの事件について、もうしばらく考えようと思う。
4週間前の、ちょうど今頃、2人目の犠牲者の動画が公開されたと思われる。
あなたは、この4週間どう過ごしていましたか?
※リンクが間違っていたことに気が付きましたので、リンク先を修正しました。