以前も書きましたが、
「障害」 差し障りがある害
特に「害」がある人とは今時は言わない。
発達に関わる先生たちは「躓いている人」
「躓がい」と表現してくださっている。
なので私も「躓がい」と表記します。
ヒイロの躓きを受けいれるのには時間がかかりました。
小学校入学前、グレーと診断されたとき、飛びあがって喜びました。
ヒイロの事が心配で、ずっと晴れなかった私の心の曇り空が、ばぁっと晴れて目の前が明るくなりました。
とにかくこちら側(定型児側)であると分かり、
安心しました。
定型児の人たちだって、変わった人は山ほどいるし、
ヒイロみたいな子は世の中いっぱいいるんじゃないの?
大丈夫、10人10色やっていけるよ。
でも、グレーだからどこかで辛くなって躓くかもしれない。
その時はヒイロの幸せを一番に考えて動くんだ。
その気持ちは忘れないように。。。
しょうがい名を付けるのは今でも抵抗があるし、(だからつけてない)
児相に行くのもずっと抵抗感があった。
そんな中で、今回児相にも笑顔で出向く事が出来たのは、16年間という時間のおかげだろう。
これが、3歳やらで行っていたら、児相に相談しなくてはならない子どもの状況、自分がおかれている現実に泣き崩れていたかもしれない。
児相の施設もめっちゃ暗かったし、古びてて哀愁を誘うには十分な環境だったし。
でも、今はヒイロの弱さをほぼ受け入れている。と思う。
小学校、中学校と、自尊心がなくなり、いじめられたり、かわいそうだった。
ヒイロに社会性がないせいもあるが、それがヒイロのグレーたる由縁でもあった。
そんなヒイロが、三年後就職する確率が高くなってきた。
高校の先生が背中を押して下さった。
ありがとう。
ヒイロはお守りを頂けることが分かったから。
お母さんはずっと助けてあげれないから、
お守りがもらえる今は、あのとき大喜びしたあっち側ではない人になったのかもしれないけど、
今はヒイロの弱さを助けてもらえる判断が降りたことに、あのときと同じように私の心は澄みわたってる。
児相で手帳の判断がおりても申請に行かない保護者もいると聞いた。
子どもが手帳を持つことに迷っているのだそう。
それがどうだ私ときたら、手帳がもらえる!
ばんざーいときたもんだ。
ヒイロが、軽いせいも大いにあると思いますが。