http://amamikyo.amamin.jp/e66167.html より転載


表面意識と潜在意識(佐竹館長)2010/11/17

2010.11.17 湯布院正心館七の日感謝奉納式典
佐竹館長講話

 ☆★表面意識と潜在意識☆★


 皆様、こんにちは。ようこそ、湯布院正心館においで頂きました。本日は11月度の2度目の七の日でございます。この尊い日を、ここ湯布院正心館にて相集うことができましたことを、主に心より感謝申し上げます。


 私たちは、この地上に転生する前は、霊天上界におりました。そして、この霊天上界では、霊として自由自在な生活をしていたわけでございます。そこでは、どこからエネルギーを供給していたかと申しますと、それは霊太陽からエネルギーを得ていたということでございます。この地上でも、日中は太陽が輝いておりますが、このような光を受けて生きていたということです。そして、この霊太陽でございますけれども、今明かされている真実は、この霊界における霊太陽にエネルギーを供給しているご存在がおられると。その名をエル・カンターレと言うと、このようにお教えを頂いております。


このあらゆるエネルギーの供給源、源となっているご存在を、エル・カンターレと言うのだということでございます。
 そして、その主の光を受けて、私たちは自由な生活をしていたわけですけれども、この地上に転生致しますと、それが全く逆さまになって参ります。本来の霊界世界があの世の世界と呼ばれ、また潜在意識という世界の中に入っているということで、まあ潜在するわけですから、普通は気づかない世界になってしまうというのが、この世の生活でございます。


 そしてまた、釈尊はこのようにも言われました。人生は苦であると。この苦というのは、この地上世界に私たちが生きている上におきましては、あらゆる苦しみというのが現れてくる。何故かというと、これは天上界ではない世界に来たからです。そこで、この苦しみの正体を見るとですね、それは悩みというものだと。さらに、悩みというものの正体を大きく分類すると二つある。


一つはその原因となるものが、自己憐憫、自己中心の思いと言いますか、自分可愛いという考え方、或いは自己保存というのがあります。自分可愛さ、或いは自分を哀れむというような心が一つでございます。


もう一つは、恐れであると。何とは言われぬ心の不安・恐れ、未来に対する不安・恐れですね。こういったものが、一つの悩みの原因であると。


 では、何故そのような悩みができるのかというと、天上界と引き比べてみると分かって参ります。それは、この世は全く逆の世界で、この地上にいますと霊界のことを忘れております。そのために、無明とも言われる心の暗さ・智慧がないとこういった状況で、この地上の苦しみ・悩みというものが出てくる。こういったマイナスの思いですね、自分に対する否定的な思いというものが、オギャアと生まれて子供時代から大人になってくる間に、どんどんどんどん出て参ります。


その思いはどこに出るかというと、表面意識に出て参ります。潜在しているから分からないんですけれども、毎日日常生活をしていると出てくるこの思い、これを表面意識と言います。この表面意識の中で、マイナスの思いがどんどんどんどん出てくるとですね、知らないうちに潜在意識の方にマイナスの思いが沈殿していくのであると。溜まっていくわけですね。気がつかないんですが、少しずつ少しずつ溜まっていく。


この溜まってきたマイナスの思いが、ある一定量になってくると生き物のような動きをし出すと。この潜在意識が。例えばですね、自分を否定するような思いがどんどんどんどん溜まってくると、勝手に自分を否定するような思いが生き物のように動き出すんだと。これが更に不幸を加速度化して参ります。これが表面意識と潜在意識というものでございます。


 そして、よく反省をしなさいと言われるわけですけれども、この反省は想念帯の曇りを晴らすのだと言われています。この想念帯の曇り自身が、実は先ほど申し上げたマイナスの想念の沈殿を起こしていくわけです。沈殿してきますとそこに堆積してきますから、本来仏の霊太陽の光が、仏性の光が射して来ているにも関わらず、それを遮ることになって参ります。これで影を作ってくると。ですから、想念帯の曇りというのは、潜在意識に沈殿してきたマイナスの思いがそこに溜まってくるので、本来の仏性の輝きをそこで止めてしまう。これがですね、人生を暗くしていくことになります。


 そこでですね、この想念の曇り、或いはマイナスの想念が溜まるとどうなるかというと、こういうことが起きるわけです。表面意識では健康を願っているにも関わらず、病気になるんです。或いは、表面意識では豊かな生活を望んでいるにもかかわらず、貧乏になるんです。表面意識ではもっと自由に生きようとしているにもかかわらず、潜在意識的には悪霊を呼び込むということが起きてくるわけです。何故呼び込むか。潜在意識がマイナスの想念を持っているので、その波長に同通したものを呼び込む。それによって憑依というのが起きてくる。そして、人生が暗転していくと、運勢が暗転していくという状況が起きるということでございます。


 それでは幸福の道を目指すにはどのようにすればよいのかというと、この逆をやればいいということになります。今までのプロセスの逆をやろうではないかと。まず、想念帯の曇りを晴らしていこうではないかということです。その順序は、よく潜在意識を変えよと言われるんですけれども、潜在意識の変え方のことを言うんですね。どうすればいいかというと、逆をやればいいんです。


ですから、もう一度思い出すとですね、自分の表面意識にマイナスの思いや愚痴・不平不満が、毎日毎日繰り返すんですよ。こういったことを知らないうちにぼやいているんですね、愚痴っている。これが溜まってくるわけです。だから、潜在意識が重くなって病気になったと。では、この病気を治したいのであれば、表面意識から変えなければいけないわけです。表面意識を今度は逆のものにすると。


それは主を信じるという行いが、まずあります。偉大なる主をまず信じる。そして、この偉大なる主を信じる時に、想念帯を光明化するにあたっては、まずエル・カンターレというご存在をよく認識してほしい。あの世の霊太陽にエネルギーを供給されている方である。即ち、すべてのすべての方である。すべてのすべての方を信じることを、絶対の信仰と言います。


すべての方を信じるわけですから、これは絶対の世界です。ですから、絶対の信仰を持ちましょうとこのように言われるわけです。では、具体的に言うとどういうことかと言うと、主に対して信仰に対して、従順な心、或いは敬虔な心、服従の心、こういった主を受け入れる心を持ってほしいと。これがまず信仰です。
そうしますと、霊太陽に雲がかかっておりましても、その上に青空が輝いている。そこに太陽が輝いている、この太陽というものを思い起こしてほしいと。表面意識で思い起こす。これを自分が愚痴った分だけ、常に念ってほしいということですね。念っていますと、今度は逆に想念帯に太陽が照ってくることになる。これが曇りを晴らしていくんだと。


 それを更に具体的に言うとどうなるかというとですね、正心法語の読踊というものがあります。日々この正心法語を読踊する。何故ならば、正心法語は光だからです。偉大なる主より、エル・カンターレより降ろされているこの正心法語は光です。光ですから、この光を、光の言葉を読踊するということは、表面意識にこれをまずぶち込んでいますね。これを何度も何度も繰り返していますと、これが潜在意識に落ちてくるんだと。


そして、次に何をするかというと、四正道、愛・知・反省・発展というものを、ぜひ実践をして頂きたいと。この実践もですね、時々やる人もいるんですよ。或いは、たまにやる人もいらっしゃるわけですけれども、これが日常的なものになってきて、毎日毎日この四正道に基づいて生活するということが起きてきますと、またこれも潜在意識に降りていきます。それによって、今まで曇りを作ってきた想念帯を晴らしていくことになると。


 晴らしていきますと、私たちの想念帯が透明になりますと、潜在意識と表面意識が一致するという状況が起きてくるんだと。表面意識で考えていることと潜在意識で考えていることが一緒なんだということなんですよ。これを何と言うかというと、奇跡の瞬間と言うのだ。今この奇跡というものが、数多く語られる時代になってきております。主は信仰により奇跡が起きると言われておりますが、如何にして奇跡が起きるかというと、表面意識と潜在意識が一致するということによって起きるわけです。


これは逆のことも起きているわけです。表面意識も病気の意識、潜在意識も病気の意識、あっという間に病気になります。表面意識も健康、潜在意識も健康、あっという間に健康になっていく。これがですね、私たちがお教え頂いている真理でございます。


 そして、主はこのように私たちにお教えを頂いております。信じる心が奇跡を起こすと。で、まず信じるのは、表面意識で信じる。信じ続けることによって、潜在意識に降りる。そうすると、奇跡を求めなくても起きてくると。それは心の底が光で満ちている以上、主の御心と同通して参りますから。ある方がですね、この方に健康になってほしいと思ったら、光が臨むということが起きます。何故かというと、光が通過するからです。或いは、自分自身がこうして行かなければいけないと思ったら、そちらの方に行くわけです。発展しなければいけないと思ったら発展するし、健康になるべきだと思ったら健康になっていく。或いは、何か不都合なことが起きた時に、こうあるべきだと思ったらなる。何故かというと、天上界と同通しておりますので、私利私欲ではないからです。無我の心に基づいて愛を実践されるということは、実現していく。これが、今から始まる奇跡の時代ではないかとこのように思います。


 そこには主を信じる絶対の心があって、ただ一瞬信じるものではなくて、信じ続けるという精進があって初めて表面意識と潜在意識が同通していく。そして、今まで不幸であったならば、信仰に基づいて正心法語と四正道を実践するならば、自分の人生は変えられるということになるわけです。ですから、幸福の道に入ることができるのである。今、私たちが求められているのは、主を信じるということを中心とした生活、或いは人生ということであろうとこのように思います。


そうしますと、偉大な奇跡が今から起きてくる。それによって、今までなかなか伝道が不可能であった方々、或いは人生の問題が突破できなかった問題が解決する、或いはなかなか治らなかった病気が治る。或いは、霊障の方を救うことができる、こういった偉大な力が巻き起こってくることによって、主の信仰の実証というものが為されるということではないかと思います。これによって、この日本の国の国難というものを救い、また全人類救済をするという、一つの道筋というものが見えてくるのではないかと思います。これが基本中の基本でございます。


 ですから、主が言われる信仰による奇跡というものは、この信仰を日常的なものにすると。習慣化することによって、表面意識と潜在意識、この世とあの世が通じると。それによって、あの世の原理がこの地上においても実現すると、あの世の法則通りになっていくということを言っているのではないかと、このように思います。


今その実践を私たちは求められておりますので、日々こういった信仰による奇跡というものを実践していかなければならないと思います。そのためには、まず日々そのような念いを続けるということと、時々心を澄ます瞬間も必要である。こういった精舎にお越しになって、心を澄ます瞬間も必要である。こういった精舎にお越しになって、心静かに保った時に、また非常にクリアな心が出る。そうするとそこでまた、潜在意識に光が入って参ります。この二つによって、精進することによって、主の御手足となれるということではないかと思いますので、共に精進して参りたいと思います。ありがとうございました。


転載終わり



感謝