我が懐かしの「三渓園」 | avrilの贖い

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いつかの記事でお話ししたが  Kateの幼い頃  本牧通り沿いには  両側に米軍住宅が広がり  その向こうは砂浜と海だった。

今も海はあるけれど  石油コンビナートや高速道路の高架が建つ埋め立て地の向こうに遠のいた。

幼すぎて  記憶は途切れ途切れだが  本牧に泳げる海があった昔のこと  潮干狩りに連れてきてもらったのは三渓園だったことを覚えている。


今は自宅から近いのに(近いからか)  なかなか訪れることがなかった。

この日は薄曇り~画像が暗いが  三渓園の門を入ると  このような風景。




まずは「三渓園」について  リーフレットを引用し  少しご説明しよう。

三渓園は  明治時代末から大正時代にかけて製糸・生糸貿易で財を成した横浜の実業家で茶人でもある  原三渓(富太郎)が  東京湾に面した"三之谷"と呼ばれる谷あいの地に造り上げた  広さ175,000㎡の日本庭園である。
(ちなみに"三の谷"と言う地名は現在も使われている)


明治39(1906)年に一般に公開された外苑と  三渓が私庭としていた内苑から成り  京都や鎌倉などから集められた17棟の歴史的建造物と  四季折々の自然とが見事に調和した景観が見所となっている。

三渓は  芸術家や文学者などの文化人たちと広く交流したことでも知られ  三渓園は美術・文学・茶の湯など近代日本文化の一端を育んだ場所でもある。

学術上・芸術上  そして鑑賞上優れていることから  平成19(2007)年には国の名勝に指定され  庭園全域も文化財として位置づけられた。




今年2016年のイベントスケジュール。

観梅会  観桜の夕べ  蛍の夕べ  観月会  などなど  何と風流なこと!

このリーフレットには  三渓園でいつ  どんなお花が見頃かも紹介されている。 




小高い丘に建っているのは  三渓園のランドマークとも言える「旧灯明寺三重塔」。
京都より移築されたものだが  詳しい説明は  アップの画像と共にまた改めて。




だいたい順路に沿って歩いてみた。
しばし  お付き合いを。



「鶴翔閣」
明治35(1902)年  三渓が住まいとして建てた  延床面積950㎡の規模を誇る建築。
三渓と交流のあった文化人や政財界人らが多く出入りした。





「御門」
京都東山の西方寺にあった薬医門。
宝栄5(1708)年頃の建築で  大正時代に移築された。



この白塀の内側に  三渓が隠居所として夫人と暮らした数寄屋風建築の「白雲邸」がある。
大正9(1920)年建築。





「臨春閣」  重要文化財。
紀州徳川家初代藩主の頼宣が紀州和歌山に建てた数寄屋風書院造りの建築。

江戸時代  慶安2(1649)年建築。  
大正6(1917)年移築。












狩野派などの絵師による襖絵など  内部には洗練されたデザインが各所に見られる。
(オリジナルは三渓記念館で保管・展示)







「旧天瑞寺寿塔覆堂」重要文化財。

豊臣秀吉が京都  大徳寺に母の長寿祈願のために建てさせた寿塔(生前墓)を納めるための建築。

桃山時代  天正19(1591)年建築。  
明治38(1905)年移築。







「月華殿」 重要文化財。

京都  伏見城にあった  大名来城の際の控え所として使われたとされる建物。

江戸時代  慶長8(1603)年建築。
大正7(1918)年移築。







「天授院」  重要文化財。

鎌倉  建長寺近くの心平寺跡にあった禅宗様の地蔵堂の建物。

江戸時代  慶安4(1651)年建築。
大正5(1916)年移築。







「聴秋閣」  重要文化財。

京都  二条城内にあったといわれる  徳川家光・春日局ゆかりの楼閣建築。

江戸時代  元和9(1623)年建築。
大正11(1922)年移築。





画像数の関係で本日はここまで。

  To  be  continued・・・

                                                      Kate♪