うちの猫🐈余命1ヶ月、いきなり。
生きているものは、必ず死ぬのだけれど
流石に目の前で宣告されるのは辛い。
この猫は、幸せだったかな。。
どう生きたかったかな〜?
家より外猫の方が幸せかもしれないな〜。
あの時、ブサイクと言わなければよかった!
運動神経も器量も悪く障害のある猫でしたからツイツイからかい過ぎて。。(反省)
残り少ない彼女の命を
どうしてあげれば良いのだろう。
獣医さんは、延命の説明を淡々と永遠にするかのように同じ事を繰り返した。
通常の治療行為ですと言われ
これが当たり前ですと言われ
悲鳴をあげている彼女の声が
聞こえていないのかもしれない。
既に病院に連れてきてしまった事を
後悔し始めている自分がいるのだけれど
それさえも分からなくなっている。
家族だけれど
彼女は、きちんとした猫🐈なのだ。
人間ではない。
どうするかの選択肢を持つ私たち。
その私達のエゴと分かって家に引き取り
家の中で生活をさせてきた。
最後をどう看取るかの答えは
まだはっきりと出ない。
まるっきり自信はないのだけれど
流されてしまわないようにしたい。。
ここまで関わったのだから
家族の一員としてわが家流で看取ってあげなければならない。
動物の中で人間だけが
与えられた人生をどう生きたいかを考え
それを選択できる。
1つの人生を3倍にすることができるのも
人間だけ。
大して残り多くもない自分自身の人生も
家族やパートナーと一緒にどう生きるか
また、仕事で出会う人との関わりなどで
残りの人生を3倍にしたいと思うのです。
動物病院での
これが当たり前、通常の行為と言う言葉に違和感を感じた。
不協和音として広がってった。
狭くても小さくても
濃い時間を過ごしたいと思う。
違和感を感じても飲み込んだりは
けしてしたくないから。
danjho
廣瀬祐子