- このデモは人権活動家でハンガリー改革派教会 の牧師 テケーシュ・ラースロー (ラースロー・テケーシュ)への国外退去 処分に対するマジャル人 (ハンガリー 人)による抗議デモであった。
- ティミショアラを含むルーマニア西部(バナート 地方)はハンガリー国境 に近く、1919年 のオーストリア・ハンガリー帝国 が崩壊するまでハンガリー王国 の領域であった。ルーマニアに留まったハンガリー系住民に対する政府の扱いはあまり良いとは言えず、マジャル人であるラースローの国外退去処分への抗議とともに待遇改善を求めてデモを起こしたのであった。
12月21日 - 首都 ・ブカレスト で官製集会の最中に爆発事件が発生する。
- ルーマニア共産党 本部庁舎前の広場(旧王宮広場)で約10万人を動員したチャウシェスクを称賛する集会 が開催された。チャウシェスクの演説 が始まって間もなく、ティミショアラ事件に抗議するルーマニア人参加者が爆弾 を2つ爆発させた(実行犯は警察により射殺 。10代の若者2人が爆竹 を爆発させたと言う説もあるが詳細は不明なところが多い)。広場はパニック 状態に陥り、集会は強制的に解散させられた。なお、この集会は国営ルーマニア放送で生中継されていたがチャウシェスクの演説が始まった直後、群集がパニック状態になっている姿を見てたじろぐ姿が映しだされているところで放送が中止された(その後、放送は再開された)。
- 集会の参加者の一部に大学生・市民の一部が合流しチャウシェスク独裁の抗議集会へと発展した。しかしこの政治集会に対しても治安部隊が発砲、多数の死傷者を出す事態となった。軍隊も動員されたが市民の政権に対する不満は頂点に達した。
- この状態に危機感を抱いたチャウシェスクは国防大臣ワシーリ・ミリャ に対し軍隊による群集への発砲を指示した。しかしミリャはこの命令を拒否、チャウシェスクの逆鱗に触れその後ミリャは自室で死体となって発見された。翌日、国営ルーマニア放送は「国防大臣が自殺した」と報じたものの市民には「処刑された」との噂が知れ渡った。軍首脳の中にも国防相処刑説が広がり、大統領に反旗を翻すきっかけとなった。同日夜には軍隊が広場に集まる市民の側に立ち、政府機関(ルーマニア共産党本部等)の占拠が始まった。 by 葉狩剰滋





