こんばんはウインク

花束って渡したことありますか?
私はないですニコニコ

でも花っていいよね。

生命があるから、
終わりがあるから、
綺麗に咲き誇る姿には
感激しますよね。

咲き誇る姿には勇敢さやたくましさを感じたり
咲いてた花が散っていく様子に四季を感じたり、
金木犀の香りからは癒やしをもらったり等‥
花から教わることだって多くあります。


あと花言葉ってありますよね。
花ごとに様々な意味合いの言葉が決められていますが、
なんでこの花にこの意味合いの言葉なんだろう??
誰がどういう思いで決めたのだろう??
と疑問に思うこともあります。

あれも生命ある花だからこそ
誰かがそれを人生になぞらえて
花に個性を与えたのだと思います。
疑問もあるけど。

しっくりくるものもありますよね。
かすみ草とか。意味はわからない。覚えてない。

かすみ草 花言葉 でググってくださいニコニコニコニコニコニコ
たしか、ああピッタリ!と思いましたね。

そんな私は、ちょっとまだ花より団子ですお団子

一輪の花にも意味があり、
花束にも意味があり‥
人間が言葉で表せない感情を表現する為に、
生命ある花に伝える役割を託す。

そのときの花ってすばらしく美しくて、
儚げな情景も残していくのです。

今回は「花束を君に」を考察していきますニコニコ


著作権/宇多田ヒカル

「花束を君に」より引用

普段からメイクしない君が薄化粧した朝
 始まりと終わりの狭間で
忘れぬ約束した

薄化粧は母、藤圭子さんの死化粧を表しています。
始まりと終わりの間で忘れぬ約束。
藤圭子さんはあまり言葉で多くを語らない人だったようで、
この約束というのは口約束ではなく、
一緒に生きてきた母からヒッキーが母から感じ取ったもので、
自分のなかでの誓いの約束の意味合いが強いのではと推測します。

花束を君に贈ろう
愛しい人 愛しい人
どんな言葉並べても
真実にはならないから
今日は贈ろう 涙色の花束を君に

花には、始まりと終わりに自分に約束をさせてくれた、
ずっと背中を追ってきて、敬愛し、尊敬の対象でもあった
偉大な歌手としての藤圭子、
母としての藤圭子への、
感謝と労りの気持ちが込められています。
そして花束には偉大な存在への賞賛の思いが詰まっています。

偉大な歌手であり母でもある、藤圭子への尊敬の念が
『どんな言葉を並べても真実にはならないから』
と表現されています。
この時は悲しみが大きく前向きになれなかったと想像できます。

偉大な歌手である藤圭子、
母としての藤圭子への賞賛の言葉は、
どんな言葉をならべて探しても相応しいものがなかったのです。
感謝、敬愛、悲しみ、不安、思い出を辿っての喜び、楽しい感情等‥
歌手として、母として、両面を見てきた娘としては、
両極の感情を抱くこともあったのでしょう。

母への溢れて混じり合う感情を表現する為に、
何色にも染まる、絵の具を落とせば何色にもなりうる、
無色透明である涙色を
花束の色に選んだのでしょう。


 毎日の人知れぬ苦労や淋しみも無く
ただ楽しいことばかりだったら
愛なんて知らずに済んだのにな

歌手、藤圭子として活躍する母と向き合うなかで、
苦労や淋しさがあるからこそ愛を知ったと振り返ります。
「明日からニューヨークね」「明日引っ越すことになったの」
それが日常だったようです。
そんな日常に苦労や淋しさを教えてもらったのでしょう。

愛を知った喜び。
愛を知ったからこその悲しみ。もやもや
愛を知ってよかった気持ちと
知らなければよかった気持ちを
同時に表現しています。

 花束を君に贈ろう
言いたいこと 言いたいこと
きっと山ほどあるけど
神様しか知らないまま
今日は贈ろう 涙色の花束を君に

両手でも抱えきれない
眩い風景の数々をありがとう

産まれた時に母に両手で大切に抱えられていた人間は
成長して母の手からは離れていくものです。
だけども、転居を繰り返し、飛行機で往復する生活のなかで、
ヒッキーはたくさんの心に残る風景を見てきたのでしょう。

たくさん大切な思い出を見せてくれてありがとう。
それは変わりゆくもので儚いものではあるけれど
私の心ではたくさんの風景が焼き付いているよ。
という感謝が『眩い風景の数々をありがとう』
と表現されています。



世界中が雨の日も
君の笑顔が僕の太陽だったよ
今は伝わらなくても
真実には変わりないさ
抱きしめてよ、たった一度 さよならの前に

花束を君に贈ろう
愛しい人 愛しい人
どんな言葉並べても
君を讃えるには足りないから
今日は贈ろう 涙色の花束を君に