今日は
宇多田ヒカルの“道”という曲を
考察していきたいと思います😊
WaterのCMにも抜擢されたこの曲…♪
皆さん、ジュースは飲みますか?
私はアップルジュースは飲みますが、
それ以外は嫌いです。
なぜかというと😨😨😨
後味が苦手で飲んだ後、
口の中がベタベタになるからです。
特にぬるいオレンジジュースなんて。。
何が起きたかと思うほど悲劇的に…
口の中がベッタベタ。
※個人差あります。
私の場合、飲むという行為の目的が
水分補給や喉を潤すことだからです。^_^
だから、砂糖や甘味料、着色料の入った、
わざわざ口の中をベッタベタにしてくるような
ジュース類は、苦手です。
※アップルジュースはまし。
喉を潤すどころか喉にへばりついて
唾液にまとまりついて…
嫌いやなとなるわけです。
だから私の場合、甘いものを欲して、
甘い飲み物を飲むことはありません。
食べるね。
だけど水やお茶は、違いますよね!
これやこれ!!
目的達成!
水分補給できて、喉潤う、最高。
あとに変なものを残さない。
なんなら食事でへばりついたものを
キレイに除去までしてくれ、
これやこれ、となるわけです。
ジュースには代替できませんね。
と、このように、水については、
かなり熱い信頼を寄せています😊
この“道”という曲は、
そんな無色透明の水のように、
軽快なテンポの曲ながら、
後に疑問を残さない
シンプルでわかりやすい、
まさに水のように
スッキリとした曲と言えます。
ヒッキーってまじでいい仕事するなあと思うこの曲。
ではでは、考察していきます
著作権/宇多田ヒカル
“道”より引用
黒い波の向こうに朝の気配がする
消えない星が私の胸に輝き出す
悲しい歌もいつか懐かしい歌になる
見えない傷が私の魂彩る
→まず初めにこの曲には歌手藤圭子に対してのメッセージが強く込められています。
黒い波は、歌手藤圭子の死後の暗い気持ちを表していると言えます。
背中を追ってきた歌手藤圭子が亡くなったが、そんな時にも、朝はやってくる。気配というのは、たしかに朝がきているはずなのだけど、それも気配としてしか捉えることができないぼんやりとした気持ちであることが読めます。
暗い気持ちから少しずつ明るさを取り戻しているが、歌手藤圭子の死でしばらくは荒波が立つ黒波のような心境だった。
アーティスト宇多田ヒカルとしての先が見えなくなっていました。しかしそんな時に心のなかに消えない星を頼りに生きてきたが、それは明るい気持ちを取り戻しつつあっても消えず、今、それが輝き出す。希望である。
これまでも悲しい時に聴いた歌も、先になって聴いた時には懐かいと思える歌に思えるようになってきたのだから、歌手藤圭子の死による悲しみもいつかは懐かしかったなと振り返ることができるのでしょう。希望。
『見えない傷が私の魂彩る』気丈にふるまっていたのでしょう。内心には深い悲しみがあるが、心の傷が魂を彩るから。この経験も内側の魂の部分を成長させるのだと捉えています。
転んでも起き上がる
迷ったら立ち止まる
そして問う あなたなら
こんな時どうする
→転んでも起き上がることはわかっている。
迷ったら立ち止まって考える。
そして問う。考えてもわからないから。
お母さんならこんなときはどうするのだろう。教えてよ。
少し自暴自棄になり、考えがまとまらず、立ち止まってしまっています。
アーティスト宇多田ヒカルが迷って立ち止まった時に
本当に頼れて意見を求める存在はそう、他の誰でもない、歌手であり、尊敬してやまない藤圭子の存在だったのでしょう。ここでは母としての藤圭子というよりは歌手としての藤圭子の意味合いが強くなっています。
尊敬し道標にもなってくれた歌手がいなくなり、この先のアーティスト人生について悩んでいます。
私の心の中にあなたがいる
いつ如何なる時も
一人で歩いたつもりの道でも
始まりはあなただった
It's a lonely road But I'm not alone
そんな気分
→ここでの私はヒッキー。
あなたは母、藤圭子。ここでのあなたは歌手としての藤圭子。
ヒッキーのアーティスト人生が始まったのは、母である藤圭子と父である宇多田照實が「歌ってみなよ」「曲作ってみなよ」と言ったのがきっかけで色々な場面で弾いたり、弾きながら歌ったりするようになったんだそう。
母は亡くなったけれどこれからも二人三脚で歩いていこう。そんな思いが詞から読めますね。
調子に乗ってた時期もあると思います
人は皆生きてるんじゃなく生かされてる
→調子に乗った経験と母の死から、周りの支え、応援、母の存在があったからこそ、今の宇多田ヒカルがあると振り返っています。
自分で生きていると思って調子に乗っていた時期もあり、自分自身の実力でアーティストとしての宇多田ヒカルを確立して今を生きていると思っていた。けれど、「生かされてる」という言葉から、母はもちろん、他人との関わりに支えられて宇多田ヒカルがあるとの表現でしょう。母を失って、母や周りの存在があって自分がアーティストでいられることをしみじみと実感したのでしょう。
目に見えるものだけを
信じてはいけないよ
人生の岐路に立つ標識は
在りゃせぬ
→これは歌手藤圭子からもらった言葉なのかもしれません。
「目に見えるものだけを信じてはいけないよ」デビューをしてから数々のシングルランキングで首位を獲得。ミリオンセラーの作品も多々ありました。それもアーティストの価値ではあります。
だけれども売上枚数や売上額、賞金等目に見えるものだけを信じてはいけない。それだけが良いことではない。
これがアーティスト宇多田ヒカルが、才能に甘えて気取ることのない、唯一無二のキャラクターを持ち合わせる理由なのかもしれません。これこそが、時代に合わせた音楽を作り続け、音楽業界において第一線で活躍する基盤を築いた価値観なのかもしれません。
余談ではありますが、ヒッキーが歌手を辞めたいと相談したときに「じゃあ辞めればぁ‥?」と言われ「さすが藤圭子だな」と思ったことがあったそうです。(少し言葉のニュアンスは違う可能性ありですが)
人生の帰路に立った時には、標識はないよと言われながらも、いつも歌手藤圭子を頼って相談してきたのでしょう。
どんなことをして誰といても
この身はあなたと共にある
一人で歩まねばならぬ道でも
あなたの声が聞こえる
It's a lonely road
You are every song
これは事実
私の心の中にあなたがいる
いつ如何なる時も
どこへ続くかまだ分からぬ道でも
きっとそこにあなたがいる
It's a lonely road
But I'm not alone
そんな気分
最後は水を飲んだ後のようにスッキリと前向きな気持ちで締めくくられていますやるなぁ、ヒッキーもうさすがとしか言いようがないです。
最後のIt's a lonely road But I'm not aloneがこの曲のすべてです。
「道」にはアーティスト宇多田ヒカルの歩んできた道の意味合いが強いです。
色んな捉え方ができますが、ヒッキーの価値観や性格から、考察してみました私はこう思う、ここはそうじゃないでしょうなんて意見もドシドシお待ちしています
読んでいただき、ありがとうございます
また明日