まず自己紹介をいたしますニコニコ

ヒッキーファン歴、20年。

音楽が好きで好きすぎて
色んなジャンルの音楽を聴いています。

J-POPからロック、アイドル、邦楽、洋楽まで。
なんでも聴きます。クラッシックも聴きます。

音楽のことなら任せろニヤリニヤリニヤリって思います。



ちなみに歌うのもめちゃくちゃうまいです。おねがい

どのくらいのウマサだと思いますか?
脂が乗ったサンマ並みのわかる人にはわかる味。


最後に薬味で〆る…たまらんですよね?
そんなイメージをしてください。
わかりやすい。口笛


色々と幅広く音楽を嗜んできて、
時代ごとに変わる流行を追ってきて、
私の音楽履歴は更新し続けています。


私のことはさておき、スライム

そんな時代の流行に沿うようにして
移ろいゆくアートと位置づけられる音楽ですが、

一人だけ…

別枠に入れている人がいるんです。猫しっぽ猫からだ猫からだ猫からだ猫あたま


時代が流れても、
この人だけは聴き続けたい!
そんな唯一無二のアーティストです。


彼女の作品との出会いは、
小1、6歳の頃に母の紫オープンカーの車内で
牛しっぽ牛からだ牛からだ牛からだ牛あたま

First Loveを聴いて以来…
(おっともうわかられた方もいるでしょう)
「何なんこの曲。何なんこの人。」となりました。


このときに私の全好奇心がそう、
誰もが知り、音楽業界を牽引し続ける、
アーティスト“宇多田ヒカル”に向けて
一気に加速し動き出した瞬間でした。口笛

それはもうautomaticにtravelingしました口笛


高校生の頃に、ヒッキーの自叙伝、
「点」と「線」が発売されると知るといなや!

発売日には。予約ができなかった為、
学校終わりに書店へ直行、猛ダッシュあせるあせる
汗だくでした滝汗滝汗滝汗


そして2019年20周年ライブでは、
初めての生歌に感激しっぱなし。
この為に生きてきたとすら思いました。


この話は熱すぎて
今書いてしまうと部屋の温度が10度は
上がっちゃいそうなので涼しくなった頃に
追々書いていきますねキョロキョロキョロキョロ


これでもかっ!というまでに、

ヒッキーの人生や音楽を
研究しつづけた私が

ヒッキーの歌詞を
完全なる独断と偏見で解釈していきます😊



今日は、そんなスーパーアーティストである彼女の
「嫉妬されるべき人生」という歌詞を考察していきます。




著作権/宇多田ヒカル
「嫉妬されるべき人生」より引用


軽いお辞儀と自己紹介で
もうわかってしまったの
この人と添い遂げること

→形式的なお辞儀や自己紹介で
その人をわかることはこれまではなかったが
この人との出会いに他の人とは違う運命を感じる

互いの身の上話に始まり
始まりはよく覚えてない
一晩じゃ終わらない

→出会ってすぐに打ち解け、
すんなりと関係が築かれていく。
始まりは覚えていないのは、
この人と添い遂げることがわかったように
運命の出会いに驚いてしまっていたから。
一晩では語りきれないほど話が深くなる。

不気味にとめどなき
何かが溢れだし
長いと思ってた人生 急に短い

→運命の出会いにより
生きることへの執着を感じだす。
不気味にという表現はこれまでに
抱いてこなかった感情を抱いたから。
相手を知る、自分を知るには
時間が足りないと感じる。
一晩では語りきれないほどだから。

※余談ですがヒッキーは幼い頃から
両親の仕事柄、居住が安定しなかった為、
場所や関係者への執着が薄め。
早くから仕事をしていて
ビジネスライクな関係構築が通常。
そうではない未知の関係性を不気味と
表現したのでしょう。


今日が人生の最後の日でも
五十年後でも あなたに出会えて
誰よりも幸せだったと
嫉妬されるべき人生だったと

→ヒッキーの今についての見方は
人生のうちの今という捉え方。
これもある意味ビジネスライクな視点で、
私もめちゃくちゃ影響を受けています。
彼女にとって今日が最高だと思えていて、
最後の日であってもいいと思えています。
五十年後でもあなたを忘れられないでいるでしょう
と今言えるまでの運命的な出会い
をしたことを表現しています。
不気味に溢れ出したとめどない何か、
運命の出会いにより、
今まで知らなかった生への執着に幸せを感じ、
あなたに出会えたことを誰よりも幸せだった、
羨ましがられる人生だったと最後死を迎える時も
言い切れるでしょう。
この先にこれ以上の出会いはない
という意味も含まれていますから、
よほど衝撃的な出会いだったのでしょうね。

今日が人生の最後の日でも
五十年後でも あなたに出会えて
誰よりも幸せだったと
嫉妬されるべき人生だったと

言えるよ
どんなに謙遜したとこで
嫉妬されるべき人生だったと
→言った!もうそういうことです。
言い切りました…
謙遜をしてもできないほど、
嫉妬されるべき人生だったと思えるよ
というわけです。
ここで嫉妬されるべきという表現について。
ここで嫉妬するのは第三者なわけでありますが、
「べき」という言葉に、「誰が何と言おうとね」
というヒッキーの意思が投影されています。
また、『断定』か『〜するに値する』か
どっちだろうと悩みました。
結論、『断定』です。
謙遜してもできないほどという前文がある為、
嫉妬されて当然の人生だったということなのでしょう。


人の期待に応えるだけの
生き方はもうやめる
母の遺影に供える花を
替えながら思う
あなたに先立たれたら
あなたに操を立てる
私が先に死んだら
今際の果てで微笑む
→これまでとは違う価値観を得たのでしょうね。
ヒッキーは、母を見て育ち、歌手藤圭子を敬愛しています。
自由奔放な母に認められたいという思いが強かったようです。
また幼い頃からアーティストとして期待をされ続けていて、
そんな生き方をやめようとの誓いです。
※人間活動で活動休止後に出した曲で、
アーティスト宇多田ヒカルとは離れた生活を送る中で、
自分の意志で生きようとより強く思ったのでしょうね。
私が先に死んだらこの世の果てで微笑むという表現は、
死んだあとも見守り続けるという覚悟の現れ。

今日が人生の最初の日だよ
五十年後でも あなたを見つめて
誰よりも幸せですと
嫉妬されるべき人生でしたと
→今までの価値観を手放した最初の日。

言えるよ
どんなに謙遜したとこで
嫉妬されるべき人生だったと

言えるよ
どんなにどんなに謙遜したって
嫉妬されるべき人生でしたと


まあ深い、深すぎる曲ですが、
死生観を読んだ曲ですね。

個人的には
『今日が人生の最初の日だよ』
という詞に、
運命とも言える出会いによって得られた、
これまでとは違う価値観で生きていく
そんな新たなスタートへの期待。
『嫉妬されると断言できる人生』を送る期待。
すべてが詰まっていると思います!


以上ですがなにかウインクウインクウインクウインク
また次回も見てください