西国廿八番  成相寺本堂  右手の、閻魔堂




懐かしい姿

廿年前には、

八月九日の、千日詣

夜、七時より、柴燈護摩を、

厳修してました。

確か平成七年〜何年か、

行いましたが、初回は、

当時は、阪神大震災の、後で、

非常に、忙しく、



尼崎で、昼頃まで、お参りし、

尼崎発  福知山線から、福知山〜

北近畿丹後鉄道で、天橋立

巡航船にて、笠松公園〜ロープウェイで、

成合寺には、日暮れ時


先発隊は、早くから、設営


午後中から、柴燈護摩と、火性三昧修行

帰路は、松原市まで、帰る、

K師に、尼崎まで、送ってもらいました。


数年後からは、


成相寺本堂、南東の、

五重之塔、建立にて、

その前の、広大な、土地にて、

柴燈護摩道場を、設営しました。


成相寺、先代、和尚の、時代は、

それなりに、歓待してくださいましたが、

代替わりしてからは、

かなり、冷遇に、なりました。


まとめ役の、東播磨の、院代も、

数年前に、亡くなり、

成相寺には、出仕することも、

亡くなりました。


成相寺は、金銭トラブルで、10年余り前に

高野山から、離脱して、

「 成相観音宗 」となりましたが、

拙者の、師匠や、

当時の、衆務総長の、土生川先生の、

引き留めも、虚しく、

離脱。


しかし、末寺、数十件は、

高野山の、紋を、使い続けてますし、

徒弟が、高野山で、加行に、

入り難い、現状。

末寺も、成相寺住職も、ほぼ全員、

高野山大学出身。


当初の、うんたらたかんまんのブログでは

成相寺の、閻魔堂の、写真を、

プロフィールに、アップしてましたので、

リブログ致しました。


今、中学生以下には、

地獄絵本が、読み聞かせ本にて

普及しましたので、

お子様の、教育には、定番と、考えます。


閻魔さまと、地蔵さまは、

表裏一体です。