今回(2015年)の、チャンミー瞑想センターでの私の瞑想は、
2回も風邪をひいたり、腰を痛めたりして、最初の2ヶ月間以外は、退出するまでずっと体調不良でした。
瞑想のほうも、
なぜかイマイチ、モチベーションが低い状態で、それなりに瞑想はできたのですが、自分としては、いままでのリトリートの中では最低の状態だったと思っています。
セヤドーにも言われましたが、ある程度瞑想を続けていると、サッダー(信)が低くなってくることがあるので、サッダーが低くならないよう注意しなさいと言われていました。
かつてのように、足が痛くなったり、妄想するとすぐに背中が曲がってきたりということが無くなって、
妄想していても、背筋を伸ばして坐禅していられるようになっています。
誤解されるかもしれませんが、要するに、手抜きをして瞑想できるといったような状態です。
たとえば、
1時間の坐禅をするとして、その1時間、まったくサティをおこなわず、ずっと妄想を楽しみながら、坐禅して姿勢を変えずに座っていられるといった状態です。
(無論、実際にはこういうことは行っていませんでしたが。)
ともかく、歩行瞑想でも坐禅瞑想でも、なんか集中できない感じがずっとしていました。
ある意味、瞑想に慣れてしまって、いい加減な瞑想が出来てしまうといった感じでしょうか。
あるいは、瞑想している演技が出来てしまうと表現できるかもしれません。
眠くなったり、身体が痛くなったりして、坐禅瞑想していられないといった初心者にありがちな状態ではなく、
見かけはしっかり不動のまま坐禅瞑想の姿勢を保つことができるけど、心の中では妄想を楽しんでいられる状態です。(もちろん、実際には、瞑想中、妄想を楽しみ続けていたわけではなく、妄想するたびに、気づいて、お腹の動きに意識を戻していました。)
そういえば、妄想の内容は、相変わらずほとんどが不善心であり、自分の心がいかに汚れているか見せつけられています。ただ、以前に比べて、不善心に対する抵抗感みたいなものは薄らいで、冷静に観られるようになっているかもしれません。
いずれにしても、もちろんこんな状態ではダメなので、苦しくても、とにかく集中してサティーするよう努めていたリトリートでした。
日常生活でも、今までは、インテンションも良く感じて、けっこう新しい気づきがあったりするのですが、今回は、そういう新たな気づきがほとんど無く、なんか明らかにマンネリ化してしまった感じでした。
これではダメだという気持ちはあったのですが、なぜかイマイチ気力が乏しいというか、気合いが入らない状態でした。そこに体調が悪かったということも重なり、なおさら気力が乏しい状態でした。
スランプに陥った状態です。
今までのようなサティーではダメで、さらに精密にサティーしないと乗り切れないような状態で、実際に、より精密なサティーを試みるのですが、体調が悪いこともあり、何かどうしても気合いが入らないという、自分としては最悪ではないかといった状態でした。
明らかに壁にぶつかったような感じです。ここが踏ん張りどころなのかもしれません。
それに、セヤドーの指摘どおり、なんかサッダー(信)が減退している感じがしています。
今一度、ダンマパダや他の仏教書なども熟読して、無理にでもサッダー(信)を高める努力が必要なようです。
今、ミャンマーに行っている間に届いていた、日本テーラワーダ仏教協会の機関誌「パティパダー」を読み始めています。
しばらくの間、仏教書を丁寧に読んでみようと思っています。
それに、
長期リトリートを始めてからずっと続いているのが、身体の一部が勝手に動き出すということです。
2011年12月からミャンマーでの長期リトリートを始めたのですが、
2012年は、
リトリート開始から3ヶ月半ほど過ぎたころ、両腕、両脚が激しく動きっぱなしになってしまいました。まさに座ったままの「タコ踊り」状態です。
たぶん実際に目の前にしないと想像できない状態だと思われます。
当時、リトリート後に、マハーシ瞑想センターの日本人ヨギを尋ねていったら、「チャンミー瞑想センターには、手足を激しく動かし続けて瞑想している日本人ヨギがいると、噂になっていたが、あなたのことでしたか。」と言われたほどでした。
そのくらい激しく手足が大きく動いていました。それももちろん、自分の意思ではなく、勝手に動き出すのです。
(アビダルマ的には、こうした勝手な手足の動きも自分の意思でやっているということなのでしょうが)。
手足の激しい動きは、1ヶ月ほどで収束してきました。
その後は、大きな動きは左腕のみに生じ、右腕はまったく動かなくなりました。両脚は、激しく動くことはなく、ピクピクと筋肉の痙攣のような動きに変わってきました。
これが2012年の状況です。
2013年は、
2012年の後半の状況が再現され、そのまま半年間、その状態が続きました。
2014年は、
途中までは、やはり2012年の状況が続きましたが、途中から、両脚の動きがさらに小さくなり、筋肉の小さな
痙攣くらいになり、最後は両脚の動きや痙攣は終息していました。
左腕の動きもほぼ止まり、後は、左肩が上下に動くだけになりました(たまに腕も動くときはあります)。
2015年は、
両脚は動くことはなく、左肩のみが動いていました。それも、長時間連続して動くというよりも、止まったり動いたりと断続的に動くことが多く、動きが2014年と違います。
よって、現在は、左肩のみが断続的に動くといった状態です。
このため、
意識は、お腹の膨らみ縮みと妄想と左肩の動きの3点を行ったり来たりといった状態になっています。
左脚は神経痛で痛いし、左肩は断続的に動くし、イマイチ集中しないしで、今までのリトリートの中でも、最もモチベーションを維持するのがしんどかったです。
しかし一方で、真剣に瞑想する覚悟ができてきたというか、この瞑想は「甘え」と「妥協」のあるうちはダメなんだなと解ってきました。
とにかくこの瞑想は、徹底的に真剣にやらないとダメです。
ようやく、この瞑想のスタート地点にたどり着けそうなところまで来た、といったところでしょうか。
喩えてみれば、駐機場を出発した飛行機が、滑走路に向かって誘導路を移動して、滑走路の端に近づいてきたような状態です。
やっと滑走路の端が見えてきたところなのかもしれません。滑走路の端にたどり着いて、ようやく離陸に向けてスタートです。
今まで、このブログでは、長期リトリート中の個人的な瞑想体験については、あまり書かないようにして
いたのですが、自分自身の瞑想状態を書き出していくという作業そのものが、瞑想へのモチベーションというか、サッダー(信)を高めることに繋がる効果があるとも思い、あえて、書き出しています。
去年までは、それなりの気力で、ブログを更新していたのですが、今回のこのミャンマー旅行の記事の
作成は、イマイチ気合いも入らず、なんとなくテキトーになってしまっている感じがぬぐえません。
自分で、すでに公開した記事を見てみても、なんかのっぺらぼうな感じがしてしまいます。
なかなか集中できないし、身体は勝手に動き続けるわで、
悲しいかな、やはり、瞑想に対する素質は極めて乏しそうです。
次から次に新たなハードルが立ち現れます。
ともかくこれからも、粛々と瞑想を続けていくしかありません。
ヤル気が無かろうが、マンネリだろうが、その事実を冷静にありのままに観察していくしかないようですし。
Never Give Up です。
次は、ミャンマー 15-10(セヤドーたちからのアドバイスなど) に続きます。