チャンミー瞑想センターのインタビューで教えてもらったことを思い出したので書いておきます。
(1)瞑想の進展には、信、精進、念、定、慧の5つの力がバランス良くすべて
整っていることが必要であること
これは私自身の判断ですが、私の場合、信、精進、定は強くなりやすいようですが、念、慧は弱いようです。
よって、サマタ瞑想にはなってもヴィパッサナーがうまくできないのかもしれません。
「今、ここ」の瞬間が見えにくい。
というかなにか煩悩の影響で避けてしまうのかもしれません。
五力のうち、あるパートのみが強くてもだめで、5つすべてが揃って力をつけないといけないので
す。
とはいっても、
瞑想中にあるパートだけ力を付けようとしても、うまくいかないと思われます。
結局のところは、サボらずただひたすら正しく瞑想するしかありません。
インタビューの間、よくこの五力のことを説明されました。
(2)瞑想修行には4つの力が必要なこと
1つ目は始める力、2つ目は観察する力、3つ目は継続する力、4つ目は終わる力とのこと
でした。
1つ目と2つ目は、ここに来て瞑想すること自体、その力があることでもあり、比較的簡単。
難しいのは3つ目と4つ目の力であること。
このうち継続する力はわかるのですが、終了する力というのはよくわかりませんでした。
というか、これは最後に説明すると言われていたのですが、最終日にこちらも聞くのを忘れてしまってそのま
まになっています。
たぶん、修行期間も最後になると、気持ちが集中できなくなってしまうことを言っているのではないかとは思
います。
よくそう言っていました。
そうならないよう、
最後までヴィパッサナー瞑想を切らさない努力を言うのではないかとは思い
ます。
(3)毎日、一定時間は瞑想すること
前にも書きましたが、自宅に帰っても、朝30分、夜60分の瞑想を継続すること。
これは当然ですな。
できれば、すべての時間を瞑想に充てられればいいのでしょうけど。
これについては、とにかく自助努力していくのみです。
このブログを継続している目的も、まさにサボってしまう瞑想を継続させる方便としていることです。
(4)Jumpingしないこと。(他の瞑想手法を色々と試してみないこと)
修行者の中には、ヴィパッサナーを修習したと思ったら、サマタ瞑想の道場に移ったり、次は臨済禅に目移り
し、そのまた次はインドでヨガ瞑想にはまるなど、様々な瞑想法やスピリチュアルな世界を渡り歩く人が
いる。これをJumpingと表現していました。
これは、結局、なにもモノに成らず良くないので、止めた方がいいと言われました。
このことは、ほかの指導者からも良く言われることです。
実際、こういうヨギにはたまに出くわします。
チャンミーでもかつて、禅→チベット仏教→ヴィパッサナー→ヒンドゥー系瞑想と渡り歩いている人に出会い
ました。
(5)良い瞑想指導者に指導して貰うこと
タイやミャンマーには、仏教教義などに詳しく、学問的な指導もできる学問僧は多い。
こういう学問僧を見つけることは比較的容易である。
しかし、タイやミャンマーでも、正しく瞑想指導が出来る僧侶は少ない。
瞑想指導者は誰でも良いが、きちんと指導できる指導者に指導して貰うことである。
これもよく言われることである。
別にヴィパッサナーでなくても、サマタ瞑想や他の技法でもそのとおりだと思う。
昔から、良い指導者に出会わなかったら、独習していたほうがよっぽどマシとも思っていた。
まあ、私の瞑想レベルでは、よほどひどい指導者でもない限り、すぐに悪影響が出ることは無いとは思うが。
長期リトリートする場合は、心に留めておいたほうが良いと思います。
思い出したことは以上です。
なんかあればまた書きておきます。
ところで、
ミャンマーはほんと良かったです。
ここまで書いてきて、
ふっと心の中にミャンマーのあの青い空と地平線が浮かんできました。
なんか郷愁を感じます。
やはり、前世は東南アジアの農民だったのかもしれません。