このところ、ちょっとサボることはあっても何とか瞑想は続いている。
瞑想時間も21分になった。
10分前後で瞑想が中断することも少なくなった。
相変わらず、前半は忙しくsatiするが、後半は妄想の渦に飲み込まれているけど。
ところで、
ヴィパッサナー瞑想に出会ってもう10数年経つ。
実は、
このブログでも瞑想でサティするなんて書いてるけど、
実際は、ちっともちゃんとサティできていない。
このことに気づいたのは8年ほど前。
サティって、自ら体験する感覚や思考などを、何の判断もせず客観的に感じながらラベリングしていく
ことと習ったので、そのとおり、「膨らみ、縮み、触れる、嫉妬、怒り、痒み、痛み」などとサティしていた。
というか、サティしてるものと思っていた。
でも、8年ほど前、自宅で座禅瞑想していたとき、ちょうど嫉妬の感情が湧きあがり、そこで「嫉妬、嫉妬」と
ラベリングした。
その瞬間、嫉妬の感情は一瞬にして消失してしまった。
「嫉妬、嫉妬」と数回、心の中でラベリングしていたなかの、何回目かの「嫉妬」でその瞬間は訪れた。
「しっと」の「しっ」のところくらいだろうか、その瞬間に、嫉妬の感情が心の中からきれいさっぱり消えてしまった。
そのあと訪れた感情は喜びだった。
その瞬間、解ったのだ。
今までサティをしていたと思っていたのは、実はサティではなかったと。
(サティしてるということでは、まったく間違っているわけではなが。)
サティを入れるための練習をしていたのだと。
今でもそうだが、サティのラベリングはいつも実際に感じる感覚や思考よりもワンテンポ遅れている。
この遅れが無くなり、感情や思考が湧きあがっているその瞬間に意識が集中できたとき、はじめて
意味のあるサティが入るのだと実感した。
わたしが日々やっている瞑想でのサティは、集中状態にあるときのサティではない。
つねにワンテンポというか2歩も3歩も遅れたサティで、いわばサティもどきになっている。
毎日短時間やってる瞑想は、サティを入れる習慣を忘れないようにするためだけのような気もする。
でも、サティが入る瞬間は自分では解らない、
瞑想合宿などで長期間瞑想したからと言って、サティがうまくいくとは限らない。
自宅での20分の瞑想でサティがうまくいくときもあるかもしれない。
自宅での20分くらいの瞑想では、少なくとも私の場合は、集中力が高まるわけでもないし、ただサティのラベリングしてるだけ。
とは言うものの、とにかくサティもどきであっても、このままヴィパッサナーを続けていくしかない。