その日は不思議な日でした。
早朝から大阪での仕事だった私は、朝早く、大阪駅に降り立ちました。
中央改札への階段を目指してホームを歩いていると
スーツを着た若い女性がゴミ箱の横に
うずくまってました。
こけたのかな?と一瞬思いましたが
起き上がる気配は無く、とても辛そうです。
みんな、気にしながら歩いてるけど
早朝の出勤時間、足を止めていたら
自分が遅刻してしまうのでしょう…
誰も助けようとしません。
私とその女性との距離はどんどん近づいてきました。
やっと、ひとりの若い男性が、女性に声をかけ
すぐにキョロキョロして、駅員さんがいないので
ホームの柱のボタンを押そうとされましたが、思いとどまり
(それは、線路に物を落とした時に押すボタンだったから)
走って階段を降りていきました。
駅員さんを呼びに行かれたのかもしれませんが
私は、どうしてもそのまま通り過ぎる事が出来ませんでした。

「大丈夫ですか」と女性の肩越しに声をかけましたが
答えることさえ出来ない様子。
朝のラッシュのホームには、ぎっしり人があふれているのに
駅員さんが一人も見当たりません。
きょろきょろと必死に探して、やっとホームのはしっこに
ひとりの駅員さんの姿を見つけました。
私と女性がいるホーム中央からは、かなりの距離です。
声が届くかな?と一瞬、私は思いましたが
しかし、私は舞台人(一応)!
舞台で台詞を発する時のように、腹式呼吸で
「駅員さーん!」と思い切り叫びました。

はたして…第一声目で駅員さんは気づきました!
しかし、ホームにぎっしりの人々も
一斉に私を見ました!
恥ずかしいですが、そんな事を言ってる場合ではない!
駅員さんが来てくれてバトンタッチして
やっと、ホッとしました。

それが一回目。

仕事が早く終わったので、午後の神戸での仕事まで
時間があるし、環状線に乗って桜宮に行き
桜を見つつ、お弁当を食べる事にしました。
ホームで並んで電車を待ってると
後ろから「スミマセン…」と声が…。
中国か韓国のご夫婦らしきお二人が片言の日本語で
次の電車は天王寺に行きますか?という事を
私にたずねてこられました。きっと快速だったので
環状線の電車と異なるのが不安だったのかな?
私が答えると、今度は英語で(ひっっぇーやめてよお)
内回りと外周りでは、どちらが早く天王寺に着くか?
ということを聞いてこられました(たぶん)。
うーん。大阪に住んでた時は把握してたけど
もう、忘れちゃったよ…おまけにそんな込入った説明
英語ではできないし。で、思いっきり、関西弁で
「すんませんけど忘れました。でもそんな大差なく
こっちの電車でも天王寺に行くから大丈夫、大丈夫」
と強引に話を終わらせましたガーン
ごめんなさい

これが二回目。

そして、桜宮について川沿いでお弁当食べられる場所を
探していると、私の両親ぐらいの歳のご夫婦が
「駅に行くには、どう行けばいいのですか?」
とたずねてこられました。
昔、近辺に住んでいた私はJRの駅と地下鉄の駅と
両方、詳しく説明できました。
奥様の方が笑顔で御礼を言って下さって
ご主人が「どうやって帰ろうって困ってたんです。
助かりました」とおっしゃって下さいました。
(来る時はどうやって、ここまで来たのかな?と
一瞬、思いましたが)
私は「御気をつけて」と見送りました。

これが三回目。

わずか半日の間に起こったことです。
実は、この日の私は心身共に疲れ果ててて
疲労や色々なことから精神的に不安定で
少しのことでも涙が出たり、かなりおかしくなってました。
とても人が、話しかけやすそうな雰囲気では
なかったと思うんだけど…
人様の事どころではなかった私に、神様が
気づかせようとされたのでしょうか…
そして、若い時には
「いい事をしたら自分に返ってくる」と言われ
信じていた私も、今では、どんなに人に尽くしても
困ってる人を助けても、そんなの、神様は見てもいない
返ってくることもない事を知っています。
そもそも、そんな事を考えて駅員さん呼んだり
道を教えたりしたんじゃないし…

でも、ちょっと思う。
もし、この日に私がした事を神様が見ていてくれたのなら
どうか、もし、私の娘が電車で気分が悪くなって
ホームでうずくまって動けなくなったいたら
お願いです、どなたか声をかけて駅員さんを呼んでやって下さい。
どうか、私の両親が旅先で、道に迷って困っていたら
お願いです、どなたか道案内をしてやって下さい。

そんな事を願いましたキラキラ