村野守美の死を悼む | 人生をアートで埋める

村野守美の死を悼む

漫画家、村野守美が亡くなった。死因は心不全で、享年69歳とのこと。夕食後に今日の朝刊を読んでいて、その小さな死亡記事を見つけて言葉を失った。ショックだった。
村野守美は、永島慎二、真崎守、宮谷一彦、坂口尚などと並んで、ぼくがとてつもなく尊敬する漫画家の一人だった。

村野守美は19歳で手塚治虫が主宰していたアニメ制作会社「虫プロ」に入社し、アニメ制作に携わった後、1960年代に漫画家としてデビュー。70年代以降は主に青年誌を舞台に数多くの短編作品を発表し、独自の地位を築いた。永島慎二や真崎守もやはり60年代から70年代にかけて大活躍した漫画家であるが、彼らが80年代以降漫画界の表舞台からほとんど姿を消したのとは対照的に、村野守美はその後もずっと現役で精力的に仕事を続けた。ジャンルも幅広く、SFからコメディ、時代劇、絵本、伝記漫画など何でも描ける漫画家だった。
中でもぼくは、やはり70年代の青春ものが大好きだった。男女の心の微妙なやりとりをこれほど味わい深く表現できる漫画家はいない。とにかく、上手いのだ。ペンタッチも華麗で、線の強弱を生かした温かみのある描線がたまらなく魅力的だった。流れるようなコマの展開があり、余白や余韻を感じさせる大胆な構図を取り入れて、叙情的な、とにかく「良質」としかいいようのない、レベルの高い漫画作品を数多く残した。
「職人」をテーマにいくつかの作品を描いているが、村野守美自身が職人的なこだわりを持ち続ける漫画家だったと思う。確か、あの大友克洋はかつて村野守美のアシスタントをしていたはずだ。大友の才能を最初に評価したのも村野守美だった、という逸話を読んだことがある。

ところで、村野守美の作品に出てくる女性キャラの多くが「妙子」という名前だった。これは村野守美の奥さんの名前だとすぐに知ったのだが、80年代に出た『時間チェイサー』(東京三世社)という短編集の巻末に付された彼のプロフィールの中で、「初恋は女房といっていいでしょう。激しい大恋愛でした。そして離婚されてしまいました。なにひとつ良い想い出を与えることができないまま彼女は僕から去りました。現在も彼女に恋しています。きっと一生恋していくでしょう」というコメントが載っていて、とてもせつない気持ちになったものだ。しかし、今回その死亡記事の中で、喪主が妻の妙子さんである、という一文を見て、少し感動した。再婚していた、ということなのだろうか。それだけでも、よかったな、とぼくは思った。

すぐ近くにある本棚に収められた彼の本を並べてみた。その大半が古本屋を探し回って集めたものだ。本当はもっと持っていると思う。久しぶりに手に取って読み返していると、あまりの素晴らしさに涙が出た。ゆっくりと読み返してみたいと思っている。

村野守美。すごい漫画家だと思う。合掌。


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