人生を振り返る 文学編
突然だが、読書遍歴について振り返ってみたい。
ぼくは正直いって高校2年生頃まで、小説などのいわゆる「字の本」はほとんど読んだことがなかった。江戸川乱歩、赤川次郎、夢枕獏などは多少読んだが、とにかく漫画ばっかり読んでいて、活字は苦手だった。高校2年生の時、課題で読書感想文を書かされたのだが、そのために読んだ遠藤周作の『海と毒薬』が恐らく人生で初めて読んだ「文学」だったと思う(ちなみにこの作品は、ぼくの好きな俳優、奥田瑛二の主演で映画化されており、後年その映画も見た)。
高校3年生になるぐらいの頃、山川健一という作家に出会う。運命的な出会いだったと言っていい。作家でもありミュージシャンでもあるというそのスタンスに興味を持ち、とりあえず読みやすそうなエッセイ集(『恋愛真空パック』)を読んでみたのだが、そこで一気にはまってしまった。ロックンロール、特にローリングストーンズのフリークでもある彼の、その「ロックな」文体、思想はかなり刺激的で、ぼくの頭の中の何かを確実に覚醒させた。以後当時手に入るだけの彼の著作を集め、小説やエッセイを読みあさり様々な影響を受けることになる。また、同時期にSF作家のフィリップ・K・ディックにもはまり、彼の小説も沢山読んだ。ぼくの場合、漫画でも音楽でもそうなのだが、一度好きになるとその人のすべての作品をそろえたくなる傾向があり、それは現在でもまったく変わらない。
山川健一が好きになったということは、同時に彼の好きなものも好きになることであった。作家でいえば、横光利一とヘンリー・ミラーという二人の作家について知り、大学に入ってから、読んでみることになる。横光利一は文体が現代的でとても好きだった。また、ヘンリー・ミラーは『北回帰線』を読んで、その文章、または彼の生き方のかっこよさに衝撃を受けた。この『北回帰線』はぼくの生涯でもっともインパクトのあった小説である。
大学に入ってから村上春樹を読み、その流れで村上龍も読んだ。この二人に関しても当時出ていた作品のほとんど全てを読んだと思う(1994年か95年頃までの話)。ディックの次にはレイ・ブラッドベリにはまり、数多くの短編を読んだ。また、村上春樹の流れでカート・ヴォネガットも沢山読んだ。
大学3年生になった頃、島田雅彦に出会い、彼にも多大な影響を受けた。文学の申し子のような彼の著作から三島由紀夫やドストエフスキーなどに興味を持つことになる。特に三島由紀夫にはかなりはまって、彼の作品もほとんど読んだ。政治的な思想にはあまり興味がなく、とにかく彼のヒロイックで耽美的な世界にしびれた。同時期に澁澤龍彦にもはまった。三島由紀夫との繋がりも深い澁澤龍彦だが、澁澤的美学というものがあるとすれば、猛烈にそれにも影響を受けた。澁澤龍彦からジョルジュ・バタイユを教えられ、彼の『マダム・エドワルダ』にも衝撃を受けた。サド、マゾッホ、ロートレアモン、ランボー、アポリネール、セリーヌ、ジュネ、マンディアルグといった作家の本もよく買ったし(読んでないものも多いが…)、アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』やポール・ヴァレリーの『テスト氏』なども興奮しながら読んだものだ。島田雅彦の影響でニーチェなども何冊か買い、いわば哲学というものにも興味を抱き、浅田彰や柄谷行人などにも手を出すのだが、これは挫折した。
三島由紀夫をほぼ読み尽くしたあと、吉行淳之介にはまり読みまくった時期があったが今となってはあまり好きな作家ではない。しかしその後三島とは思想的に相対する作家(しかし対談もしておりお互いに敬意を持っていた)、高橋和巳にはまり、これは未だにぼくの中に大きな存在としてある。高橋和巳の無骨というかとにかく硬質な文体が好きだ。『憂鬱なる党派』を6畳一間の部屋で一人で孤独に読み耽ったことを昨日のことのように思い出す。大学卒業後は、高橋和巳から秋山駿、大江健三郎に流れて、いろいろ読んだ。大江健三郎は『万延元年のフットボール』までの作品はすべてが完璧にかっこいい。村上龍など問題にならないくらいに過激で挑発的だった。特に『性的人間』には感激した。
山川健一、ヘンリー・ミラー、島田雅彦、高橋和巳、そして秋山駿、その5人が大きく影響を受けた作家として挙げているのがドストエフスキーで、当然ぼくも読んだ。『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは、今でもぼくの一番のヒーローである。小品だが『地下室の手記』も、これはぼくのために書かれた小説だ、などと思う。ドストエフスキーといえば、日本では埴谷雄高だろう。というわけで、埴谷雄高も少し読んだ。代表作『死霊』は途中までしか読めなかったが。高橋和巳や秋山駿もそうだが、彼らの著作はとにかく「個」としての自分に響く。一人で世界に立ち向かっていくための言葉や思想を与えてくれるのだ。
海外の作家としてはチャールズ・ブコウスキーにもかなりはまった。彼の『死をポケットに入れて』という本には本当に助けられた。ブコウスキーがいなければぼくは死んでいたかもしれない、と本気で考えることがある。
20代半ばを過ぎてギャラリーに就職してからは、アーティストとしても作家としても池田満寿夫にかなりはまった。小説も面白いが美術にまつわるエッセイも面白い。池田満寿夫はヘンリー・ミラーを尊敬していたり、澁澤龍彦とも交友があったりと、予期しないところで好みの作家がリンクしていく、というのも楽しい。
それ以降は、少し肩の力が抜けてきたようだ。植草甚一の映画や本に関するエッセイなどを読み、その流れで小林信彦にはまる。ただし彼は小説には興味が持てず、エッセイやコラムしかほとんど読んでいない。そして小林信彦から片岡義男に行き、彼の膨大な著作を古本屋で買いそろえることが楽しみな時期があった。片岡義男の世界にも大きく影響を受けたと思う。

この辺りまでがぼくの読書遍歴であり、今は相変わらずこれらの作家の本を集めたり、読み返したりしている。新しい作家を積極的に読んでいきたいという気持ちはほとんどない。ぼくの好きな作家、その作品はほとんど手に入れてしまっており、あとはこれらを死ぬまで楽しんでいきたいと思っている。
文章がうまいと思う作家は高橋和巳と片岡義男。まったく対照的な文体だが、意味が簡潔に、直接的に相手に伝わる、という意味では二人とも素晴らしいと思う。
ちなみに読んでみたがあまりはまらなかった作家は、吉本ばなな、山田詠美、中上健次、原田宗典、矢作俊彦、佐藤正午、夏目漱石、太宰治、佐伯一麦、吉本隆明、野間宏、柴田翔、ゲーテ、ジャン・コクトー、ポール・オースターなどなど。もちろん、遠藤周作も。縁がなかったということだろう。

ぼくは正直いって高校2年生頃まで、小説などのいわゆる「字の本」はほとんど読んだことがなかった。江戸川乱歩、赤川次郎、夢枕獏などは多少読んだが、とにかく漫画ばっかり読んでいて、活字は苦手だった。高校2年生の時、課題で読書感想文を書かされたのだが、そのために読んだ遠藤周作の『海と毒薬』が恐らく人生で初めて読んだ「文学」だったと思う(ちなみにこの作品は、ぼくの好きな俳優、奥田瑛二の主演で映画化されており、後年その映画も見た)。
高校3年生になるぐらいの頃、山川健一という作家に出会う。運命的な出会いだったと言っていい。作家でもありミュージシャンでもあるというそのスタンスに興味を持ち、とりあえず読みやすそうなエッセイ集(『恋愛真空パック』)を読んでみたのだが、そこで一気にはまってしまった。ロックンロール、特にローリングストーンズのフリークでもある彼の、その「ロックな」文体、思想はかなり刺激的で、ぼくの頭の中の何かを確実に覚醒させた。以後当時手に入るだけの彼の著作を集め、小説やエッセイを読みあさり様々な影響を受けることになる。また、同時期にSF作家のフィリップ・K・ディックにもはまり、彼の小説も沢山読んだ。ぼくの場合、漫画でも音楽でもそうなのだが、一度好きになるとその人のすべての作品をそろえたくなる傾向があり、それは現在でもまったく変わらない。
山川健一が好きになったということは、同時に彼の好きなものも好きになることであった。作家でいえば、横光利一とヘンリー・ミラーという二人の作家について知り、大学に入ってから、読んでみることになる。横光利一は文体が現代的でとても好きだった。また、ヘンリー・ミラーは『北回帰線』を読んで、その文章、または彼の生き方のかっこよさに衝撃を受けた。この『北回帰線』はぼくの生涯でもっともインパクトのあった小説である。
大学に入ってから村上春樹を読み、その流れで村上龍も読んだ。この二人に関しても当時出ていた作品のほとんど全てを読んだと思う(1994年か95年頃までの話)。ディックの次にはレイ・ブラッドベリにはまり、数多くの短編を読んだ。また、村上春樹の流れでカート・ヴォネガットも沢山読んだ。
大学3年生になった頃、島田雅彦に出会い、彼にも多大な影響を受けた。文学の申し子のような彼の著作から三島由紀夫やドストエフスキーなどに興味を持つことになる。特に三島由紀夫にはかなりはまって、彼の作品もほとんど読んだ。政治的な思想にはあまり興味がなく、とにかく彼のヒロイックで耽美的な世界にしびれた。同時期に澁澤龍彦にもはまった。三島由紀夫との繋がりも深い澁澤龍彦だが、澁澤的美学というものがあるとすれば、猛烈にそれにも影響を受けた。澁澤龍彦からジョルジュ・バタイユを教えられ、彼の『マダム・エドワルダ』にも衝撃を受けた。サド、マゾッホ、ロートレアモン、ランボー、アポリネール、セリーヌ、ジュネ、マンディアルグといった作家の本もよく買ったし(読んでないものも多いが…)、アンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』やポール・ヴァレリーの『テスト氏』なども興奮しながら読んだものだ。島田雅彦の影響でニーチェなども何冊か買い、いわば哲学というものにも興味を抱き、浅田彰や柄谷行人などにも手を出すのだが、これは挫折した。
三島由紀夫をほぼ読み尽くしたあと、吉行淳之介にはまり読みまくった時期があったが今となってはあまり好きな作家ではない。しかしその後三島とは思想的に相対する作家(しかし対談もしておりお互いに敬意を持っていた)、高橋和巳にはまり、これは未だにぼくの中に大きな存在としてある。高橋和巳の無骨というかとにかく硬質な文体が好きだ。『憂鬱なる党派』を6畳一間の部屋で一人で孤独に読み耽ったことを昨日のことのように思い出す。大学卒業後は、高橋和巳から秋山駿、大江健三郎に流れて、いろいろ読んだ。大江健三郎は『万延元年のフットボール』までの作品はすべてが完璧にかっこいい。村上龍など問題にならないくらいに過激で挑発的だった。特に『性的人間』には感激した。
山川健一、ヘンリー・ミラー、島田雅彦、高橋和巳、そして秋山駿、その5人が大きく影響を受けた作家として挙げているのがドストエフスキーで、当然ぼくも読んだ。『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフは、今でもぼくの一番のヒーローである。小品だが『地下室の手記』も、これはぼくのために書かれた小説だ、などと思う。ドストエフスキーといえば、日本では埴谷雄高だろう。というわけで、埴谷雄高も少し読んだ。代表作『死霊』は途中までしか読めなかったが。高橋和巳や秋山駿もそうだが、彼らの著作はとにかく「個」としての自分に響く。一人で世界に立ち向かっていくための言葉や思想を与えてくれるのだ。
海外の作家としてはチャールズ・ブコウスキーにもかなりはまった。彼の『死をポケットに入れて』という本には本当に助けられた。ブコウスキーがいなければぼくは死んでいたかもしれない、と本気で考えることがある。
20代半ばを過ぎてギャラリーに就職してからは、アーティストとしても作家としても池田満寿夫にかなりはまった。小説も面白いが美術にまつわるエッセイも面白い。池田満寿夫はヘンリー・ミラーを尊敬していたり、澁澤龍彦とも交友があったりと、予期しないところで好みの作家がリンクしていく、というのも楽しい。
それ以降は、少し肩の力が抜けてきたようだ。植草甚一の映画や本に関するエッセイなどを読み、その流れで小林信彦にはまる。ただし彼は小説には興味が持てず、エッセイやコラムしかほとんど読んでいない。そして小林信彦から片岡義男に行き、彼の膨大な著作を古本屋で買いそろえることが楽しみな時期があった。片岡義男の世界にも大きく影響を受けたと思う。

この辺りまでがぼくの読書遍歴であり、今は相変わらずこれらの作家の本を集めたり、読み返したりしている。新しい作家を積極的に読んでいきたいという気持ちはほとんどない。ぼくの好きな作家、その作品はほとんど手に入れてしまっており、あとはこれらを死ぬまで楽しんでいきたいと思っている。
文章がうまいと思う作家は高橋和巳と片岡義男。まったく対照的な文体だが、意味が簡潔に、直接的に相手に伝わる、という意味では二人とも素晴らしいと思う。
ちなみに読んでみたがあまりはまらなかった作家は、吉本ばなな、山田詠美、中上健次、原田宗典、矢作俊彦、佐藤正午、夏目漱石、太宰治、佐伯一麦、吉本隆明、野間宏、柴田翔、ゲーテ、ジャン・コクトー、ポール・オースターなどなど。もちろん、遠藤周作も。縁がなかったということだろう。
