真崎守の漫画を読む
最近、真崎守の漫画を読み返している。所有している単行本や雑誌を整理し、なるべく発表順に読んでいる。熱烈なファンの方がWebサイトで詳細な年代別作品リストを公開しているので、それに沿うかたちで読んでいる。
真崎守は1941年に生まれた。10代で漫画家としてデビューしたのち、手塚治虫のアニメ制作会社「虫プロ」にアニメーターとして入社、1960年代後半に「峠あかね」名義で漫画評論家として活動したあと、漫画家として再び独立し活動を開始する。1967年頃から、およそ10年間に渡って少年誌・青年誌に作品を意欲的に発表、1978年にはブロンズ社から「真崎守選集」全20巻が刊行された。80年代にはアニメの仕事にも戻り、『時空の旅人』(角川映画)などいくつかの監督作品がある。93年に描き下ろしで刊行された『老子』『荘子』(徳間書店)を最後に、漫画家・アニメーターとしての活動を停止している。
ぼくが真崎守の漫画を読んだのは十数年前、高校三年生頃だったと思う。どういう経緯で彼の存在を知ったのか今となってはわからない。とにかく古本屋で彼の『共犯幻想』全3巻(原作・斎藤次郎 ブロンズ社)を買ったのだ。そして、とてつもない衝撃を受けた。表層的なストーリーとしては、学生運動をモチーフにしつつ、反体制に生きる4人の少年少女たちの絆を描いた作品であり、もちろんそれは1970年代前半の社会状況を反映しているわけだが、そんなことはぼくにとって重要ではなかった。
ぼくが感動したのは圧倒的な「漫画」としての表現、その方法だ。コマ割や構図における実験的ともいうべき表現、映画でもなくアニメでもなく音楽でも絵画でもない、漫画としての表現領域の拡大、あるいはその限界への挑戦だ。その緊張感は最初から最後まで維持される。つまり、漫画という表現媒体においてこれだけのことが表現できる、という指針のようなものをぼくに与えてくれた。その感動は今も変わらない。断言するが、『共犯幻想』という作品はぼくにとって漫画の最高傑作である。これ以上の漫画はぼくの中ではありえない。そしてそれ以来、真崎守はぼくにとって神様のような存在として今も君臨している。
改めて初期の作品から読み返しているが、本当に素晴らしい。『はみだし野郎の子守唄』『ジロがゆく』などの代表作も何度読んでも感動する。
真崎守は、一言でいえば「青春」を描いた漫画家だ。時代劇やSFもあるし、中年が主人公のものも多いが、一様に登場人物たちの「青春」が描かれる。人間の青さを描いているといってもいい。そして生きる意味とは何か、本当の幸せと何か、といったテーマが抽象的に語られる。難解なものも多い。哲学的な問答がひたすら展開されたり、宗教的なニュアンスのものもある。しかし、そのすべてが安易な「青春漫画」に堕することなく、「漫画」としての表現にこだわった、表現者としての意欲に満ちているのだ。ベテラン漫画家としての成熟や洗練を回避し、瑞々しさを保ち続けた。ぼくはそんな真崎守自身の「青さ」にずっと惹かれ続けている。「青さ」は「古臭さ」に変わり、もはや笑いの種にしかならないかもしれない。冷めきった視線が持て囃される昨今では、真崎守のような漫画家は時代錯誤的として相手にされないかもしれない。
しかし、ぼくはそんな「今時の」人間であることを全力で拒絶する。
真崎守は1941年に生まれた。10代で漫画家としてデビューしたのち、手塚治虫のアニメ制作会社「虫プロ」にアニメーターとして入社、1960年代後半に「峠あかね」名義で漫画評論家として活動したあと、漫画家として再び独立し活動を開始する。1967年頃から、およそ10年間に渡って少年誌・青年誌に作品を意欲的に発表、1978年にはブロンズ社から「真崎守選集」全20巻が刊行された。80年代にはアニメの仕事にも戻り、『時空の旅人』(角川映画)などいくつかの監督作品がある。93年に描き下ろしで刊行された『老子』『荘子』(徳間書店)を最後に、漫画家・アニメーターとしての活動を停止している。
ぼくが真崎守の漫画を読んだのは十数年前、高校三年生頃だったと思う。どういう経緯で彼の存在を知ったのか今となってはわからない。とにかく古本屋で彼の『共犯幻想』全3巻(原作・斎藤次郎 ブロンズ社)を買ったのだ。そして、とてつもない衝撃を受けた。表層的なストーリーとしては、学生運動をモチーフにしつつ、反体制に生きる4人の少年少女たちの絆を描いた作品であり、もちろんそれは1970年代前半の社会状況を反映しているわけだが、そんなことはぼくにとって重要ではなかった。
ぼくが感動したのは圧倒的な「漫画」としての表現、その方法だ。コマ割や構図における実験的ともいうべき表現、映画でもなくアニメでもなく音楽でも絵画でもない、漫画としての表現領域の拡大、あるいはその限界への挑戦だ。その緊張感は最初から最後まで維持される。つまり、漫画という表現媒体においてこれだけのことが表現できる、という指針のようなものをぼくに与えてくれた。その感動は今も変わらない。断言するが、『共犯幻想』という作品はぼくにとって漫画の最高傑作である。これ以上の漫画はぼくの中ではありえない。そしてそれ以来、真崎守はぼくにとって神様のような存在として今も君臨している。
改めて初期の作品から読み返しているが、本当に素晴らしい。『はみだし野郎の子守唄』『ジロがゆく』などの代表作も何度読んでも感動する。
真崎守は、一言でいえば「青春」を描いた漫画家だ。時代劇やSFもあるし、中年が主人公のものも多いが、一様に登場人物たちの「青春」が描かれる。人間の青さを描いているといってもいい。そして生きる意味とは何か、本当の幸せと何か、といったテーマが抽象的に語られる。難解なものも多い。哲学的な問答がひたすら展開されたり、宗教的なニュアンスのものもある。しかし、そのすべてが安易な「青春漫画」に堕することなく、「漫画」としての表現にこだわった、表現者としての意欲に満ちているのだ。ベテラン漫画家としての成熟や洗練を回避し、瑞々しさを保ち続けた。ぼくはそんな真崎守自身の「青さ」にずっと惹かれ続けている。「青さ」は「古臭さ」に変わり、もはや笑いの種にしかならないかもしれない。冷めきった視線が持て囃される昨今では、真崎守のような漫画家は時代錯誤的として相手にされないかもしれない。
しかし、ぼくはそんな「今時の」人間であることを全力で拒絶する。