アラフィフ独身女の幸せへの道
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人生のドン底がまだあったかと、難病、うつ病、借金まで抱え、そこから這い上がって行くアラフィフ女の人生を不定期に綴っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。
母が亡くなってもう6年目になる。他人に母がいつ亡くなったのか聞かれるが、日にちは覚えているが、はっきりと年までなぜだかどうしても覚えられない。父もそうだ。
母の看病をしていたときは、気が休まることがなく、何をしていても母が家にいる時は、救急車のサイレンを聞くとビクッとしたり、病院から電話がかかってくるんじゃないかと携帯を肌身離さず持っていたり。
死がせまっていることがわかっているが、それが今日なのか、明日なのか、毎日毎日苦しくて辛かった。
母も術後再発して5年は長生きしてくれたので頑張ってくれたと思う。
亡くなった直後は、延々と泣き続けた。姉はまだ県外で斎場に到着しておらず、兄は私と過ごすのを嫌がり、通夜でひとり会場に泊まった。そこにお風呂があり、お湯を張ってくださっていて、久しぶりに湯船に浸かれてとても気持ちよかった。その時、救急車のサイレンが鳴ってビクッとしたが、すぐに
「これでもう、救急車を見ても音を聞いても、怯えることはないんだ。」
と、すごくホッとしたのを覚えている。
その夜は母の顔を何度も何度も見て、話しかけ一緒に過ごした。
最後は私が明け方ほんの1時間椅子にかけて寝てしまった間に、急激に呼吸状態が悪化し、息を引き取っていた。看護師さんも夜間で人数がおらず、心電図モニターのアラーム音にかけつけたのは、母が亡くなった後であった。私は横にいながら、1時間深い眠りについていたのと、難聴で高音アラームが聞こえないため、気付けなかった。
毎日毎日、母親に恩返しのつもりで付き添ってできる限りのことはやってきたつもりなのに、最後が悔やんでも悔やみきれなかった。
亡くなっても、そばにいてくれるなら、わかるように合図で何かを揺らしてねって生前約束したのに、6年経っても未だに揺らしてくれない。
今もそばにいてくれているだろうか。
葬儀も終わると、毎日母の心配ばかりし、毎日寄り添っていたせいか、母がいなくなり心配もなくなるとホッとしたのはあるが、とてつもなく寂しい気持ちが押し寄せてきた。何をすればいいか分からなくなって、ただ泣いては呆然と過ごした。
それが所謂『介護ロス』であろう。
蝉の抜け殻のようにしばらくは、介護ロス状態が続いたが、私は母と約束した起業する事を現実に移すことにし、活動し始めたことで介護ロスの寂しさが埋められていった。
結果的に起業したものの、上手くはいかなかった。しかし、あの時就職もしていなかったから、起業することがなければ、立ち直るのに相当な時間がかかったと思う。
私は両親の死を経験して、人の死は誰にでも平等に訪れてくるものだから、死に対して、逃げずに考えておくことも大切だと思った。病気が悪くなって入院したり、癌が私にもできた時、誰が面倒を見てくれるんだろうととても先行き不安になった。保険は外来通院、癌の放射線などの治療の補償があるもの、癌と診断された時の一時金があるものなどを追加した。父のような突然死であれば入院費などかからないが、長く入院などする事を想定すると不安で仕方ない。
そう思うとパートナーを探したいと強く思うようになった。世の中の夫婦を見ると、出会って好きになって結婚できたことがとても奇跡だと思う。私は一度は結婚できたが、今となっては、どうやってお互い好き同士と巡り会えるのか不思議で仕方なく、お互い好きと言う状態が今の私には奇跡でしかない。
介護ロス、起業失敗など立ち止まることはあっても、やっぱり前に進むしかない。

晩年母と2人で出かけた温泉旅行、温泉に入りたかっただけじゃないんだよね、娘の私と思い出づくりして、ずっと一緒にいたかったんだよね。私もだよ❗️母さん💖
私は別館に泊まりました。温泉は本館に入りに行きましたが、その時は貸切状態で広々して、とても癒されました。お料理もバイキングで美味しかったです。
別府といえば、杉乃井ホテル
小さい頃から、旅行で何回も連れていってもらいました。懐かしさに2人だけで最後に旅行しました。温泉は個人的には子供の頃の方が味があって良かったかな。コーヒー風呂とか、ジャングル風呂とかあったし、大きな観音像もあったりして、ワクワクがいっぱいでした。ディナーショーも毎回楽しみの一つでした。
今は水着で入れる棚湯の温泉になってるけど、男女一緒で楽しめるのはいいですね。夜に入ると夜景がきれいですよ。バイキングはとても豪華です。これが一番の楽しみです。
