昨晩、母に、限局性健忘の事を話した。

もう過去に囚われて欲しくなかったし、悲しい思いもさせたくはなかったけど…。
でも、何度も感謝している事も言葉にしながら、伝える方向へ行くしかなかった。

私の問題だけど、母にも意識を変えてほしい、
薄っぺらい言葉では、それは叶わないと知っているから。
直接顔を合わせて真実を話す勇気も自信もないけれど、離れた土地にいて、電話越しでなら、きちんと気持ちを話せるようになった。


今でもたまに言うけれど、少し前まで母は、東京は危険だと…、帰っては来ないかと、そう頻繁に言っていた。
でも、その度に私は思い出す。
「人が居ない」町で、変質者に追いかけられたり、レイプされかかったりするより、私が今いる場所がどんなに安全か…。
深夜にコンビニに行っても、人がまばらにでも居る。その事が、どんなに私を安心させるか。

そしてこんなに沢山の人がいる。
色んな趣味を持つ人々がいて、色んな仕事をしている人がいる。
自分自身が扉を開きさえすれば、そこには様々な世界がある…、
ある程度のキャパシティを持って接すれば、悪意をもって誰かと接する人間はするりと私の心から後方へ抜け、段々と増えていく心から許せる友達だけが残った。
「あんな人もいるんだな」という後学にも繋がって、私は大切にするべき人を大切に出来るようになった。
時には愚直に対峙した事もあったけれど、今はそれもない。
「ここ」に居なければ、その何もかもを知ることは出来なかっただろう。
私は、まだまだ、沢山の事を知り、そして自分で考える事のできる人間になりたい。

澄み渡る空気で溢れる場所で、なぜ人は限定されてしまうのか。
汚れて霞む空気の中で生きている人たちは、なぜこんなに無限の可能性を持ち、そして前を向いているのだろうか?

わからないけど、それでいい。
澄み渡る空気を吸って可能性を諦め、長く生きることより、汚い空気を吸っても可能性を持ち続け、短い生命になろうとも、
私は心から笑えるようになれたこの場所で、自粛が解けたらまた、色んな人たちとお酒を飲んで笑いたい。


ときに、
お酒を飲むと暴力的になったり、泣いたり、笑ったり…、
色んなタイプの人がいる。
だけどそれを「お酒が悪い」と言って欲しくない。
なんでいい大人が、「あの人お酒飲むと…」なんて思っているのだろうと思う。

もう過去の話しになるけれど、
水商売をしていた事もある。
きっとそういう人ならわかると思うけど、お酒は単に、その人の本来の姿を増幅させているだけだという確信を持てるまでになった。

お酒を飲まなきゃ怒らない、お酒を飲まなきゃニコニコしている人なんてよく居る。
水商売や、繁華街に出て個人的に呑みに行く前は、私も「お酒は時に怖い」と思ってた。

でもちがう、
もし酔って暴力的になっている人がいたら、その人とは一切の付き合いを断つほうがいい。
そして誰かを根幹から変えることは、まず出来ないと思うほうが賢明だ。

もしアレルギーや未成年なんかの事情がない限りは、友達や恋人へなろうとしているその人と、何度かお酒を呑みに行くことが一番いい判断材料だ。

私もよく泣いたり、弱音を吐いたりした事もあった。
だけど、今は違う。
それは私自身が私の根幹を変えたいと願い、行動した結果だ。
つまり、その人自身が変わりたいと思い、行動しなければ、いつまでもその人は変わらない。

今ではお酒を呑めばよく笑い、誰かが悩みごとを口にしていたら、ただただ聞いたり、自身の経験と照らし合わせて解決策や突破口を…あくまでも「呟くように語る」。

私はそんな時こうしたかなあ…程度でいいのだ。そして、やっぱり笑う。

どっちの血統なのか、かなりザルなところもあるから、誰かの吐物の世話をする事もあるけれど…笑
それでも、心からお腹がよじれるほど笑い、その時を楽しむのはすごく心地が良い。

もし、自分が何かで悩み、病んでいたら…
その隣りに居る人がため息をつき、愚痴ばかりこぼしていると一層鬱々とした気分になる。
だけど反対に、くだらないことで大笑いしていたら、少し光が差す。
そんな存在になれるまでに、決して流されるように生きてはこなかった。
だけど、今、それは成果となって自身の根となった。



ー、「知らなかった」、と、母は言った。
流されるように近くの高校に入り、流されるように就職したのだと母は思っていた。昨日まで…、

私がどう高校を選び、幼く幸せな日々を送った土地に立ち返りたいために、「その土地」を指定して就職した…という事実は、お互いのコミュニケーション不足もあり、母は知らなかったのだ。

それは不思議な事ではなかったけど…、
ただ複雑だったのが、今の私が成り立っているのは、限局性健忘の間にあった苦悩の日々があるからこそだと…、その事を母に伝える事だった。
また自身を悔やみ、責めて欲しくなかった。
だから、「あの先の明るい今、そしてこれから」を出来るだけ強調した。
そして私がうつ病にかかったように、人は必ずしも完璧ではなく、もちろん親もその限りではなく、だからこそ今の私が本当に感謝していることも、強調した。

「もし」あの時、
〜して「いたら」、
私はその言葉は嫌いだとも。

無意味なことこの上ない想像より、先にある幸せをどう掴むかに、脳味噌を使って欲しい。
考える事や考える時間は本当に少なく、そして自分と向き合い、自分を映す環境…鏡、を、笑っていられる瞬間を多くするために。

わかってほしかった。
感謝していないと、こんなに沢山のことを、積み上げてきた全ての経験で得た「今」を、話さないということも…。



だから、後悔はしていない。

もちろん、私もまた不完全な心の持ち主ではある。
だけど、本当に楽しいという事がどんな事かを知った今、少なくとも方向は間違ってはいなかったのだと思っている。

自分を俯瞰的に見る癖は、その中で自動的についた。
悪くないものだ、
「あの時、あの人はこんなことを話していたな」とか
ふと気付いたら、周りの人達がみんないい人たちだった、とか。

もちろん、ここだけで終わるつもりはない。
「今が至上」だと思ってしまうことなく、貪欲に幸せを求め続け考える事は、今、私が大切に思っている人たちにも、結果的にいい影響を与えるはずだ。

いつか私が憧れ追いかけた心を持つ人たちが、沢山いる。
私は近付きまたその先を見据える。
また、反面教師にした人たちも、沢山いる。
その瞬間は怒りや苛立ちにさいなまれても、それは私を飲み込むことなく、糧となっている。

この先も、色んな出会いや謎が巡ってくるだろう。
でも、急がず慌てず、高鳴った胸を俯瞰して取り戻し、見過ごすことが出来るだけ無いように進んでいこう。


青い空も雨雲も、
そして立ち止まれば思い出す、足元に茂るきれいな緑の草も、
自分を構成してくれた、その全てに
いつもありがとうと言える心のままに。