ごきげんよう
[SBMしぐさ美人メソッド]講師山田こころです
「わたしのこと」と題して
人生を振り返っております。
優等生の鎧を得た女子高生
前回の記事はこちら↓
第一志望の大学に無事合格して
受験が終わったのが3月…
(受験と重なった為2月の卒業式には出られず)
またしてもけっこう特殊な環境
門限は10時。
シスターが門の前で待ってる!
遅れたらカギが締まってる!
シスター寝ちゃってる!
文京区の大学から国立市の寮まで
激混みの中央線で1時間半。
コンパがあっても1次会でサヨウナラしなきゃ間に合わない
外泊も親の許可が必要で
賢い子はお友達に偽造してもらったりしていたけど…
そんな強固な要塞 安全な環境でしたので
親は安心です。
意気揚々と上京する娘に、
母が言い聞かせた言葉。
「人を見たら泥棒と思いなさい。」
なんちゅうことを
と当時は思ったけど、
同じ娘を持つ親になって初めて
母の気持ちが分かりました。
世間知らずな娘に贈る、
精一杯の忠告なのでした。
大学では歴史学専攻(後に転科します)
同じコースの学友は27人。
少人数生の女子大なので
一コース8~30名くらいで
小ぢんまりと、
でも真面目で熱心な学生が多く、
教授との距離も近かったように思います。
(サボるとすぐバレる)
個性的で自立していた学友たち。
授業が終わるとすぐにそれぞれ散っていくような
ドライでサバサバした子が多かったなぁ…
当然歴女の集まりなので
会話はだいぶマニアック(笑)
夏休みには、京都の長岡京の発掘現場で
合宿しました。
「発掘された木簡に書かれた
食糧庁長官の名前が『飢麻呂』だったの。
可笑しいよね~」
そんな他愛もない会話を記憶しています
当時好きだった言葉は
『質実剛健』
女子大生らしくない…
部活はもちろん弓道部に速攻入部。
丁度映画『Shall we dance?』が流行っていた頃で
社交ダンスをしてみたくて
東大のインカレ・サークルにも入会しました。
(「東大社交ダンス部」といえば大会で上位入賞したり
とんねるずのTVにも出たような強豪ですが
わたくしが入ったのはサークルの方)
そして
3年で休学して留学する!
と高校生の時心に決めていたので
(高校時代から親を説得し始め)
1年生から語学学校(アテネ・フランセ)に通い
2年生の夏休みには短期でフランス・グルノーブルへ語学研修に行きました
なぜフランスを選んだのか?
英語ができる人は沢山いる。
→別の言語にしよう
→実用性なら中国語だけど‥
→やっぱり行くならヨーロッパ
→米国でも上流階級はフランス語ができるそうよ(母曰く)
はい、わたくしは米国人でもなければ
ましてや米国上流階級とは
なんの係わりもございませんが
単なるヨーロッパへの憧れ、で
フランス語を選びました
いよいよフランスへ
しぐさの講師に至るまで。こころの場合~留学
へ続きます。