宗谷(そうや)本線にある「塩狩峠(しおかりとうげ)」で、

1909年(明治42年)のきょう、

2月28日に一つの鉄道事故が起こりました…










おはようございます)^o^(


きょうは歴史の中に埋もれてしまいそうな

ひとつの出来事を、皆さんに知ってもらいたくて記事を書きました。

またまた長ぁーーーーーーーーーーいですが(笑)

お時間のある方は、最後まで読んでいただければ感謝です♪








それでは、始めます…



「1909年(明治42年)2月28日、
ここ塩狩峠の区間に差し掛かった旅客列車の客車最後尾の
連結器が外れて客車が暴走しかける事故がおこりました。


その車両に乗り合わせていた鉄道院(国鉄の前身 現・JR)職員の
長野政雄(ながの まさお)さんが、暴走する客車の前に身を挺(てい)して
暴走を食い止めました。

下敷きとなった長野さんは殉職しましたが、これにより乗客の命が
救われました。

現在、塩狩峠の頂上付近にある塩狩駅近くに顕彰碑(けんしょうひ)が
立てられています。


作家・三浦綾子(1922年~1999年)さんの小説『塩狩峠』は
この事故の顛末(てんまつ)を主題としたものです。」
                      (ウィキペディアから抜粋)






三浦綾子 記念文学館

okuto777さんが公開(2010/07/18)
見れない方はここクリックですよ♪






皆さんは、

ミュージシャンの「椎名林檎(しいな りんご)」さんを

ご存じでしょうか?



実は、この「塩狩峠」は林檎さんの愛読書なのです。

中学の時に、国語のテストでそれに初めて出会い、

…テストの間中、ずっと泣いていたという林檎さん


その日のうちに本を買い求め、その日のうちに読破したそうです☆

音楽もすべてひっくるめて、林檎さんが最も影響を受けたという本…

本の帯には、林檎さんの推薦(すいせん)の言葉がありますが…


細かい字はわかりませんが、

「…現在でも 当時の衝撃(しょうげき)が

衰(おとろ)えること無く 私を支配します。

是(これ)はわたしのテーマです。」



…と書かれてありますね♪


どれだけ、林檎さんがこの小説に影響を受けたかが わかります…








この出来事が起きた当時、

長野さんの死の原因として、「事故説」「自殺説」が流れました。

列車の暴走を止めようとしても、事務方(じむかた)であった政雄さんは

ハンドブレーキをひたすら回す以外に知識がなく、あわてていたところへ

何かの原因で、列車から転落した、という見方です。



そして、

実は長野さんの遺体には「遺書(いしょ)」があったことから

自殺説が流れたのですが…

後に、その二つともが否定されました。



特に、遺書のことですが…

長野さんは当日、「結納(ゆいのう)」を控(ひか)えていたこと、

また常時、遺書を携帯していたことがわかりました。



その遺書は、じつは新年を迎えるごとに、新しく書き換えられていました。

その中には、


「わたしは感謝してすべてを神に献(ささ)げます。

…わたしは諸兄姉(しょけいし)が、わたしの永眠(死)によって

天父(てんぷ=神)に近づき、感謝を味わわれんことを祈ります。」
(抜粋)


と、書かれていたそうですが、

常日頃から、自分の死を覚悟しておられたことがわかります。

毎年このような気持ちで、遺書を書き換え、生活されていたのですね。




また長野さんの中には、

れっきとした武士の血が流れていたことも知られています。



長野家は「尾張徳川家」の教育家老として7百石(ななひゃっこく)を

得ていたそうです。

明治時代になったとはいえ、長男であった彼は武士道精神で育てられたと

思います。


そして、彼はキリシタン禁制が解(と)かれて間もなくこの世に生を

受けています。


彼は、耶蘇(やそ=当時のキリスト教の呼び名)は、

邪教(じゃきょう=良くない教え)と教えられて育つのですが、

友人の熱心な伝道により、キリスト教への反論の材料を探すため

聖書を読み始めたそうです。


しかし、反論材料を得るために読み進めていた『聖書』から

キリスト教の真実に出会い、そしてついに17歳の時に

イエス・キリストを信じ受け容れました。


武士道の血が流れていた政雄さんの魂(たましい)には、

潔(いさぎよ)く生きて、潔く死ぬことへの決意が刻印されていた

のだと思います。




そして、長野さんは北海道・旭川教会の信徒となり

熱心にキリスト教の布教に努めますが、その旭川教会の牧師(ぼくし)は

幕末の偉人であった、

「坂本竜馬」の甥(おい)である坂本直寛(なおひろ)氏でありました。










そして、

明治42年2月28日を迎えます…



この塩狩峠の出来事で、大きな奇跡といわれているものに

あの列車の暴走を、人体で止めることは不可能と考えられますが

列車が止まったことです。。 列車の暴走は完全に止まりました。


そして、多くの乗客の尊い命が救われたのでした…





今も、

宗谷本線・塩狩峠の長野さん殉難(じゅんなん)の地には

三浦さんの小説を読んだ多くの人が訪れています。

わたしも、この地を訪れたいと願っています。


























































今日も、

長いブログ記事になりましたが、最後まで読んでくださり

心から感謝します。



いまから106年前の出来事ですが、

塩狩峠、また長野政雄さんの名と共に、

みなさまの記憶の中に留(とど)めていただければ感謝です♪



ありがとうございました(*^。^*)





昨晩も、

恒例の寝落ちをしてしまいましたー(@ ̄ρ ̄@)zzzz


あははチョキ




ほな(笑)…





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