今日は、初夏を思わす京都でした♪


車で走っていても、

思わずエアコンのスイッチに手が届いてしまいます(笑)


この陽気だと、紅葉に影響が出そうです…

紅葉は、朝の厳しい冷え込みで色が鮮やかになると

聞いたことがあります。



ですが(笑)

わたしは暖冬に期待してます(^_^)/

寒いの、イヤです…




前置きの長いブログですみません♪

みなさま今日はあることの記念日です☆


さて、何の日でしょうはてなマークはてなマーク



皆さんも歴史を勉強されて、教科書の中で

一度は目にしたことがある日です☆






『宗教改革』記念日ですね!(^^)!

マルチン(マルティン)・ルターの名前を聴いたことないですか??



歴史のテストでもお目にかかった^^ 名前ですね~


宗教改革につきましては、

下記をクリックして読んでみて下さいね♪


『宗教改革』



さて、わたしはその宗教改革について

多くを書こうとは思っていません。

わたしの生半可な知識で恥を晒(さら)すだけですので(笑)



ここで、少しだけわたしが知り得たことを

書いてみたいと思います。




1517年のある日、

ドイツ・ヴィッテンベルク市の教会の門に、ある巻物が貼られました☆


『95ヶ条の論題(質問)』


この日を境(さかい)に、ローマ・カトリックはマルティンを

危険人物とみなして迫害を始めます。



誤解のないように書きますが、

マルティンは、何も当時のカトリック教会に対して

敵対していたわけではありません。


彼自身が、ローマ・カトリック教徒であり、一修道士でした。

しかし、教会を愛すればこそ、彼が日ごろから疑問に思っていた

ことを、『公開質問状』という形で、世に知らしめたのです。



時のローマ・カトリックは絶大な権力を持っていました。

莫大(ばくだい)な財産をもち、聖職者はぜいたくな暮らしをしていました。


そして、「神」の名のもとに、素朴で貧しい無知な一般民衆の上に

君臨(くんりん)していました。


その最たるもの、マルティンが最も疑問に思っていたことは

『免罪符』(めんざいふ)というものでした。


いくばくかのお金を出せば、

「お前の罪は許される」というもので、貧しい民衆は

苦しみながらも、「免罪符」を購入したのです。


日本にも、こんな言葉がありますね。

「地獄の沙汰(さた)も金次第」← 地獄の閻魔大王のさばきも

お金で何とかなる…というものです。



皆さん、

宗教が権力を持つと、まず「堕落」(だらく)します。

ですので、「政教分離」が叫ばれているのです☆



時のローマ・カトリックは絶大な権力を持つがあまりに

素朴な、純粋な神への信仰を失ってゆきました。



マルティン・ルターは

そのことに非常に心を痛め、何とかして

時のローマ・カトリックが、真の信仰に戻るように願ったのです。


「真の信仰」とはなんでしょう☆


それは、神の言葉である「聖書」に還(かえ)ることです。

「聖書」こそは人間のあるべき姿、神との正しい関係を

人類に教えてくれる、神様の愛のプレゼントだからです。



しかし、

その後、マルティン(以後、ルター)は教会からの破門という社会的抹殺、

身分の剥奪(はくだつ)を受けることになります。

ルターはやがて、ドイツが分裂することを恐れた帝国議会に呼ばれ

そこで、「自説の撤回」を求められますが、


彼は一言こう言ったというのです。

「『聖書』に書かれていないことを認めることはできない。
わたしはここ(聖書)に立っている。
わたしはこうする以外のことはできなかった。
神よ、わたしを助けてください」



やがて、彼はある城に幽閉(ゆうへい)されてしまいます。


皆さん、ルターの宗教改革のことは歴史では習っても

それは表面上の事だけですね☆

その背後に数々のドラマがあったのです。。


城に幽閉されたルターは、

そこで、聖書のドイツ語訳に取り組み、それを完成させました。


当時、聖書はラテン語という非常に難解な言語で書かれていて

無学な一般民衆は読むこともできませんでした。

教会の礼拝でも、ラテン語がつかわれ民衆には何のことかわかりませんでした。


しかし、ルターはその聖書を一般民衆のものにしたのです。

人々は、初めて聖書の言葉に触れ、イエス様の言葉、愛の教えに

触れたのです。



それだけではありません。

その当時、教会の賛美歌も難解なラテン語で歌われ

聖職者や一部の知識人しか理解できませんでしたが

ルターは、その賛美歌も民衆のものにしました。


現代では教会で賛美歌が歌われますが、

このスタイルもルターが始めたのです。

民衆が歌う賛美歌は、やがて「コラール」と呼ばれるようになりました。

ルターは生涯の間に50編ほどのコラールを作詞し、そのいくつかについては
作曲もしました。

16世紀の後半から17世紀にかけて

ドイツは優れたコラールの作詞家、作曲家を数多く輩出しました。

もし彼らのコラールがなければ、バッハのオルガン曲、カンタータ、受難曲、

オラトリオなどの教会音楽は生まれなかったと言ってよいでしょう。



ここまで、

長々とお付き合いありがとうございました。

あともう少しです笑

お付き合いお願いしますm(_ _ )m




このルターの宗教改革を受けて、ローマ・カトリック教会とは

別の宗派ができました。

それが「プロテスタント教会」です。


キリスト教は、大きく分けて

① ローマ法王(教皇〈きょうこう〉)を頂点とするカトリック教会

② カトリックから分裂したプロテスタント教会

③ その他(異端と言われるもの等)



わたしのお世話になっている教会はプロテスタント教会です。

その会員の中に、元カトリックの方がいらっしゃいます。



その方とお話をする機会があった時に、こんなことをおっしゃいました。

「わたしが、カトリックから離れてプロテスタント教会の信者になった時に

親戚(しんせき)の者から、『プロテスタントは地獄に落ちる』と

言われました…」と。




このように、長い世紀にわたって、

ローマ・カトリック教会とプロテスタント教会は、反目しあってきました。


しかし、

20世紀以降、分裂してしまったキリスト教の教派同士の対話と

和解を進め、最終的にはキリスト教会全体の一致促進を目指す

「エキュメニズム」という運動が積極的に行なわれるようになっています。



わたしのお世話になっているブロガーさんに、カトリックの方がおられます。

その方も、「エキュメニズム」に関して積極的な期待を持ってくださっています。

神父様もおられます。とても気さくで優しく、素晴らしい方です。



「プロテスタントは地獄に落ちる…」

それはある意味、カトリックの方々の根底にあるお考えなのでしょうね。

プロテスタントがすべて正しいとも言えません…変な教会もあります。


日本に命がけでキリスト教を伝えてくれたのは、

『フランシスコ・ザビエル』さんでした。

この方はカトリックの宣教師の方でした。





ここで明らかにしたいことがあります。

それは、「人間(人類)」は誰一人として「地獄」のために存在していません。

旧約聖書・創世記にこのように記されています。

「神は御自分にかたどって人を創造(そうぞう=つくられた)された。
神にかたどって創造された。
男と女に創造された。」(創世記 第1章27節)



わたしたちは、神様の形に似せて創造されたすばらしい存在です!!


確かに、気持ちの行き違いはあるでしょう…

考え方の違いはあるでしょう。。。

あって当たり前なんです☆



また、どんな宗教を信じているか、いないか、ではなく

人間として、どのように正しく生きるかが、神様が最も願っておられること

だと思うのです。


愛し合い、助け合い、

「隣人を『自分自身』のように愛しなさい」と言われる

神様の愛のメッセージを実行できたら、カトリックもプロテスタントも

イスラムも仏教も、ヒンズーもその他、様々な宗教の違いを越えて

人は仲良く平和に暮らせるのではないでしょうか。


その時、この「地球」は真に「美しい星」として宇宙の中で、

格別に輝くのではないでしょうかキラキラキラキラ




マルティン・ルターの「宗教改革」記念日のきょう、

わたしの教会での牧師先生のメッセージを聴いて、

そんなことを考えていたいなか道でした。





最後に、コラールの中の代表的な曲をご紹介します。

J・S・バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」です♪


きょうも、長いブログを読んでくださってありがとうございました。

学生さんで、いつか歴史の時間で、「宗教改革」のことを学んだ時に

この、いなか道のブログを思い出してくだされば幸いです♪




"Cantata,147(主よ、人の望みの喜びよ)" on electone STAGEA

eleharuさんが公開(2009/11/26)






※ わたし、いなか道が間違ったことを書いていましたら

  どうかご容赦(ようしゃ)ください。




ほな(笑)…


   ペタしてね

あしたからの新しい1週間、がんばりましょうね!(^^)!