波の彼方(かなた)に…





こんばんは♪


みなさま、いかがお過ごしですか?

GW楽しんでられますか??


わたしはカレンダーどおりですので明日は仕事です☆

がんばります(^_^)/





きょうのブログ記事は少し長いですが…

お付き合いいただければ感謝です♪




16日に珍島沖で起きた旅客船セウォル号の沈没事故の悲劇は

わたしたちの記憶に新しいところです。


この海難事故には、数多くの「なぜ?」がありますね…

なぜ沈没までに2時間もあったのに何の対策も取られていなかったのか…

なぜ、避難誘導が無かったのか…

etc…



韓国紙・東亜日報の中国語版サイトは

「セウォル号沈没の日、国恥(こくち)の日・・・」と題した社説を
掲載しました。

「不幸にも亡くなった方のことを思うと何とも言えない悲しみが
こみ上げてくる。
まだ若い学生たちが暗黒の海の中でたった1人で死の恐怖と戦っているなんて。
どうか死の恐怖に打ち勝って奇跡的に生き延びていてほしいと願わずには
いられない。
だが、どんなに悲痛な祈りを捧げても何の返事も聞こえてこない。…」(抜粋)


セウォル号沈没の日を、「国恥の日」と位置付けた東亜日報の

社説全文は下記からお読みください。



韓国旅客船沈没>後進国並みの事故再び・・
「国恥の日」と定め、後世に―韓国メディア




この事故の大多数の犠牲者が、未来のある高校生たちだったということも

涙を誘います…

もちろん犠牲者を年齢で惜しむわけではありませんが。。。


そして、わたしたち日本人にとって、とても悲しむべきことは、

この高校生たちが、国連にも日本糾弾(きゅうだん)の手紙を出すなど

韓国国内の反日行動の代表格として報道されるほどの超有名校「檀園高校」の

「愛国心満ちあふれる学生たち」だったことです。

※純粋な彼らは、国家の反日教育によって洗脳されていました。。




この事故に遭(あ)った時は修学旅行中の出来事だったということですが…

修学旅行の行き先は、済州島の「抗日記念館」で日本に対し謝罪と賠償を

求める予定だったそうです…


わたしは、それを「天罰だ」という意見には賛成できません。

韓国という国に生まれ、何も知らない真っ白な心のキャンパスに

「反日」という、虚偽(きょぎ)のどす黒い絵の具を塗られてしまった、

この未来ある若者たちの命を、心を、魂(たましい)を惜しむのです。



もし、天罰があるとすれば、

船長以下、船員たちが真っ先に逃亡して、乗客の命を守り救出すべき

任務を放棄したことに対してあるべきでしょう。

彼らは全員逮捕されて、裁判にかけられるようですね。。

船長は、「船長ですか?」という救出隊員の問いかけに

「いや、ただの船員だ」と言ったそうです…

現在、彼らは責任のなすり合いに必死になってるということです。

本当に、情けないことです…








この屈託ない笑顔に、「反日」という二文字は感じられません。

彼らは、わたしたちの国の若者たちとなんら変わらない青春の

最中(さなか)にいたはずでした…


あの日までは…





わたしは、この海難事故のことを知った時に、

別の海難事故を思い出していました…

それは、「洞爺丸(とうやまる)事故」です…


1954年(昭和29年)9月26日に青函航路(本州・青森⇔北海道・函館間)で

台風第15号により起こった、旧国鉄(現・JR)の青函連絡船洞爺丸が

沈没した海難事故です。

死者・行方不明者あわせて1430人に及ぶ、日本海難史上最大の

惨事となりました。


これは、あのタイタニック号(1912年、死者1513人)に次ぐ史上第2番目の

海難事故と言われています。

もう、ご存じの方も少なくなってきていると思いますが…



わたしが、きょうお伝えしたいことは

この海難事故の最中に、一つのエピソードがあったことです。。


この洞爺丸に、

アメリカ人宣教師・ディーン・リーパー以下、3人の若き宣教師が

乗り合わせていました。

ディーンは恐怖におびえる乗客に、自慢の手品を披露(ひろう)、船室の空気を

やわらげることにつとめていましたが、いよいよ船が沈没するときが来て

ディーンは、たまたま同乗していたアルフレッド・ストーン宣教師、

ドナルド・オース宣教師と力をあわせ、悲鳴の渦(うず)のなかで逃げまどう

乗客に救命具を配り、着用に手間取る子どもや女性を必死に助けました。


アルフレッドは、救命具のない学生を見つけ、「あなたの前途は長いから」と

言って、自分の救命具をゆずりました。

ディーンは、子どもづれの母親に「ワタシノヲ、アナタニアゲマス…」と言って

自分の救命具を与え、最後まで励まし続けたと伝えられています。


洞爺丸が転覆したところは、七重浜からわずか600メートルの海上でした。

七重浜には、打ち上げられた遭難者の遺体と船の残骸があふれました。

その中に、助かった人々も流れ着きました。

助かった一人の婦人が、救助隊員に叫んで言いました。

「わたしの後ろで、わたしに救命胴着を譲ってくれた外国の方がいました!

彼を助けてください!! お願いします!!」


ドナルドは奇跡的に助かったが、アルフレッドとディーンは遺体で見つかりました。


事件後、

日本経済新聞は、救命具をゆずり、乗客を励ましながら死んでいった

二人の宣教師を、「北海に散った外人宣教師」の見出しで報じました。


ディーンの長男スティーブンは、やがて広島で平和運動の働きに従事。

次男デイビットは牧師に。長女リンダは牧師と結婚、作家・三浦綾子さんの

『氷点』に父親のエピソードが書かれたことを感謝し、のちに三浦さんを

訪ねました。

北海に散った父、ディーンの生きざまは、しっかりと子どもたちに受け継がれて

いったのですね。



いま、「台風海難者慰霊之碑」という慰霊碑が七重浜(北海道北斗市七重浜)に

建てられています☆


この慰霊碑は、現在も海峡を行く船を静かに見守っています。










おだやかな波の彼方に、

このような悲劇と、感動のエピソードがあったことに思いを馳(は)せたいと

思うのです…



宣教師だった、ディーン・リーパーは聖書のこの言葉を

自らの生きる指針としていたといわれます。。


「友のために自分の命(いのち)を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」
                            (ヨハネによる福音書15:13)









           ディーン・リーパー(Dean Leeper,1920年11月12日 ~1954年9月26日)





                         ありし日の洞爺丸




最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

洞爺丸事故と、そのエピソードに思いを馳せていただけると

感謝です♪




ほな(笑)…



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※ 誤字・脱字には注意しているつもりですが、もしありましたらご容赦ください m(__)m