こんにちは☆



  戻り梅雨も、一段落している京都ですが…

  みなさまのところはいかがでしょう?



  古都の上空には、夏の空が広がっています♪


  ところで、皆さんは知っていますか?

  こんなことを…



  きょうは、少し長くなりますが、

  お時間のある方だけでも「立ち読み」してくださったら(笑)

  …と、思って書いてみました。

  途中で、休憩、お食事に…あ! おトイレも…どうぞ!





       それでは、始めまーす目



  もう、あれから2年半以上の歳月が経過しましたね

  『東日本大震災』…



  「2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒(日本時間)、
  宮城県牡鹿半島の東南東130km、仙台市の東方70キロ
  (英語版の記述に基づく)の太平洋の海底を震源とする
  東北地方太平洋沖地震が発生した。

  地震の規模はモーメントマグニチュード (Mw) 9.0で、
  日本周辺における観測史上最大の地震である。」(ウィキペディアから)

    


  きょうはその知られざるエピソードをプロローグとした記事を

  書きたいと思います。




  

  みなさんはご存じですか? 

  イスラエルのグループがいまも被災地でずっと働いていることを☆



   一番乗りの救援♪

   東日本大震災直後に外国からの救援団体としては

   どこの救援国よりも早く、一番最初に、イスラエル医療団が

   被災地に入り、救援活動を行ったこと。

   以前にブログにも書きました☆



   軍の飛行機にプレハブ建材、医療機材、救援物資、自分たちの食料、水、

   ガソリンまで積み込み、自力での援助のための準備は完全でした。

   …文字に書いてしまえば、たった数行のことですが、

   これを実行に移し、日本に一番乗りをすることは、決してやさしいこと

   ではありません。。

 
   この国、イスラエルも、自国に多くの問題を抱え

   国民は、常に、周辺国からのテロ、ミサイル攻撃などの

   命の危険さらされています。。



   しかし、イスラエル政府は

   「わたしたちが、多くの困難に直面し、『国家』の存亡に

   かかわるような中で、日本を始め、多くの国々が、またその国民が

   心からの支援を行い、国家の独立を助けてくれたことを決して忘れない。

   だから、わたしたちは、友が困難に直面した時には、いつでも助けに行く!

   わたしたちは、『杉原千畝 (すぎはら ちうね)』さんの名を

   永久に忘れない…」


   ☆杉原千畝…

    第二次世界大戦時に、ナチス・ドイツに迫害されたヨーロッパの

    ユダヤ人たちが、日本を経由してアメリカなどに逃避(とうひ)

    するのを助けるために、日本外務省の命令に反して、三日三晩徹夜で、

   「命のビザ」を発行し続けた、外交官。


    杉原さんによって救われたユダヤ人の数は、6000人を超え

    その子孫たちは、今、5万人とも、6万人とも言われている。」




   その言葉通りに、忠実に、一番最初に被災地に駆け付けてくれた

   イスラエル政府派遣の医療団は、津波で破壊された病院の代わりに、

   簡易診療所(かんい しんりょうしょ)をつくり、

   そこに医療機材を入れ、印刷した日本語の問診表まで用意して、

   診察を始めたのです。


   そして、初期援助の役割を終え、帰国する時には、高額な医療機器を

   すべて残し、地元の医師たちがそのまま診療できるような形にして、

   祖国へ帰って行きました。 


   Israeli medical team helped people in Miyagi 1
   イスラエルが仮設病院で支援

   
   TERRY Makiさんが公開(2012/03/15)



   イスラエル政府の代表ともいう形で、イスラエル医療団の活動が行われ、

   話題にもなりましたが… 実は…


   イスラエルの民間団体(NPO)の活動が同じ時期から始められ、

   今も、そして確実に、静かに東北の地で継続されていることを

   知っている人は、多くありません。



   そして今では、このグループが被災地で活動を継続している唯一の

   外国のボランティア団体となっています。





   イスラエイドという組織

  イスラエイド(IsraAID)というこの団体は、イスラエル国家の独立・存続を

  国際社会が支えてくれたことを思い、今度はイスラエルが、人道的援助を

  必要とする国々に積極的に出て行って、息の長い支援を行うことを目的に、

   これまで個別に国際支援活動をしてきた専門分野の異なる多くの組織が

   集まって、より迅速(じんそく)で総合的援助をしようと結成した

   大きなNGO(非政府組織・民間団体)です。


   イスラエイドの「エイド」は「助ける」と言う意味があります…

   みなさんは絆創膏(ばんそうこう)の「BAND-AID」(バンド エイド)を

   知ってますね(●^o^●)


   設立以後、アジア・アフリカ諸国の貧困地域での食料・医療・教育支援、
 
  自然災害の被害を受けた中国(地震)、ミャンマー(サイクロン)、

   をはじめ、津波で被害を受けたスリランカ、ハイチなどにも緊急救援隊や

  「心のケア」支援チームなどを送り、数多くの多岐にわたるプロジェクトを行い、

  現在も多くの国での活動が継続しています。





   日本での活動

  イスラエイド日本チームは、3月11日の東日本大震災直後、4日後には

   自力で現地に入り、20トン以上の救援物資、医薬品などを提供しました。

  当初からPTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療を含む「心のケア」の

  必要性を掲げていましたが、その時点ではまだ、被災地では耳を傾けてくれる

  団体もありませんでした。

   日本では、残念なことですが、PTSD―心的外傷・トラウマに対するセラピーが

   大変遅れています。

   国レベルでも、そのセラピーを重要視されてきませんでした。

   

  運んできた救援物資さえ、分配する人材不足から受け取りを拒否され、

  最初に到着したイスラエル人チームは戸惑(とまど)ったと言います。



    しかし…
 
    ある避難所に入った時に、子どもたちに持ってきたクレヨンを配ったところ、

  とても喜ばれ、それ以来、役所の許可が出て、緊急支援物資の配布が

    可能になりました。


あまりにも広範囲な被災地を目の前に、イスラエイドのメンバーは

無力感を感じながらも、

現地の人に受け入れられる援助を探し、毎日、がれき処理、家の泥落とし、

整頓(せいとん)など厳しい作業をひたすら続けました。
  


  ひと月余りそのような活動をしながら、本来の目的である

   「心のケア」ができる機会を探(さが)しました。




   心のケア

  イスラエイドの最初の「心のケア」は宮城県の亘理町で始まり、

  続いて山元町、名取市、福島県新地町、などに広がっていきました。


   初めての集まりでは 子どもたちと学校の先生方が「感情表出療法」やアート

  音楽・運動セラピーなどを受け、参加者のほとんどが、津波のトラウマに関して、

  初めて自分たちの感情を表現することができた、と話していたそうです。


  この最初の成果が地方レベルにも、日本の国家レベルにも良い印象を与え、

  いろいろな団体からの援助要請を受け、各地に出向いてセミナーが

  行えるようになりました。

  そして、その活動は放射能の持続的影響下にある地域の子どもたちや、

   仮設住宅の人々の心のケアにまで広がっています。


  イスラエイドは震災後からこれまで、約2週間の滞在を2カ月に一度行い、

  PTSDに関するグループ療法のセミナーを行っています。

  その都度PTSDの治療を30年以上専門にしている臨床心理の医師などが

   派遣されてきます。


  幼稚園や保育園の子どもたちに直接グループ・セラピーを行うこともしますが、

  幼稚園や学校の先生方を対象とする教育者訓練や、医療機関、

  介護機関などの専門家を対象とする専門家訓練などを行い、

  イスラエル人が直接治療することよりも、

  長期にわたるケアを、日本人自身が継続していくことを目的としています。



  活動しておられるイスラエイドの一人ひとりが本当に大きな犠牲を払い、

   少数のメンバーですばらしい活動をし、心に大きな傷を負っておられる方々が

   実際にイスラエルの人々の温かい援助を通して励まされ、セラピーを受け、

   学んでおられる様子は観る者に感動を与えます。



$いなか道のブログ




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    イスラエイドの活動の様子 「空気格闘技」

   子どもたちと先生たちとが二つのグループに分かれ、対面します。

   まず、先生たちが声と手と身体を使って、子どもたちを押していきます。

   すると、子どもたちもそれに押されて後ろに下がるポーズをとります。

   今度は子どもたちが押す順番です。

   「エーィ、ヤーッ」と全身の力を伸ばした手に入れて、

   先生に向けて空気を押します。

   先生たちは少し大げさに押されたポーズで倒れます。

   子どもたちは大歓声。

   それを何度も繰り返すうちに、全員が一つになって、この「格闘技」に

   没頭していました。相手と接触する危機感なしに、身体のエネルギーを

   まっすぐぶつけられる、この「遊び」に子どもたちは夢中でした。




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   2012年1月から連続して滞在し、3,500人以上の方を対象に

   セミナーがもたれています。

   震災直後の状況から考えると、このようにイスラエイドの活動が理解され、

   援助要請が各地から届くようになったことは奇跡だと、チームの責任者は

   うれしそうに話していました。

   これほど今の日本に必要な仕事をイスラエルの人が進んで行って

   くださっていることに感動しますが、そのことを知る日本人は

   ほとんどいません…。



   この「イスラエイド」の活動によって、震災で傷ついた多くの心がいやされ、

   生きる希望を見いだし、そして、被災地に笑顔が戻ってくるなら…

   これからも、可能な限り東北に滞在し、すばらしい活動を

   続けていってくれるようにと、願います。



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      国際援助機関イスラエイド(IsraAID:イスラエル国際人道援助フォーラム)の
       ジャパン・プロジェクト・コーディネーター、ヨタム・ポリッツェー氏


                                          


  次は、このイスラエイドの母国であるイスラエルについて、

  彼らがが抱える多くの困難な状況について、

  乏しい知識ですが、書いてみたいと思います。


  彼ら、イスラエルが、ユダヤ人たちがいま「存在」を

  脅(おびや)かされています。。