命をかけて守った人たちがいました☆
こんにちは(●^o^●)
過日…6日と9日に
わたしたちは67回目のヒロシマと長崎の
原爆記念日を迎えました。
…ということはやがて15日(水)には
67回目の終戦(敗戦)記念日を迎えますね。
わたしの亡父は第2次世界大戦時に召集を受け
満州、今の中国大陸を転戦して
「人間の目が見てはいけないことをこの目で見て
耳が聞いてはいけないことを聞いてきた…」と
よく話してくれました。
軍の駐留地の歩哨(ほしょう)として1時間交代で
警戒の任務にあたっていた時…
深夜…まっ暗闇の中に無数の「火の玉」が飛んでいるのを見たとも。
当時は戦死者を葬(ほうむ)ることもできず
中国の大地にそのままにされて行った多くの戦友たちの
魂(たましい)が
祖国日本に帰りたがっていたんだと思う…と。
父のこうした戦争体験は幼いわたしの耳と心に消えることのない
刻印を残しました。
これはとても大切なことだと思います。
戦後67年を経(へ)て…
このような戦争体験者「証人」が少なくなってきます。
やがて…
この国は戦争の「証人」が一人もいなくなる時が必ず来ますね。
その時がこわいのです…
人間はまた同じ過ちを繰り返すと言います…
そうならないために戦争を「過去のこと」としてではなく
永遠に語り伝えていくべきものとしなければならないと思うのです☆
今も…世界各地で戦争が起こり…紛争が絶えず
多くの破壊と殺りくが行われています…
「人間はなぜこうも戦争が好きなのでしょう…
なぜこうも破壊と殺りくが後を絶たないのでしょう…」(アンネ)
今から67年前…
愛する家族・恋人…そして美しい祖国を守るために
自分の命を捨て二度と帰るこのない闘いに出撃して行った
多くの若者がいました…
「神風(かみかぜ)特別攻撃隊」…
今の中学生・高校生と変わらない少年たちもいました。
彼らは自分自身を「爆弾」」として敵艦に体当たりして行きました…
彼らが遺した「遺書」が現存しています。
特攻隊員たちが遺した・・・『最後の言葉』 相花信夫
poyonkoさんが 2011/09/27 にアップロード
☆ 相花信夫 少尉
☆ 陸軍特攻第77振武隊所属
☆ 昭和20年5月4日 特攻戦死 享年18歳
日本再興を願った方たち -神風特別攻撃隊
mrmorokoro2さんが 2010/12/10 にアップロード
この特攻によって戦死して行った日本の若者たちを
攻撃された側のアメリカの兵士たちは 同じ軍人として非常に尊敬し
空母や戦艦に四散し遺された特攻兵士の遺体をていねいに集めて
最高の「水葬」をもって弔(とむら)ったといわれています☆
今…
わたしたちは 祖国を守るために死んでいったこの若者たちに
自信をもって今の日本を見せることができるのでしょうか…
「子犬を抱きながら特攻隊の方の優しそうな笑顔・・・・
俺は一生忘れません、
特攻隊の方々のように強く、誇り高く、優しい人になります。」
(motoさん)
「ありがとう、ありがとう、ありがとう。
貴方がたが守ってくださったこの日本という国で
わたしたちは今日も元気に暮らしています。
問題が無いわけではないけれど
この命を精一杯生きています。
本当にありがとう。
安らかに御眠りください。」(カオルさん)
「わたしは戦争のことは、あまりよくわからないけど、
でも、これだけは心を込めて言えます。
特攻隊の皆様、日本を守ってくれて、ありがとう。
一生あなた方のことを忘れません。
本当に、ありがとうございました。」(クミコ824さん)