名言セラピー【世界一短いラブレター】
名言セラピーひすいこたろうさんのメルマガより

読んでみてください。。。


「1956年。
日本で初めて、南極観測隊が派遣されました。

日本を出て、南極での観測が始まると
家族には会いたくても会えない、そんな状況になります。


数カ月間、厳寒の地で過酷な任務を強いられる隊員達にとって
唯一の楽しみは、家族からの年賀電報。



メールや衛星電話のない当時、銚子無線電信局から送られるこの電報だけが、
たった一つの通信手段だったのです。


日本を発って1年が過ぎた417日目。

食料も底を尽きかけ、
国内では観測隊11名の安否が気づかわれていました。


そんな中、昭和基地で迎えた2度目の新年。
日本に残されていた家族から隊員達へ、
新年のメッセージが届けられたのです。




モールス信号によって送られるのは、カタカナと数字のみ。





限られた通信時間のほとんどは、公的機関からの指示などに費やされ、
私的な電報は極力少なめにと制限されていたのです。


新年を迎えた昭和基地で、メッセージを受け取った隊員たちは、
一部屋に集まり、自分宛てに届いた家族からの電報を全員の前で
披露(ひろう)しはじめました。 


隊員たちは、それぞれの家族からの電文を、自分のことのように聞き入りました。

隊員の健康を気遣うもの、
留守家族の近況を伝えるもの、
無事に帰ってきてほしいなど、
次々と披露されていきました。



隊員からは笑い声が起こったり、目頭を押さえているものを冷やかしたり、
楽しい時が過ぎていきました。


やがて、当時36歳の機械技術者、大塚隊員が妻からの電文を披露する
番になりました。


しかし、彼は披露するのを躊躇(ちゅうちょ)していました。
みんなから促(うなが)されるようにして、ようやく読み上げられた電文に、
隊員達は言葉を失いました。



読み上げられた電文、それはたった3文字…… 






 「 ア ナ タ 」





3文字のラブレター。
その中には奥さんの寂(さみ)しさや、不安、押さえきれない愛情が詰まっていました。

夫妻に子どもは無く、奥様はたった一人で夫の無事を祈っていたのです。




それから40日後の1958年2月10日、隊員達は、食糧危機を耐えしのぎ、
小型飛行機で救助され、全員、無事帰国。
日本中が勇気ある隊員たちの帰国のニュースに、沸(わ)きかえりました。


隊員たちを迎える家族たちの中には、もちろん、あの奥様の姿もありました。


実は、「アナタ」という3文字のラブレターは、
奥様が電報局まで出向き電報技師の助けをかりつつ、
自ら思いを込めて打った言葉だったのです。」


たった3文字のラブレターには「3文字だからこそ」伝わるものが
あったのですね♪
愛する人へ気持ちを伝えるためには…決して多くの言葉は
必要ないのかもしれません。
たとえ短くても…全身全霊を注いで放つ言葉があれば…



あなた 小坂明子
sarideplam さんが 2011/02/11 にアップロード