…若者たちの間で読まれている「小説」があります。


  その小説が 若者たちの間で読まれるようになったのには理由があります。



  ある女性アーティストが自身のブログでその小説について書いたことが

  原因でした。



  その…女性アーティストの名は



        椎 名 林 檎 (しいな りんご)


  その小説の題名は…


        塩 狩 峠 (しおかりとうげ)


    原作者は…三浦綾子(みうらあやこ)さんです☆

   『氷点』で文壇にデビューされた方ですね。


   椎名林檎さんが音楽もすべてひっくるめて最も影響を受けたというのが、

   三浦綾子さんの小説『塩狩峠』なんですね。

   中学の時、国語のテストで初めてそれを読み、思わず泣き出してしまったということです。

   椎名林檎さんが最も影響を受けたという『塩狩峠』…

    その内容を…

   すこしご紹介したいと思います。。。



   北海道に宗谷本線(そうやほんせん)というJRの路線があります。

   宗谷本線は、北海道旭川市の旭川駅から名寄(なよろ)市の名寄駅を経(へ)て、

   稚内(わっかない)市の稚内駅を結ぶ北海道旅客鉄道(JR北海道)の

   鉄道路線(地方交通線)です。

   北方領土を含めない日本最北の地に至る鉄道で、地方交通線としては

   日本最長の路線(幹線を含めると山陰本線が日本最長)だそうですが…


   その宗谷本線の『塩狩峠(しおかりとうげ)』と言う場所で…


   「1909年(明治42年)2月28日、ここ塩狩峠の区間に差し掛かった旅客列車の

   客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかける事故がおこった。

   その車両に乗り合わせていた鉄道院(国鉄の前身)職員の長野政雄(ながの まさお)が、

   暴走する客車の前に身を挺(てい)して暴走を食い止めた。

   下敷きとなった長野は殉職したが、これにより乗客の命が救われた。

   現在、塩狩峠の頂上付近にある塩狩駅近くに顕彰碑が立てられている」
                                 (ウィキペディアから)


   当時はもちろんSL(蒸気機関車)でした。

   いつもなら この塩狩峠を越すのに先頭と最後尾の2台のSLが使われるのですが

   その日に限って先頭の1台のSLしかなくて 塩狩峠を客車をけん引して登っていました。

   もうすぐ峠の頂上に差し掛かろうとした時に…

   最後尾の客車の連結器が外れて…坂を逆走(ぎゃくそう)し始めました。


   その客車に…ちょうど一人の国鉄職員が乗っていました。

   異常に気付いた乗客がパニック状態になる中を その国鉄職員「長野政雄」さんが

   「みなさん! 大丈夫です。 必ず暴走を止めますから安心してください!」と

   乗客を落ち着かせて 客車の後部デッキに出て 手動ブレーキのハンドルを操作しました。

   効果があってかなり暴走のスピードは落ちてきましたが 完全には止まりません…


   やがて長野さんの目は 前方のカーブを認めました。。。

   このままでは また速度が増し あのカーブを曲がり切れずに横転してしまう…

   「今なら…この速度なら…あるいは止まるかもしれない…」

   敬虔(けいけん)なクリスチャンであった長野さんは 一瞬祈ってから…

   身をひるがえして客車と線路の間に飛び込みました…



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                        《 映画 『塩狩峠』から 》
                          


   客車は鈍い音と共に停止しました。

    1909年(明治42年)2月28日のことでした。

   
   この長野政雄さんの犠牲(ぎせい)の死を知った作家の三浦綾子さんが「塩狩峠」という

   作品を著(あらわ)し、中学生だった椎名林檎さんの目に留まったのですね。



  塩狩峠記念館(三浦綾子旧宅)
  
  chudokuinfo さんが 2010/10/18 にアップロード
   


  


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                       雪に埋もれ…静かにたたずむ「塩狩峠」の駅



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                このカーブの手前が長野さんが身を投げ出して乗客を救った地点です
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