こんにちは^^
私は仕事柄、
「死ぬってどういうことですか?」
と、クライアントさんに
よく聞かれます。
(少しスピリチュアルになるので、
お嫌いな方はスルーをお願いします)
そんな時、
私はクライアントさんに
「目をつむってみてもらえますか?」
とお願いします。
目をつむると、
自分の身体が見えなくなります。
でも、ちゃんと今ここに
自分がいるという意識はあります。
何も変わらない。
ただ、身体が見えない。(身体が無い)
でも、確かに自分はここに居る。
意識だけの状態。
例えば、死ぬって
わかりやすく言うと
そういうことです。
自分の身体(肉体)が
ないだけで、
中身はそのまま。
何も変わりません。
肉体を脱いでいるから、
他の人からは
見えなくなっている状態です。
※よく人は亡くなると、美化されがち
ですが人格はそのままなので
ずるい人はずるいまま、キザな人は
キザなまま、何も変わりません。
お寺さんでは
「人間は死ぬと無になる」
と教えられていますが、
残念ながら無にはなれません。
外側にある、
人間の肉体を脱いで、
中身(魂)だけになった状態を
こちらの言葉で「死ぬ」といいます。
亡くなる前、
肉体が病気などで
辛かった場合には
肉体を脱ぐ事で、痛みや辛さは
全て無くなりますが、
亡くなる前、
肉体ではなくて
心、
精神的に辛かった事や
思い残してきた事は、
死んでも思いはそのまま
残ってしまい
一緒に持って行ってしまいます。
※自分がやりたい事はすぐに実行する、
自分の人生を生きること、
素直にやりたい事をしていくこと、
たくさん本当に
やりたい事をして楽しむこと、
そう言われているのは
いつ死ぬかわからない人生で
自分が悔い持って行かない為です。
一方で、
自殺以外のあらゆる死因で
亡くなった方は
「寿命」に相当します。
亡くなった方は、誰でも
肉体を脱いだ瞬間から
すぐに自分の今までのルーツ
前世の全てを思い出します。
(それを認めない霊もいます)
亡くなった方は
今回の生きてきた
自分の人生を
自分が生まれてくる前、
前もって自分が死ぬまでの台本を作り
(燃えるように生きてパッと消えよう
など、具体的に内容を決めて)
それを実行してきて
自分の決めた最期(死に方)を終え
役目を終えたから、自分は
こちら(あの世)に戻ってきたんだと
亡くなった本人は
気づいているので
短くとも、自分の人生を
自分の死を納得しています。
自分の人生をやっと終えた後、
各所に挨拶まわりを終えると
次の生まれ変わる準備のために
天国に向かわなければなりません。
(成仏といわれます)
納得できないのは
遺族や
周りの人達です。
まだ一緒にいたかった
まだやりたいことも
あっただろうに
まだ若いのに
まだ人生これからなのに
こんな事になるなら
もっとこうしておけばよかった
など…
亡くなった方は、
殻(肉体)を脱ぎ
魂だけの状態のため、
とても敏感な状態になっているので
遺族たちの悲観な想いは
時として
長い困難から、抜け出せ
やっと楽になり
天国へ向かおうとする人の
黒くて重たい鉛のような
重りになってしまいます。
それでも
遺族が大切な人を失い
つらく、
苦しく、
成仏してほしくなく、
もっと近くにいてほしいと
願ってしまう気持ちは
誰よりもわかります。
大切な人を亡くして
悲しまない人はいません。
思い切り泣いてください。
悲しんでください。
悔やんでください。
自分を悪者にしてください。
泣いて泣いて
時間が経ち、
少しでも顔を上げることが
できるようになったら
少しずつ少しずつ、
次の事を
考え始めましょう。
大きな傷を追った
今の自分ができること。
昔から興味があったこと。
今回の事で思ったこと。
誰もが出来ることならば
あなたがやる必要はありません。
自分が自分の道を歩き出した時、
亡くなった方は誰よりも
見えない協力を
進めてくれます。
だから、絶対
1人じゃありません。
大丈夫ですから^^
自分の混乱が落ち着くくらいに
たくさんの
時間が経った時、
わかる日が必ず来ます。
死ぬということは
終わりではありません。
せめて、
少しでも早く大切な方が
楽な天国に行けるように
ご遺族を
ご本人を
安心させてあげたいと
いつも願っています。
そして、
またいつか
必要な時が来たら
なぜ、自殺がいけないのかも
書いてみようと思います。
長い文章を
お読みいただき、
ありがとうございました^^
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