昨日の山行の帰り、プレゼントをもらった。
彼女も使っているという、竹のキッチンクロス。
さっそく今日は、それで洗い物。
洗剤を使わないのは、抵抗なくもないけれど、地球にやさしいのは心も心地よい。
一緒に添えられていたお手紙は、彼女らしく、ぽつぽつと丁寧に書かれていて、
何事にも丁寧に向き合う彼女の人柄がにじみ出ていた。
彼女と山を歩くと、こちらがほのぼのさせてもらえる。
若いのだけど、なんだかとても安定感がある。
山を歩くとき、見えるものにしか心を動かすことができない人がいるけど、
彼女と歩いていると、どの世界を歩いているのかな?と思うときがあって、
見える景色の奥の世界を旅している感じがするのだ。
見えないものを心で感じることができる、例えば、秋の街角で木々の葉がふわっと
舞い上がった時に、風の存在を感じられたり、通勤途上に咲く小さな花を見つけて
山のお花畑にいるかの如く幸せ感を得られる人を、
「心の目が開いている人」
と、私はひそかに呼んでいる。
彼女は私の中では、「心の目が開いている人」なのだな。
見えるものに右往左往せず、すーっと一本、筋が通った安定感がある。
物をもらったから、持ち上げてるのではないぞえ!
山歩きをしている人は、不思議とそういう人が多い。
だから、一緒に歩いていても心地よい。
山歩きをすると、何かのはずみに心の目の開け方に気づくのかもしれない。