7月1日(土)→
みなさま
ごまー
中国から届いた↓
中国製ハムバッカー・ピックアップです。
左のは2個セットで1794円、右のが870円。激安です。
早速ウチのストラトに取り付けたいところですが、位相チェックをしないといけません。
ところがテスターの調子が悪く、それ以前に位相チェックとか配線の仕方を全く忘れてしまってます。
ちょっと復習が必要です。(電気電子工学科の人からすればこんなの初歩の初歩レベルでしょうけど。)
位相チェックの方法はこの動画が分かり易いです↓
4芯P.U 各配線の判別方法
簡単ですね◎
一応ヴァイ配線にするつもりです。
フロントorリアPUとミドルPUとのハーフトーン時にはハムがオートタップするという配線です。
あっ、因みにこのあいだ買った中国製のベースのネックですが、まだ取り付けていません。
きっとこのピックアップも当分は取り付けられずに放置されることでしょう
さてさて、ついに7月になってしまいました。
誰が何と言おうと、もう夏です。そう、私の嫌いな夏です。
ところでちょうど1年前、去年の7月1日、私は何をしていたかというと…
ヴィニー・ヴィンセントのセカンドを買ってたのでした。
買っていつもの如く日本橋公園で無理矢理スズメと記念撮影(写真上)。
けどジャケットがよく見えませんな。
そして練習へ向かう途中、大阪城公園に寄ってCDウォークマンにセット(写真下)。
因みに入れてきたCDはソフトマシーンの『5』でした。
そう、私はこの日からずっとヴィニー・ヴィンセントについてブログを書くつもりでいたのです。
しかし、書こう書こうと思いながら、1年が過ぎてしまいました。
ちょうど1年ですし、なにがなんでも今日こそ書こう。
そのためにも今日はヴィニー・ヴィンセントのファーストを買いました。
↓↓↓
例の如く日本橋公園で記念撮影
今日はスズメたち来てくれなかったので、花をバックに撮影。
そして大阪城公園へ移動して…
去年と同じベンチでウォークマンにセットして鑑賞。
因みに家から入れてきたのはマーク・ボールズ『リング・オヴ・ファイアー』。
以上、ドーデモイイ話でした
ヴィニー・ヴィンセントがKISS脱退後に結成したバンド、ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョン。
所謂LAメタルと呼ばれる、衣装やメイク、ヘアースタイルのきらびやかなバンドでした。
ロングヘアーをスプレーで盛り上げた髪型からLAメタルは“ヘア・メタル”とも呼ばれてました。
ファースト・アルバムの裏ジャケ↓
半魚人顔のヴィニーも、メイクと髪型がばっちり決まってます(?)
私はKISSもLAメタルも興味がなく、ヴィニー・ヴィンセントを聴いたことがありませんでした。
しかし、学生の頃からずっと気になるギタリストでした。
というのも昔、楽器屋の店頭でかかってた彼の教則ビデオを見た時のインパクトが強烈だったので…
これ↓
Vinnie-Vincent (solo)
イングヴェイとはまた違った速弾きで衝撃的でした。
ヴィニー・ヴィンセントは1952年8月6日、Wikipediaによると米国はコネチカット州生まれ(CDライナーにはニューヨークのブルックリンとなっているが…)。父はスティール・ギター奏者で、母は父の伴奏で歌っていたというまさに音楽一家に生まれ、早くも3歳頃から楽器を弾き出したそうです。そして8歳頃から正式な音楽教育を受け、クラシックの演奏にも興味を持つようになりました。
70年代後半からニューヨークを拠点にプロとしてのキャリアをスタートさせますが、しばらくは全く食えない状態でした。まず1977年に元ヤング・ラスカルズのフェリックス・キャバリエらとトレジャーというバンドでデビューを果たすも、アルバム1枚でバンドは解散。翌78年にはローラ・ニーロ(!!)、79年にはダン・ハートマンのアルバムに参加するものの、プロ・ミュージシャンとしての活動は一向に軌道に乗らず、結局活動の場をニューヨークからLAに移します。
Dan Hartman & Vinnie Vincent [KISS] - Instant Replay (1978)
今となっては考えられないポップ・ソングを演奏するヴィニーの姿。
心機一転のためにやって来たLAですが、元ニュー・イングランドのハーシュ・ガードナーとウォリアーというバンドを結成。しかしデビューにまで漕ぎ着くことは出来ませんでした。仕事らしい仕事もなく、ベッドも何もない安アパートで直接床に寝るという赤貧生活が約1年半も続くことになります。
そんな鳴かず飛ばずのヴィニーに突然、大きなチャンスが到来します。1982年、KISSが交通事故に遭ったエース・フレーリーの代わりのギタリストを探しており、それでヴィニーは友人を通じてジーン・シモンズに会うこととなったのです。他にも候補が50人ほどいた中、結果はめでたくヴィニーに選ばれました。選ばれた大きな理由は、ギター・プレイだけでなくヴォーカルも取れて作曲能力もあるという点でした。
夢のような幸運を掴んだヴィニーでしたが、KISSでの在籍期間はそう長くはありませんでした。バンドが彼に求めているのは、あくまでもエース・フレーリーの代役。しかし目立ちたがり屋で協調性がなく、有名バンドに加入して次第に有頂天となるヴィニー。ステージではとにかく自分のスタイルで弾きまくり、バンド内の調和を乱し始めます。結局バンド側との折り合いがつかず、KISS脱退を決意。しばらくはツアー消化のために残りますが、84年5月に正式に脱退となりました。
KISS-New Creatures Footage!!!! (1 of 2) Exclusive World-Premiere
ヴィニーがKISSに在籍してたのは、ちょうどメイク時代~ノーメイク時代に移ったころの約2年間。ヴィニーのメイクは古代エジプトのアンク(エジプト十字)をモチーフにしており「Ankh Warrior(古代エジプトの戦士)」というキャラでした。しかしヴィニーのメイクは期間が短かったせいかあまり馴染みがなく、今見るとなんかパチもん臭くて面白いです。
「エース・フレーリーのように弾くこと」というバンドの指示に従えず脱退したヴィニーでしたが… 当時低迷気味だったKISSが、そのメタリックな速弾きギターによってちょうど台頭してきたへヴィ・メタルの波に上手く乗ることが出来たのだから、バンドが起死回生したのはヴィニーのおかげだと考えれば大いに評価したいものです。
KISS脱退後は自己のバンドの結成に着手。KISS加入以前に活動していたバンド、ウォリアーで一緒だったヴォーカリストのロバート・フレイシュマンを含むラインナップで、ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョンを結成。1986年に記念すべきファースト・アルバム『ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョン』をリリースします。
ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョン 『ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョン』
KISSでの鬱憤を晴らすかのようにギターを弾きまくってます。楽曲自体は当時のLAメタルらしいキャッチーなものなのに、あまりの弾きまくりで曲に合ってなくて完全にギターが浮いてます。とにかく音をぎゅうぎゅうに詰め込んだような演奏で、私が初めてアルカトラスの「アイランド・イン・ザ・サン」でイングヴェイを聴いた時と同じ感覚を覚えます。
本作リリースの1986年といえば、トニー・マカパインが『エッジ・オブ・インサニティ』、ヴィニー・ムーアは『マインズ・アイ』でデビュー。イングヴェイのあとに速弾きギタリストが雨後の筍の如く次々と登場し始めた年でした。しかしヴィニー・ヴィンセントのスタイルは、当時主流だったネオクラシカル・タイプではなく実にオリジナリティー豊かなもの。その1つにピックを持たない指(中・薬指)をも使ったカントリー的ピッキングスタイルが挙げられます。それはスティールギター奏者だった父の影響もあるかも知れませんね。
LAメタルをあまり好まない私ですが、今聴くと懐かしい感触で意外と和めます。因みにバラードの「バック・オン・ザ・ストリーツ」は、翌87年にジョン・ノーラムが初ソロ・アルバムでカヴァーしています。それはヴィニーのコンポーザーとしてのレベルの高さの証明でもあります。
Vinnie Vincent Invasion - Back On The Streets
ファースト・アルバムから2年後の1988年には、弾きまくりだった反省を踏まえて制作されたセカンド・アルバム『オール・システムズ・ゴー』をリリース。このアルバムではヴォーカルが交代、のちにスローターを結成するマーク・スローターが参加しています。前任のロバート・フレイシュマンは金銭的トラブルとメタルらしからぬ短髪のルックスがバンド内で問題となり、前作リリース直後には実質クビという形で脱退していたのでした。
ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョン 『オール・システムズ・ゴー』
実はファースト・アルバムからヴィニーはマーク・スローターを起用する予定でした。KISS脱退後に自己のバンドを結成すべくメンバーを探していた時、マークはヴィニーにテープを送っていたのです。テープを聴いたヴィニーはマークの声をとても気に入り連絡しようとしますが、テープを送ったマークの恋人が連絡先を書き忘れていたのでした。ずっと返事が来ないことを心配したマークは再度テープを送り直すと、2日後にヴィニーから電話があったそうです。「何故テープに連絡先を書かなかったのだ!」と言われ、その1週間後にバンドに加入したのでした。
ファーストでの弾きまくり過ぎから、幾分ギター・プレイをコントロールした本作。その分バンド・サウンドとしてのまとまりを見せ、また曲(全てヴィニーが作曲)のクオリティも向上。LAメタル屈指の名盤に仕上がっています。もちろんそれはヴォーカルがマーク・スローターに交代したことも大きな要因といえます。1曲目「聖なる復活(ASHES TO ASHES)」からロバート・プラントばりのマークの歌唱に圧倒されます。
本アルバムの白眉はバラードの3曲目「ラヴ・キルズ」でしょう。マークの美しいヴォーカルが堪能できる佳曲です。この曲は映画「エルム街の悪夢4 ザ・ドリームマスター 最後の反撃」のサントラに使用されました。ビデオクリップの後半でヴィニーがちらっとフレディのコスプレをしています。ウインクをして笑みを浮かべるのが少々キモいです(困)
Vinnie Vincent Invasion - Love Kills (H/M)
やはり自分のバンドでもヴィニーのワンマンぶりが炸裂。メンバーは愛想を尽かし、なんとヴィニー以外のメンバー全員が脱退してしまいます。結局ヴィニー・ヴィンセント・インヴェイジョンとしてはアルバム2枚で解散。以降、ヴィニーがシーンの表舞台に立つことはありませんでした。KISSの時も自分の意志による脱退だったのかも知れませんが、実質的には解雇のようなものでしたから。
「あの人は今…」状態になったヴィニーの名を久々に目にすることになったのは、今から6年前。
なんとこんなニュースでした↓
【シネマトゥデイ】 元KISSのギタリスト、妻への暴行で逮捕……自宅には犬の死体も
http://www.cinematoday.jp/page/N0032560
ギタリストとしてのみならずソングライターとしても確かな才能のあったヴィニー。プロ・ミュージシャンとして生き延びるために必要なのは、才能だけではないということですね。才能がないくせに成功している者もいくらでも居るというのに… 実に残念なことですが、仕方がありません。
おまけ↓
The Best Vinnie Vincent Laugh Collection
めっさ笑ってるやん。
ヴィニーのなんと「ラフ・コレクション」だそうです。しかも「ザ・ベスト」です。
よく笑う人のようです。
あはははははは…
ウチのカエルさんもよく笑います。
まー。
■先月(6月)の買い物
リング・オブ・ファイア 『ジ・オラクル』
PAK 『NYJPN』
堤智恵子 『Anime Jazz』
スティーヴ・レイシー 『フォー・クラシック・アルバムズ』(2CD)
PAT METHENY 『NEW YORK 1979』
オーネット・コールマン 『オフ・ヒューマン・フィーリング』
勝田一樹 『VISUALIZE』
ALBERT KING WITH STEVIE RAY VAUGHAN 『IN SESSION』(CD+DVD)
『トリビュート・トゥ・ジョン・コルトレーン セレクト・ライヴ・アンダー・ザ・スカイ'87 10thスペシャル』(DVD)
マーク・ボールズ 『リング・オブ・ファイアー』
レプティリアン 『キャッスル・オヴ・イエスタディ』
ジョー・スタンプス・レイン・オブ・テラー 『ライト・イン・ザ・スカイ』
ソニック・ユース 『GOO』
DAVID BOWIE 『BE MY WIFE -40th ANNIVERSARY EDITION-』(EP)
B.B.キング 『テイク・イット・ホーム』
マジェスティック 『アブストラクト・シンフォニー』
マジェスティック 『トリニティー・オーヴァーチュア』
モグ/ウェイ 『エッジ・オヴ・ザ・ワールド』
ディム・ボガー 『アブラハダブラ』
キング・クリムゾン 『ヒーローズ~トリビュート・トゥ・デヴィッド・ボウイ』
Daniel Zamir & Satlah 『Children of Israel』
BRANFORD MARSALIS 『IN MY SOLITUDE:LIVE AT GRACE CATHEDRAL』
ヴィタリ・クープリ 『ハイ・デフィニション』
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