このブログは暫くはイディア論を中心としたプラトン哲学についての研究をメインテーマにしていく。


イディア論に関しては

国家、パイドンなどの記述を手がかりにしていく。

端的に言うとイディア界とは「本質の世界」とされる。

代表的な例は「三角形の本質」である。

①純粋な三角形はイディア界にしかない。

確かに、自然界に内閣の和が180度になる三角形が形成される確率は非常に低いだろう。

しかし、人工物には無限に見られるのは人間が製作するからである。

人間が制作する前提として、人間は、純粋な三角形を知っているので、それに伴って制作される。

②この三角形の概念は人間の中に先天的に存在するのか、それとも後天的に記憶されたものなのか、と言う論点もあるだろう


それはさておき、三角形の喩えを敷衍して考えてみると、個々の人間は丁度、不完全な三角形のようなものであり、心の中にあるような理想的な存在ではないはずである。


③理想的な人間とは心の中にあり、イディア界にある。


我々は「三角形っぽい小石」などに、三角形のイディアを投影して見る事で、強引にそれを三角形だと認識している事がある。岩のくぼみを人の顔のように見るような心理効果である。岩のくぼみが人の顔に見えるのも、人の顔のイディアを心の中に持つから、投影されてそう見える訳である。

子供がパパやママを他の人間と別種の人間として認識するのも、父のイディア、母のイディアを概念として持つからだろう。

つまり、イディアと言う型を通して、我々の日常生活は成立していると言える。


④存在をイディアを通してみると、個々の存在者として現れる。


では、我々は一体何なのか


⑤本質存在としての人間とは何なのか?

そして

⑥イディアを物質界に投影して「見ているもの」は何なのか


と言う問題が残る。