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1948年4月19日、蒋介石が中華民国初代総統に選出された日です。
この年の総統選挙は国民大会による間接選挙で行われ、
蒋介石は初代総統に選ばれ、李宗仁が副総統に選出されました。
蒋介石の政権は、1948年5月20日に成立し、
1975年4月5日に彼が亡くなるまで続きました。
彼の政権下で、中華民国は多くの挑戦に直面しました。
最も顕著なのは、国共内戦の結果、1949年に中国本土を失い、
政府が台湾に移転したことです。
蒋介石は一時的に総統を辞任しましたが、1950年3月に復帰し、
その後も総統としての地位を保持し続けました。
蒋介石の政治的な道のりは、中国の歴史において複雑なものでした。
彼は孫文の後継者として北伐を完遂し、中華民国の統一を果たしましたが、
第二次世界大戦後の国共内戦で敗北し、台湾へと退去しました。
台湾では、彼は中華民国の国家元首としての地位を保持し、
大陸支配の回復を目指しましたが、それは果たされませんでした。
蒋介石の政権は、中華民国憲法に基づいて成立しましたが、
内戦の勃発を受けて憲法に追加された「動員戡乱時期臨時条款」によって
再選回数の制限を定めた憲法の規定は凍結されていました。
これにより、蒋介石は5期連続で総統に就任することができました。
彼の死後、副総統の厳家淦が総統に就任し、残りの任期を引き継ぎました。
蒋介石の政権時代には、翁文灝内閣、孫科内閣、何応欽内閣、閻錫山内閣、
第1次陳誠内閣、兪鴻鈞内閣、第2次陳誠内閣、厳家淦内閣、
蔣経国内閣の合計9つの内閣が存在しました。
このうち、陳誠と厳家淦は行政院長と副総統を兼任していました。
蒋介石の政権は、中国の政治史だけでなく、
台湾の政治史においても重要な役割を果たしました。
蒋介石の遺産は、今日の台湾社会においてもなお、多くの議論の対象となっています。