1967年3月4日 ハワイ出身の高見山、関取昇進!外国人初の十両誕生 | avance-officeのブログ

avance-officeのブログ

ブログの説明を入力します。

1984年 引退会見 ©文藝春秋

 

 

相撲界に新星現る

1967年(昭和42年)3月場所、ハワイ出身の高見山大五郎が新十両に昇進し、外国人初の関取となりました。これは、相撲界の歴史における大きな転換点であり、日本の社会における国際化を象徴する出来事として、大きな注目を集めました。

 

高見山の歩み

高見山は1946年、ハワイ州マウイ島で生まれました。幼い頃から体が大きく、スポーツ万能だった彼は、1964年にハワイ巡業に訪れた高砂親方に見初められ、日本へ渡りました。入門当初は言葉や文化の違いに苦労しましたが、持ち前の明るさと努力で周囲を魅了し、着実に実力をつけました。

 

苦難と栄光

1965年5月場所で初土俵を踏んだ高見山は、序ノ口、序二段、三段目と番付を上げ、1966年11月場所で幕下昇進を果たしました。しかし、幕下では壁にぶつかり、苦戦を強いられます。それでも諦めずに努力を続け、1967年3月場所、ついに十両昇進を掴み取ります。

 

初の外国人関取誕生

高見山の十両昇進は、相撲界にとっても大きな出来事でした。当時はまだ外国人力士が珍しく、差別や偏見も存在していました。しかし、高見山は持ち前の明るさと親しみやすい性格で周囲を魅了し、多くのファンを獲得しました。

 

その後の活躍

高見山はその後も快進撃を続け、1968年1月場所で新入幕、1972年7月場所には外国人力士初の幕内優勝を達成します。大関、横綱昇進は果たせませんでしたが、1984年5月場所まで現役を続け、通算1047勝を挙げました。

 

功績と影響

高見山は、外国人初の関取として、相撲界における国際化に大きく貢献しました。彼の活躍は、後の外国人力士の台頭を呼び起こし、相撲界の多様化を促進しました。