戦後の高度成長時代の相撲界で「柏鵬時代」と言われる黄金時代を築いた大鵬が19日亡くなった。「剛の柏戸」に対し、「柔の大鵬」といわれ、柏戸が休場を繰り返していたこともあり、幕内優勝32回、45連勝など相撲史に残る大記録を次々に打ち立てた。この連勝記録が途切れた相撲は、ビデオ画像や写真で相手の足が先に出ていたため誤審であったことから問題となり、翌場所からビデオ画像の導入が始まった。

大鵬の幼少時は戦争に翻弄された。1940年、当時日本領だったカラフトに生まれ、父はロシア革命で亡命したコサック騎兵隊将校だったが、その直後太平洋戦争でソ連軍がカラフトへ進攻すると、母親と共に北海道へ引き揚げることとなった。船で小樽へ行く予定だったが、母の船酔いと疲労で稚内で途中下船した。その直後、船はソ連の潜水艦? による魚雷攻撃で沈没、親子は命拾いした。

母子家庭で生活は貧しく、母親は教師と再婚したことから北海道各地を転々とする。あまりの貧しさから納豆を売り歩き家計を助けていた。10歳の時に母が離婚し、働きながら定時制高校に通っていたとき、巡業に来ていた二所ノ関部屋に紹介された。入門に反対する母を叔父が説得した。

父マルキャンの消息は分からなくなっていたが、樺太の日本研究家によってその生涯が明らかになった。1917年にロシア革命が起こると、北樺太は社会主義化が進み、1925年日本治政下の南樺太へ移った。牧場を経営し多くの日本人・ロシア人を雇い、南樺太では知られた名士だった。日本政府はこれらの白系ロシア人住民を外国人居留地に強制収容したため、1945年8月に船で北海道へ引き揚げた家族と生き別れとなった。1960年11月15日大鵬が初優勝する場所中に死去した。(wiki/マルキャン・ボリシコ参考)
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