杉原千畝「6000人命のビザ」からの続き
杉原千畝が大量のビザを発行して、6000人のユダヤ人を救った2年以上前に、樋口季一郎は杉原千畝と同じように、大量のユダヤ人を救ったのですが、これはほとんど知られていない戦争秘話です。日本の自虐的歴史観がこういう美談を葬り、中国、韓国の反日的捏造に追随した面が強いのは残念なことです。
私の両親と姉と兄は当時満州開拓でソ連国境に近い所に住んでいて、ハルピンとかの大きな町は中国人、日本人、ロシア人、ユダヤ人などが住み国際的だったと話していました。
ナチス・ドイツの迫害から逃れ極東を目指したユダヤ人は、1938年3月まだ寒い満州国との国境ソ連領オトポールに押し寄せてきました。ソ連がユダヤ人受け入れを拒否したので満州国への入国を求めたのですが、1936年11月「日独防共協定」を締結していました、にも係わらず樋口はこの惨状を見かねて、極寒の地で1日遅れれば凍死者がでると、ユダヤ人に対し給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施、出国斡旋、満州国内への入植斡旋など行った。ドイツはすぐさま抗議し、失脚の危機にたった樋口は、司令部に呼び出されるが東條英機は樋口を処分せず、事件がその後おおやけに語られる事もなかった。
1937年(昭和12年)12月26日、第1回極東ユダヤ人大会が開かれた際には、この席で樋口は同盟国であるナチス・ドイツの反ユダヤ政策を、「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と、間接的に激しく批判する祝辞を行い、列席したユダヤ人らの喝采を浴び涙を流す者もいた。
・・・・・・・・・・・・以下wikipediaより抜粋・・・・・・・・・・・・
樋口がナチスの人種差別政策に激しい憤りを抱いていた背景には、かつてポーランドやドイツに駐在武官として赴任していた頃寄宿しようと一般家庭に尋ねて行くと、東洋人であると言う理由でことごとく拒否され続けていた。しかしあるユダヤ人の一家庭だけが樋口を温かく迎えてくれたという、彼自身の体験が根底にあったためである。・・・・・
安江仙弘らと共に河豚計画を進めるが、シベリアに赴任した軍関係者の多くがユダヤ陰謀論に傾く中、彼は「『排ユダヤ主義』否定だけで十分であろう」という立場であった。彼は、酒井勝軍の日ユ同祖論を一笑に付し、極めて反ユダヤ的な偽書『シオン賢者の議定書』を眉唾物とし、ユダヤ主義とマルキシズムを同一視できないとしている。樋口は当時の軍人たちがはまった陰謀論から離れ極めて冷静な判断をしている。・・・・・
戦後イスラエル建国功労者として安江とともに「黄金の碑(ゴールデン・ブック)」に「偉大なる人道主義者 ゼネラル・ヒグチ」と名前が刻印され、その功績が永く顕彰されることになった。
・・・・・・・・・・・・・・抜粋ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・
『シオン賢者の議定書』はヒットラーが偽書と知りながらユダヤ人迫害に利用した。「日ユ同祖論」「竹内文書」は酒井勝軍、竹内巨麿らが捏造した陰謀論で偽書と証明済みであったが、当時の軍人たちがはまった。このような民族主義カルトが戦意高揚に利用されるのは極めて危険であり、現在もオーム真理教やスピリチュアル世界では信じている人が少なくない。
戦後、ソ連は樋口を報復裁判で死刑にしようと画策したが、ニューヨークのユダヤ協会がオトポールの恩を返せるのはこの時しかないと合衆国政府に働きかけた結果、マッカーサーはソ連の引き渡し要求を拒絶した。
史実が語る日本の魂・ユダヤ人救出物語その1
史実が語る日本の魂・ユダヤ人救出物語その2
杉原千畝が大量のビザを発行して、6000人のユダヤ人を救った2年以上前に、樋口季一郎は杉原千畝と同じように、大量のユダヤ人を救ったのですが、これはほとんど知られていない戦争秘話です。日本の自虐的歴史観がこういう美談を葬り、中国、韓国の反日的捏造に追随した面が強いのは残念なことです。
私の両親と姉と兄は当時満州開拓でソ連国境に近い所に住んでいて、ハルピンとかの大きな町は中国人、日本人、ロシア人、ユダヤ人などが住み国際的だったと話していました。
ナチス・ドイツの迫害から逃れ極東を目指したユダヤ人は、1938年3月まだ寒い満州国との国境ソ連領オトポールに押し寄せてきました。ソ連がユダヤ人受け入れを拒否したので満州国への入国を求めたのですが、1936年11月「日独防共協定」を締結していました、にも係わらず樋口はこの惨状を見かねて、極寒の地で1日遅れれば凍死者がでると、ユダヤ人に対し給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施、出国斡旋、満州国内への入植斡旋など行った。ドイツはすぐさま抗議し、失脚の危機にたった樋口は、司令部に呼び出されるが東條英機は樋口を処分せず、事件がその後おおやけに語られる事もなかった。
1937年(昭和12年)12月26日、第1回極東ユダヤ人大会が開かれた際には、この席で樋口は同盟国であるナチス・ドイツの反ユダヤ政策を、「ユダヤ人追放の前に、彼らに土地を与えよ」と、間接的に激しく批判する祝辞を行い、列席したユダヤ人らの喝采を浴び涙を流す者もいた。
・・・・・・・・・・・・以下wikipediaより抜粋・・・・・・・・・・・・
樋口がナチスの人種差別政策に激しい憤りを抱いていた背景には、かつてポーランドやドイツに駐在武官として赴任していた頃寄宿しようと一般家庭に尋ねて行くと、東洋人であると言う理由でことごとく拒否され続けていた。しかしあるユダヤ人の一家庭だけが樋口を温かく迎えてくれたという、彼自身の体験が根底にあったためである。・・・・・
安江仙弘らと共に河豚計画を進めるが、シベリアに赴任した軍関係者の多くがユダヤ陰謀論に傾く中、彼は「『排ユダヤ主義』否定だけで十分であろう」という立場であった。彼は、酒井勝軍の日ユ同祖論を一笑に付し、極めて反ユダヤ的な偽書『シオン賢者の議定書』を眉唾物とし、ユダヤ主義とマルキシズムを同一視できないとしている。樋口は当時の軍人たちがはまった陰謀論から離れ極めて冷静な判断をしている。・・・・・
戦後イスラエル建国功労者として安江とともに「黄金の碑(ゴールデン・ブック)」に「偉大なる人道主義者 ゼネラル・ヒグチ」と名前が刻印され、その功績が永く顕彰されることになった。
・・・・・・・・・・・・・・抜粋ここまで・・・・・・・・・・・・・・・・
『シオン賢者の議定書』はヒットラーが偽書と知りながらユダヤ人迫害に利用した。「日ユ同祖論」「竹内文書」は酒井勝軍、竹内巨麿らが捏造した陰謀論で偽書と証明済みであったが、当時の軍人たちがはまった。このような民族主義カルトが戦意高揚に利用されるのは極めて危険であり、現在もオーム真理教やスピリチュアル世界では信じている人が少なくない。
戦後、ソ連は樋口を報復裁判で死刑にしようと画策したが、ニューヨークのユダヤ協会がオトポールの恩を返せるのはこの時しかないと合衆国政府に働きかけた結果、マッカーサーはソ連の引き渡し要求を拒絶した。
史実が語る日本の魂・ユダヤ人救出物語その1
史実が語る日本の魂・ユダヤ人救出物語その2