ほんで楽器と出会った話。 | アバラバックスげんたのブログ

ほんで楽器と出会った話。

まあアレだ。晩書くのはムリだな、寝ちゃうな。



ということで夏のバスケの大会となり、引退となるわけです。
それまでの中学生活、毎日朝練から始まって日が暮れるまでひたすらシゴかれ続けてたので、急に時間がポッカリと空いてしまったのです。

喫茶店行ったりもしてたけどそんなに行き続けるお金はむろん無く、プラプラしてました。


バスケの練習も何度か見に行ったけど、あんまりそうゆうの好きじゃなかったのね。
だってもう引退したし、後輩も気ぃ使うでしょ。
私が1~2年の時もエラそうにできるからってしょっちゅう来てた先輩とかいたもんね。


なのでプラナリアのようにそれはもう毎日プラプラしてた訳ですけども、ある時同じくバスケ部員のやつと帰っててね、そいつが言うのよ。
「げんた、おもろいビデオあるからちょっと家寄っていくか?」って。



ぬお!エロか!?エロいやつか!?今すぐ見せろ!と思いましたが、
「う、う~ん。まあヒマやしどっちでもええで~」とか言いながらおじゃましました。


さてどんなエロいのだ、と思って待っていると何だか思ったのと全然違うビデオっぽいです。
ガラの悪そうなオニイサン達が映っています。



「何これ、なんか暴走族とかの実録もの?」と聞くと、
「やっぱりげんた知らんか。これな、ボウイっていうねん。めっちゃカッコいいで」

「え?これバンドなん!?」



というのも私、今の今まで体力バカだったので、音楽といったらベストテンか夜のヒットスタジオくらいしか知らなかったのです。
つまりトシちゃんとマッチ、あとたまによっちゃんが私の中での「音楽」だったのであります。



何だこれは!めちゃめちゃカッコいいじゃないか!と思いました。
腹筋背筋ばっかやってて、こんなカッコいいものを知らずに生きてきたのか、と思いました。



つまりドキューーーンッ!となったのです。



その日以来毎日そいつの家でボウイのビデオを観まくりました。そいつのおばあちゃんが作ってくれるジャガイモの蒸かしたんとか食べさせてもらいながら毎日観ました。




一ヶ月ぐらい観続けて、楽器始めようと思いました。

始めるのはいいが、さて何をやろう。
まったく知識がありません。だって音楽のバックボーンがトシちゃんなんですもの。



とりあえずドラムは家に置くのはムリだ。そうなるとホテイさんのギターかマツイさんのギターのどっちかだな。


どっちもギターだと思っていたのです。



しばらくしてマツイさんが持ってるのはベースだと知り、マツイさんが好きだった私はベースをやろうと思いました。
それによく見ると弦が少なかったのでベースのほうが楽でいいんじゃないか、って思ったのもありますね~。基本楽したがりなので、まあ当然のチョイスですな。



もうひとつベースに決めよう!と思うことがあったんですが、当時確かシャープだったと思うんですが、「ツインカセット」みたいな名前のラジカセ(懐かしいヒビキ)が出たんです。
こう、カセットを2コ一緒に入れられてどっちからも再生できるぜ!みたいなんがウリのやつやったと思います。


それに使われてた音楽がとってもカッコよくってね、友達に聞いたら「あれベースの音やで」って教えてくれたんです。

それでもう「ベースに決ーめたっ!」って思いました。



決めたのでバイト行くことにしました。

その前にどんなベースを買おうか。
本屋さんで立ち読みしまくって探しました。確か「バンドやろうぜ」とか「ロッキンエフ」とかそんなんちゃうかったかな~。



探して探してついに欲しいベース決定!


フェンダージャパンのベースです。
PJでしたが当然その時そんな知識はありません。


やっぱコレがカッチョえーな、と。









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実際にはこのタイプのもうちょっと青味がかったやつでした。



65000円。
とにかく大金だ、くらいしか分かりません。バスケ終わって買い食いしてたタコ焼きが8個200円だったし、1000円以上持ったことありませんでした。


ということでしばらく学校は短期留学ということで休学しまして左官屋さんのバイトに行きました。






貯めましたぜ65000円。
あとは買うだけです。


どこに売ってるかはもう知っている。
日曜日の度に電車乗って見に行ってたのだ。



そう、そこは大阪は梅田、かっぱ横丁の高架下にある、ナカイ楽器です。

ついにゲットだこのやろー!!



店員さんに
「おお!やっと貯まったんやね、おめでとう!」と言われました。

「これからラフィンとかするの?それかパーソンズとか?」
とも言われましたが、あたくしボウイ以外は全く分かりません。


「は、はいそんな感じです。」とか何とかごまかしちゃいました。




「これから頑張ってね」と言って、ケーブルを1本くれました。うれしかったなあ。





このナカイ楽器から、私のベース人生は始まったのでした。