『歓びのトスカーナ』
精神病院……ではなく療養施設の陽気な虚言癖と陰気な一匹狼の2人の女性が、施設を脱走し各所に混乱を巻き起こす中でその過去が明らかになり、特に後者のそれに向き合ってまた施設に戻る。
タイトルの「歓び」は、結局のところ社会にとって「療養」が必要なほどの善悪の欠如から来る幼児性のそれであって、その明るさも「トスカーナ」の方の美景も彼女たちの巻き起こす騒動(と何よりその過去)を贖わない。
それが故のラストである。
製作側の本旨ではないのだろうけれど、彼女たちの残すあれこれがそうした光によって寧ろ目に焼き付いてしまうから、「社会」の側から共存の不可能性を、「療養」施設に閉じ込めることの正当性(あるいは不足)をさえ感じてしまう。
陰の側が息子との無理心中(しかも1人で死ぬのが寂しいから!)という過去を抱えているだけに、原罪としか表現できない。
私たちの出生はそうした「歓び」によって成立し、その後育まれるのだから。