先日書いたブログに本当は赤十字以外で、と書く予定だった。

その理由が分かりやすく書かれたブログ

リブログさせていただきます





弟が最後まで通い続けたラーメン屋さんが炊き出しに行っている。

東日本大震災の時も何万食も無償でラーメンを提供していた。





今できることはそれぞれあるはず。





先日は、迎えることができなかった弟の誕生日だった。

母が「誕生日にこんな(仏壇の)ローソク立てることになるなんて」と泣いていたらしい。





亡くなって色々わかったことは、弟もかなりの強運の持ち主だった。

全てが結果オーライだった。

末期癌でも20年近く生きられたし。

母がその上をいく。

癌の転移を繰り返してから復活して40年以上経つ。





そんな母はいまだに弟の死を受け入れられていない。

「まだ死んだと思えない。受け入れることができない。」と言って泣く。





私も悲しいけれど、20年前から覚悟していたので、今回能登の地震でご家族を亡くされた方に比べたら、まだまだ受け入れる時間は沢山あった。

友人も、会社に送り出したご主人がそのまま倒れて亡くなったため、どれだけ辛かったか考えると、出来ることをやり遂げた意味では幸せだったと思う。





人それぞれ捉え方が違うのもわかる。

とりあえず私はいつでも死を受け入れる準備はできているが、親より長生きしないと。。。








病室から写した朝日

親は転勤族だったのに、偶然か必然か、弟は自分が生まれた病院で息を引き取った。