今年は新年早々心痛む出来事が起きていますが、被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。
今できることは気付きと祈りと募金です。
でも募金する所は本当に被災地に届くか見極めてから。
ここからはご報告。
新年の最初のブログが悲しいお知らせにしたくはなかったため、昨年のうちにブログをupした。
弟のことは日を追うごとに悲しみは増していくが、生活は待ったなしのためうまい具合に気は紛れている。
今年の親戚の集まりは、本当はやらない予定だった。
しかし、義母がおせちとカニを大量発注していたためやらざるを得なくなった。
私達だけで食べ切れる量ではなかった。
でも今回は頼んでいなくても夫と息子が物凄くテキパキと動いてくれたのと、親戚ともわだかまりがとれた雰囲気で食事できたため、結果やって良かった。
今回は本当に夫と息子に助けられた。
弟の病院へ泊まり込むことも快く送り出してくれたし、私の家族のために足になってくれたし、家事も手伝ってくれた。実家家族をとても大切にしてくれているのも今回改めて感じることができた。
そして何より弟を1人で逝かせなくて安堵している。
私は2日ほぼ寝ていなかった。
亡くなる前日の夜中弟が38℃の発熱があったため、予断を許さなかったのとすでに25日夜から下顎呼吸が始まっていたから。
下顎呼吸は終わりの合図。
数時間から数日と言われている。
義妹と交代で看ていたため、私が付いている時だった。
朝方凄い睡魔に襲われ、座りながら寝そうになっていた。母は夏に腰を骨折しているためソファーベッドで横になってもらっていた。
本当にちょうど見ている時で良かった。
また、年始は火葬場が休みに入る。
葬儀場も第一希望の所が空いていた。
全てがうまく進んだ。
色々と不思議なことも起こったが、弟からの合図だったと思う。
義妹が乗った霊柩車の中でかかっていた音楽が弟の好きなアーティストのオルゴールだったり、息子がハッと目が覚めたのが亡くなる時間だったり、私と両親がなぜか左足が攣って動けなくなったり、葬儀場へ向かう途中、信号待ちをしていたら、有り得ない場所でスーっと新幹線が目の前で止まり、目の前に新幹線の先が来て、いまだに何故目の前で止まったのかわからない。
お天気にも恵まれた。
この日程でなければ会えなかったと沢山のお友達が来てくれた。
全てがうまくいった。
後は義妹と両親を支えていくのみ。
沢山の温かいメッセージをありがとうございました。
こんなに人の温かさに救われたと感じる新年はない。
今年は自分がお返しできるよう過ごしたいと思う。
左で写真を撮っているのは弟
2023年5月
義妹と3人で旅行