仙台より | 【雲の向こうはいつも青空】PAREANAのblog

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幸せは自分の感じ方次第。小さなことも喜べる人になりたい。

心配して下さった皆様、メール、メッセージ、コメントを沢山いただきまして、ありがとうございます。
なかなか携帯が繋がらず、お返事が遅れておりすみません。
ペタもお返しできなくてすみません。
ブンさん、REASON仲間とは連絡取れません。
とにかく携帯が繋がらないのです。
きっと無事だと思いますが、Tは介護福祉士なので、かなり忙しいはずです。
連絡が取れましたらご報告します。


その日、会社から帰って義母にコーヒーを入れ、お昼ご飯を食べようとしていた時でした。
携帯から緊急地震速報。
と同時にいきなり揺れた。
いつもの震度5クラスとは比較できないくらいの揺れ。
とりあえず逃げ道を確保しなければ、とお勝手口を開け、戸棚を押さえました。
が、つかまっているのがやっと。
そのうち半端じゃない揺れが家の中の物をすべて吐き出す。
もうあっという間に足の踏み場がなくなりました。
私がいたリビングは中2階にあって、1階が車庫。
底が抜けるかと思った。
家はあちこち壊れた。
しかし学校に行っている息子が気がかりで、3分の揺れに耐えた後、家を飛び出し学校へ走った。
途中かなり塀が倒れていた。
学校では生徒達が上着も着ないまま校庭に避難していた。
が、息子の学年だけ見当たらない。
強い余震で校舎の窓ガラスも割れている。
逃げ遅れたのか?
極度の緊張と空腹で胃が痛む。
他の保護者の方に支えられて校舎の反対側に逃げていた四年生を発見。
生きた心地がしなかった。
それからはもう日没まで寝る場所を確保しなければ、と大急ぎで片付けた。
リビングの食器の破片だけで、ゴミ袋の大が7個。
まだまだあるが寝るスペースができたので寝室へ行くと、戸が開かない。
家が歪んで扉が開かなくなってる。
夫が扉を壊す。
もう、小学校は老朽化で避難場の役目を果たしていないため、雪のなか野宿はまっぴらだったので、何とか家で暮らせるよう頑張った。
昨日から義姉家族と生活を共にすることになり、カセットコンロで皆の食事を作りつつ片付け。
疲労困憊の1日が終わった。
しかし、友人のご家族が津波で亡くなった。
きっとお客様も…
身近で津波で亡くなる方が沢山。。。
言葉も出ない。