頑張ってるのに
よくやってるのに
要領が悪い私
残念な私
って評価があった
元不登校
心理カウンセラー
ふじたに みかこ(ミィ)です
今も、要領がよいとは決して
言えないが、
頑張る方向
エネルギーを使う方向は
自分で決めれるよなって思い
最近は、360度頑張るは
もうできなくなってしまった
むしろ、もっと頑張れといわれることも
が、誰かから言われても
自分が納得してない頑張りって
やっぱりしんどいというか
モヤッとするんだよね
学生の頃の私
よく、あなたは頑張っているのは
わかるのだけどね・・・あれじゃだめよ
きめ細かにしてくれてるのは伝わるから
あともうちょっとここに意識も
練習はよかったのに、本番はヤバいとか
いや、ほんと大学の時は
フランクな先生が多くて
私への評価はこんな感じだった
頑張っているけど
どこかオシイやつ
どこかパッとしないやつ
と私自身も私のことをそう思っていた
今でも、低空飛行にはいると
そんな自分のイメージがひょっこり
顔を出す
だけど、、、
頑張るって
なんのために
誰の為にするのだろうか?
どうなりたくて、何を頑張る?
ここって超絶大切だと思うんだよね
ミィさんの場合
頑張っても、すり減ってしまうときは
・きっと何かがブレていたり
・背負わなくてもいいことまで背負っていたり
・〇〇しなきゃいけないにとらわれていたり
・絶対に毎日するぞとハードルを上げてたり
疲れない頑張りって
・ふとやってみたかったからやった
(続けなきゃとか、やらなきゃとかない)
・不登校の親子がそんな風に思っていいのかって1mmでも届いてくれたらうれしいな
(伝えなきゃという気持ちは少ない、言葉は自然に出てくる)
・気が向いた時だけやる←
(自分のしたいことなら、苦手でもやってみると自分にオッケーする)
最近、ただそれだけになっていく
でさ、いきなり全部を辞めるとか難しいじゃない
私たちって一人で生きているわけじゃなく
誰かとのつながりで生きてるから
そんな時には、ハードルの低いことで
すり減る頑張りやってんなー
ってことから辞めていってほしいのね
そこは、誰でもない自分自身の為に
ほんで、そんな風に
今までは辞めちゃダメだ
頑張らなきゃいけない
って自分が思っていたやつを
えっ?!これやらなくてもよかったんだ
って体感していくのが、自分のギフトになる
ちなみに、会社員時代
私が辞めたのは、お茶出し
別に、お茶出しはええねん・・・
が、女性職員のほうがおいしいとか
生徒待たせてからとかは
イヤやってんな
だから、しれっと
誰でも、手が空いた人にできるように使い方覚えてください
とか 今、生徒対応に行くのでできませんとか
いうたら、他の手が空いた職員さんとかが
してくれるから大丈夫やってん
ただ全然お茶出ししなくなったわけじゃなく、
自分が手が空いたタイミングだったら
私もやってましたよ
生徒対応でタイミングが合わないのに
勝手に、私がやらなきゃいけないって
思い込みすぎていた例ね←
別に職場が悪いとかは思ってなくて
気にしてない先生も多かったし
私の妙なザワッとポイントだっただけ
だから、これを言えれるようになるまで
仕事行くの、いつお茶出しを振られるか
気が気じゃなくて←
妙に気を張って、どこにも不備がでないように
と頑張ってたもんな
(そりゃー疲れますよ(笑))
あなたにとって頑張るって
なんのために
誰の為にするのだろうか?
どうなりたくて、何を頑張る?
そのことを、ちょびっとだけ
考えてみたら、何か見えてくることが
あるかもしれんねー
以下はお知らせです
ああああああああああああああ
あああ
→しゃべってるミィさんが見れます。内容は様々
おわり