鬼滅の映画3回目の乗車してきた(((o(*゚∀゚*)o)))

 

何度乗っても,

受け取り方が変わっていく

確かなことは

どんどん煉獄さんが好きになってまう

ということ←



私がどんな部分で痺れたのか,

どんな想像をしながら映画を見ているのか

をただただ書いています

 

本日のメインパーソンは

もちろん煉獄さんですお願い

  

こんにちは

もう,鬼滅沼にはまってませんと

言えないくらいになってきた

 

元不登校カウンセラー

ふじたに みかこ(ミィ)です


 

 

今回のブログは鬼滅の刃無限列車の

ネタバレが含まれますので

見たくない方は,すぐリターンをしてね

 

 

下弦の壱の鬼の術で

ふかい眠りに落ちた煉獄さんと炭次郎達

 

で,この夢は幸せな夢をみさせるのです

煉獄さんの夢は自身が炎柱になったと父上に報告する場面が最初に出てくる

 

そこで,父上はいろんなことに夢も希望も失っているような

エネルギーや気合を感じないくらいの様子

煉獄さんのパパとは思えないくらい燃える感じがないのだ

 

ちなみに,

1回目はただただひどいパパってなってた私

息子が―!!すごい偉業をなしたのにー!!って感覚です

 

じゃけど,数回見ていく中で,

パパは昔は柱だった

奥様がなくなる以前はこんな感じではなかった

そして,手記みたいなのを読んでいる

とか視野が広まっていくわけです

(私の受け取れる情報としてね)

 

 

そんなことを考えながら見ていくと

パパは最強だといわれる柱になったとしても,

俺はかなわない・・・

これ以上,鍛えたところで結局自分は

最強の剣士になんてなれないと感じたのかもしれない

 

昔から柱の中には必ず

炎と水の剣士が歴史上存在し続け

炎・水・雷・風・岩を基本に残りは派生していった呼吸

だから,炎と水以外は基本の剣士や派生の剣士で入れ替わっていたん

だと思われるわけです

 

だからこそ,炎は中心で最強の剣士だとパパは感じてたのかもしれない

歴史も深いだろうし,あの柱に選ばれ続けるって,とっても大変なことだと思う

なのに,その素晴らしいと思ってた自分さえ”ヒの呼吸”の派生から生まれたものだと

知ったときの衝撃と落胆は大きく

 

今までの俺は何だったんだ!!!と心底自分の力に落胆して

自暴自棄みたいになったのではないだろうか

煉獄さんを見るからに,煉獄家は昔から代々続く炎柱の歴史深そうだし

 

だけど,

がーッと進むときに,自分の限界を感じたり

自分よりももっと優れた人がいる(超えられない)とわかったときの落胆は,

とっても人の心情としてうまく描かれているように感じる

 

 

とこんな背景があり,パパの心の炎が消えてしまったのではないか??

と感じながら(自分がパパになったつもりで)映画を見ていた

 

 

そう考えていくと・・・パパのあの様子も

わからなくない・・・でも,やっぱり見ててすごく切ない気持ちにもなる

 

なんとなくだけど,煉獄さんが柱になる前から

あの状態は始まってそうだし

 

そして,そんな父を見ながら煉獄さんは

ほめてくれない父を責めるでもなく

(褒められるためになったわけではなさそうだが)

 

相手を変えるのではなく,

自分のできること

自分の進む道

自分の守りたいものを

考えたんだと思う

もう、それは心を燃やしながら←

 

きっと,これは小さい頃の母上との約束なんだと思う

生まれつき強いものは,

弱いものを守るためですというニュアンスの回想があった

いろんなことを考えてみると,

 

煉獄さんが炎柱になったのは,

煉獄さんなりの考えぬいて出した

生き方の答えなんだろう

 

決して,誰かに言われたから

煉獄家が歴代続く柱だからとか関係なく

自分で主体的に決めぬいた結果

 

 

そして,鬼と対峙するということは

命を落とす,体の一部が再起不能になるなど

相当な危険が付きまとう

 

きっと,煉獄さんだけじゃなく

鬼殺隊や柱の人は

自分の命がいつ消えてもおかしくない状況への

相当な覚悟があるのだと思う

 

 

そこで,出てくる映画でも有名なセリフ

老いることも

死ぬことも

人間というはかない生き物の美しさだ

 

老いるからこそ

死ぬからこそ

たまらなく愛おしくて

尊いんだ

 

俺は俺の責務を全うする

ここにいる者は全員死なせない!!

 

胸を張って生きろ

己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと

心を燃やせ

 

 

 

あーーーーーーー

書きながら,涙が止まらないえーん

 

きっと,人の弱さ、儚さ、脆さ

人は完璧ではないが、完ぺきではないのが人としての

溢れんばかりの魅力なんだと思う

 

だから人は一人ではなく,誰かと協力するんだ

それも,過剰でも過不足でもなく

ちょうどいいバランスで

適材適所で

 

そして,煉獄さんの力量だと

きっと,アカザと対峙した時に,

すでに死を覚悟してたのではないかと思う

 

残念ながら力の差はあるだろうし

煉獄さんは,自分の力は過信しすぎてないと思う

鍛え上げてるからこそ,相手の力量と自分の力量の差が

直感的にわかるのではないだろうか

 

 

しかも鬼たちは首を斬られるか,日光で焼かれるか意外だと

どんなダメージを受けても,再生することが多く

死ぬことはないという・・・

 

体力も体も限界がある人間である自分

 

 

だけど,柱として

煉獄さんの生き方として

ここで引かない

この命が尽きようとも

乗客と炭次郎達の若い隊士を守り抜くと

覚悟を決めたのではないだろうか

 

そんな風に思いをはせてみると

煉獄さんの有名フレーズの重さが私の中で

どんどん変わる

 

本当に,いつ死んでも後悔しない生き方を

後悔の念にさいなまれたとしてもしていきたい

 

後悔をなかったことにするのではなく

一緒に抱え込み今の自分で

やっていけることはなんだろうか?

と考え自問自答する姿勢を考えさせられる

 

 

全集中の呼吸は柱への一歩だ

だが,柱までは1万歩あるかもしれないな

というフレーズも,

 

日々,いかに自分のできることをやっていくか

そして,日々の積み重ねなくしていきなり

凄いことにはならない

 

逆を言えば,日々自分のできることを

増やしていけば,少しずつ望む未来に近づくかもしれないということよ

もちろん何十万歩もあったり,(望む形では)かなわないこともある

けれど,今の自分でできることはしっかりやっていくって大切なのね

と当たり前のことを改めて考えさせられた

 

ミィさんは,よく求めてしまうので

煉獄さんのお言葉で

たいそう反省いたしました

 

できなかった・・・と悔やんで歩みを止めても

時間は同じように過ぎていき待ってはくれない

一緒に悲しんではくれないのだ

 

 

人の強さは自分の弱さや不甲斐なさを

どれくらい,目を背けずにしっかり認めるかで

変わると私は思う

 

 

そんな風に考え感じながら、

映画で煉獄さんを見ていた

 

というただただ,煉獄さんへの思いを紡ぐブログになってしまった

 

私,個人的には

芯が通った強さを持っている人

悩みながらも,自分で一歩進むと決めた人

は好きラブ

 

だから,鬼のアカザも1回目は

煉獄さんを殺しやがってーえーん

と悲しみと怒りしかなかったけど←


マンガで彼のバックボーンを知ったら

彼が強さを一途に極めることへの一貫性を感じ

あのブレなさは,とっても好きになった

そして,鬼になってしまった理由にも思いはせてしまう

(が,その思いまで書くと莫大すぎるので別で!)

 

でも・・・やっぱり殺さないでほしかったよー

煉獄さんがアカザのいう至高の領域に入ったときに,その領域に達した煉獄さんと戦うところが見たかった

 


アカザジャッジだとあと数年くらいらしい

肉体や技の精度が格段に上がった煉獄さんと

アカザの戦いは絶対に痺れると思うわ

映画でも,かなり痺れたけどね

 

 

まあ、こんな感じに考えながら

映画見てると,あっとゆうまに2時間たってしまってました

 

 

ちなみに,3回目乗車した目的の一つは

入場者特典が

どーーーーーしてもほしかったからです笑い泣き

でも,何度見ても新しい発見があるから好き宝石赤



パンフレットと共に、無事にゲットしましたラブ
 
ジンジャーブレッドマンジンジャーブレッドマン以下はお知らせですジンジャーブレッドマンジンジャーブレッドマン 

 

ヒヨコ通信制高校について知ろう(ZOOM)
1月開催準備中

 

 

コーヒーお子様の不登校で感じるモヤモヤを吐き出すお話会
1月開催準備中
 

 

あああああああああああああああ

クローバーミィの個人カウンセリング クローバー詳細・申し込みは こちら 

あああ

おすましペガサス SNSをフォローしてね
宝石ブルーTwitter @Fmikako1121
→日常のこと,今つぶやきたいことなどをつぶやいています
宝石緑公式ライン @850vlgbh
→主に各種問い合わせで使ってます
  お気軽にご質問などもどうぞ!いただいたご質問などは,ブログでお答えしちゃうかも??
宝石赤YouTube

→しゃべってるミィさんが見れます。内容は様々